くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「納豆の家族ドンブリ」穂村弘 編

2009-04-30 05:29:40 | 詩歌
自分の好きな短歌を探しているうちに、この絵本に出会いました。穂村弘編「納豆の家族ドンブリ」(岩崎書店)。「めくって短歌絵本」シリーズの一冊です。
短歌のアンソロジーなのに、編集によってこんな絵本になっちゃうんだなーと感心。手軽に読めて、しかもおもしろいです。
短歌、イラスト、解説、それだけなんですよ。でも、一ページずつ折り込みになってるの。開くと、世界が広がる感じといいましょうか。そんな構成になっています。
一冊に短歌は十首ほどなので、非常に贅沢な造りなのです。
まず何よりも、短歌をテーマ別に集めるというアイディアが楽しい。
わたしも、いろんな人が選んだ短歌を貼りだしたらおもしろいんじゃないかといろいろ探したのです。でも、「動物の短歌」とか「オノマトペの短歌」とか、思いつきませんでしたー。「恋愛の短歌」はたくさん出版されているんだけどねー。俵万智「あなたと読む恋の歌百首」(朝日新聞社)とか。でも性愛に関するものも多くて……中学校の廊下に貼る気になれませんでした。
「納豆の家族ドンブリ」は、「家族の短歌」がテーマです。表題のもとになっているのは、笹公人「十二人家族のつくる納豆の大ドンブリのねばりを思え」。さ、さすがです……。こんな短歌どうやって思いつくのでしょう。十二人て、うちの倍かぁ~。現実的に考えると、多分納豆は四パックくらいだから、まぜてもそれほどではないと思うのですよ。でも「十二人家族」のインパクトは大きい。 この本の家族は「鬼」なのです。比喩じゃないよ。絵がそうなっているのです。
収録はほかにこんな感じ。

「母さんのふとんも敷け」とおさなごは声しぐれたり妻の居ぬ夜に    吉川宏志
「やさしい鮫」と「こわい鮫」とに区別して子の言うやさしい鮫とはイルカ     松村正直
みちのくの母の命を一目見ん一目みんとぞただに急げる       斎藤茂吉

さて、わたし、「声に出して味わう日本の名短歌100選」(中経出版)という本も読んだのです。これはCDがついていて、壇ふみが朗読してくれます。カーステレオで聞いていて、ふとデータをつけてみたら、「Artist 壇ふみ」と表示されていて驚きました。その中から家族の短歌を二つ。

たはむれに懐中電灯呑まむとぞする父おやを子がみて泣きぬ    小池光
あなたは勝つものとおもつてゐましたかと老いたる妻のさびしげにいふ   土岐善麿

まったくタイプの違う二つですが。
なぜに懐中電灯を呑もうと思ったのか、不思議ですよね。そりゃ泣くよ子供も平安京。
土岐氏の歌は戦後に読まれたものだそうです。たった一言に妻の思考や佇いが見えるような気がして、非常に印象的。
このところ、やたら短歌ばかり読んでいますね。今は山崎方代です。
CDで聞く短歌、結構いいかもしれません。聞きとばしていた歌がどんどん細部まで見えるようになって、新しい発見があるように感じます。詩歌はやはりリズムでできているのです。

「全盲先生、泣いて笑っていっぱい生きる」新井淑則

2009-04-29 05:00:37 | 社会科学・教育
日本に盲目の教員は、十数人いるそうです。その中でたった一人、盲導犬を連れて通勤する埼玉県の中学校教師新井淑則先生。突然の網膜剥離、手術、失明。絶望のどん底からはい上がってきた先生の強さに、心を打たれます。
国語の教師。作文や採点などは大変でしょう。生徒の表情が見えないまま授業をするのも不安なはずです。
幸い、T-T方式で授業ができるようになり、パートナーの先生との二人三脚でがんばってらっしゃるようです。ICレコーダーや朗読ボランティアの方の支えもあります。指導に使う教科書は点字です。しかし、注釈などは記載されていないのではないでしょうか。
「全盲先生、泣いて笑っていっぱい生きる」(マガジンハウス)。
盲導犬に出会い、家族に支えられて復職するまでの道のりが胸を打ちます。幾度も「死」を思い、絶望と戦った先生。そんな彼を叱咤し、自分も音楽教師として働きながら、三人の幼い子供を育て、決してくじけない奥さんが素敵なのです。
さらに何とか立ち直ってほしいと連絡をくれる宮城先生。盲導犬と出会い、養護学校に復帰。盲学校に転勤になったときには、二時間以上かけて通勤し続けます。
地元の中学校で教えることはできないのか。そう考えてくれた人々の後押しで、現在の学校に転勤することができました。
最初の授業で、トリックアートを使った「盲点」について語り、やがては「死」について考えさせる授業をしてみたいとも語られている姿に、苦悩を乗り越えて前向きに生きていこうとする思いを受け取ったような気がします。
普通中学校の勤務は十五年ぶりという新井先生。パートナーの先生の中にはその年に採用された方もいるのです。ブランクを埋めるのは大変だったことでしょう。
部活で点字を教え、講演もこなされる。多忙の中で本を書く。この本の成立する過程でも数々のご苦労があったことと思います。原稿の執筆、公正、そのほかあらゆることが。世の中で目を使う作業は、とりわけ多いように思いました。
新井先生の今後の活躍を応援します。

「かなしみの詩」上條さなえ

2009-04-28 05:01:14 | YA・児童書
いい本です! できるなら今すぐ続きを読みたいと思うほど。続きは刊行されていないから、前作「10歳の放浪記」を買いに行こうかな。
上條さなえ「かなしみの詩 『10歳の放浪記』その後」(講談社)。最近講談社の児童ものばかり読んでいる気がしますが、充実しているんだよね。
父が事業に失敗し、中村早苗は家を失う。父とのホームレス生活が始まるのです。
ある日、父は早苗に、千葉県にある竹田学園に入るように話します。学園は事情があって親元にはいられない子供たちが生活する養護施設で、途中で学校に行かなくなった早苗は、もう一度五年生をやり直さなければならないというのです。
学園ではいろいろな人が生活していて、山岡くんと妹の友子ちゃんや信頼できる山下先生との出会いもあります。
しかし、男子三人からの嫌がらせや、ふりかけを自慢げに用意する竹中さんに憂鬱にもなります。竹中さんはお金もちのお嬢さんで、早苗のことが気に入らないようだし、男子は「貧乏なのに先生にひいきされている」という理由でいじめているようです。
でもね、彼らが親元に帰りたがっていて脱走するけどいつも失敗し、さらに思春期の入口で早苗に対して興味を持っているであろうことも何となくわかるのです。
早苗は先生からもらったチョコレートをトイレに隠れて食べることができるような子。学園から出ていきたいのに、喘息の母親や家族のために昼も夜も働きづめの姉にはそんなことは言えないのです。
彼女の心を慰めたのは、図書室で見つけた石川啄木の短歌です。幾度も読んで暗唱し、辛いときにそっと思いを馳せる。そして、啄木と自分の悲しみを重ね合わせます。
早苗はプライドの高い少女です。逆境にめげず、夢を追って走ることができます。これは自伝的な作品ですが、今年五十九歳になるという上條さんが少女だったころの日本の風俗や人々の生活が伝ってきます。
たった五十年前。学校に行けない子供も太鼓焼きが食べたいと思う余り自分の耳を傷つけてしまう子供もいたのです。
この本、売っている本屋はわかっているのですが、ちょっと遠い。しかも、借りた図書館は祝日休み。気長に探してみます。とりあえず、上條さんのほかの作品を読んでみるつもりです。

「聖徳太子」池田理代子

2009-04-27 05:53:19 | コミック
「聖徳太子」(フェアベルコミックス)です。池田理代子作。五冊。
実はこういうまんががあることも、一週間前まで知らなかったわたし。尊敬する先輩と話していて、
「まんがばっかり読んでるの」という話題になったのです。
「ほら、あの『ベルばら』を書いた人の、『聖徳太子』! 最近また、読み返したの」
「え? 池田理代子ですか? 『日出処の天子』じゃなくて?」
「違う違う。『聖徳太子』なのよ」
という会話を交わした翌日、貸してくださいました。
読んでみて思ったのは、やっぱり「日出処」とはかなり違うということです。厩戸皇子の顔は似てるのに、周囲の人物も名前は同じなのに(そりゃそうだ)。河勝が嶋に想いを寄せるところも共通していましたが、これは史実では有名なことなんですか?
ただ、中には読みが違っている人物がいました。「調使麻呂」は「ちょうしまろ」ではなく「つきのおみまろ」、「上宮家」は「かみのみやけ」です。
わたしは始めに蘇我馬子を見たとき、「この人って好色親父に違いない」と思ったのですが、各地に妻はいるものの(この時代は当たり前ですから)、とくにそんなこともなかったです。人を見かけで判断してはなりませんね……。

読んでいると、「日出処」のこともいろいろ思い出すから不思議です。
厩戸皇子はどちらでも超能力をもった人として描かれますが、山岸作品は自分が異能者であることに孤独感を覚えて悩むのに対し、池田作品は日常のこととして自然に受け入れているように思いました。
どうなんでしょう。自分が少女の頃に読んだ作品のほうが心に残るからでしょうか。わたしとしては「日出処」のほうがやっぱり愛着を感じるのです。
「聖徳太子」は、時代ものとして書かれていますが、その実近代的な思考が背後に覗いて見えます。だって……「ライバル」とか「ピッチがあがる」とか「プリンス」とか、登場人物が外来語を話すんですよー。わたしは妹子が漢語をしゃべることよりびっくりしました。
言葉というのは、その中に意味を持っているものですから、太子を「プリンス」と呼ぶからには「プリンス」という見方を作者はしているのです。「皇子」でも「皇太子」(ひつぎのみこ)でもなくね。
さて、この話と「日出処」では、どちらが先に発表されたのでしょう。コミックスの最後に掲載が表示されていました。1991年~1994年描き下ろし刊行とか。そーかー「日出処」はもっと前ですね。
わたしはなにしろ少女のころに「ベルばら」を読んでいないので、この作品の真の美学がわからないのかもしれません。でも、人間ドラマとしておもしろく読ませていただきました。

「妖怪アパートの幽雅な日常」⑩ 香月日輪

2009-04-26 05:41:36 | YA・児童書
読み終わりました。「妖怪アパートの幽雅な日常」⑩(香月日輪・講談社)。
あららー、こういう展開だったの? という中盤に、ただただ驚くばかり。最終巻にして、なんでしょう、起承転結の「転」がころがり出た感じです。
正月を迎え、るり子さんの手料理に舌鼓をうつアパートの住人たち。夕士の親友長谷も加わり、どんちゃん騒ぎ! このまま去年のように今年も続いていくんだな……と思う夕士だったけど、まさか、そんなはずはないでしょう。
長谷の祖父が亡くなったとしらせが来たと思う間もなく、今度は長谷の姉が原因不明の腫瘍のために入院。しかし、その原因は……。
人間の執着や無意識の行動について考えさせられる物語でした。祖父が亡くなったことで起きる様々なトラブルに、夕士は自分と周囲の人たちとの出会いの因縁を感じます。
そして長谷のためならすべてをなげうっても構わないということを自覚するのです。
わたし、「妖怪アパート」のラストをこんなふうに想像していました。クリが成仏して、夕士は妖怪アパートから巣立ち、社会に飛び出していく。うーん、違ってましたねー。
本人すら考えてもいなかった未来にあれよあれよという間に連れていかれたというか。あ、本人の意志はあるから突き進んだというほうが近いでしょうか。
最後は夕士の回想でした。今、彼は「大人」としてアパートの宴会に参加していることがわかります。それは、単に酒が飲めるということだけではなく、より彼らに近い存在になったということじゃないかと思いました。
さて、宴会。
るり子さんの手料理、うまそうです。以前、香月さんのインタビューで、実は料理には全く興味がなく、ここに出てくるものも雑誌の記事を参考に書いていることを知り、ちょっと鼻白む感じがしたのですが……。今回は久々にメモを取りたくなる品が多かったですよ。
夕士の退院を祝う食事。「タコと夏野菜のサラダ」マスタード風味のレモンドレッシングで。枝豆とえのきとタケノコの細切りをのせた「スズキの塩焼き、生姜あん」、スライストマトの上にのった「ゴーヤと緑豆もやしと豚しゃぶのおろし和え」、そうめんつゆで作る特製だれで。鶏の唐揚げはをにんにく、ねぎ、生姜と炒め、仕上げに香醋をかけるのも。おいしそうー。手がかかっていますよね。

妖怪アパート、前巻がなんだか内輪うけのようだったので、この巻はどうだろうと思っていました。おもしろかったです。長谷とともに対決しようとするところも、古本屋と旅立つ決意をするのも。
でも、個人的にこの後日談がほしかったかどうかは疑問が残るのです……。
確かに、これまでの伏線をまとめて、気になるキャラクターのその後を知りたい人には満足のいくラストでしょう。でも、わたしはやっぱり、ヤングアダルト世代ではないな、と感じたのがこの終章なのでした。いや、全体に文句がある訳ではないですよ。でも夕士さぁ、小説のタイトルが「インディとジョーンズ」って、どうなの? 読者はこれで許せるの? わたしは青木先生ばりに頭が固いので、「は?」という感じなのですが。
それに世間はフィクションと信じているんだろうけど、自分の体験をベースにした物語しか書けないのはどうかと。
そこまで本気になって考えることではないのでしょうが、違和感残ってます。
十代のうちに読んでおくべき物語というものが、世の中にはあるのものですが、「妖怪アパートの幽雅な日常」は、その一冊だと思います。夕士はアパートに残りますが、わたしは妖怪アパート卒業ですね。

好きな短歌五首

2009-04-25 05:46:26 | 詩歌
短歌、わりと好きです。そらんじている歌が、何かの場面でふと思い浮かぶとうれしいですね。四年前に、短歌の本をざっと読み、以来興味があって手に取るようになりました。
「ドラえもん短歌」「かんたん短歌のつくりかた」枡野浩一(日本で二番めに売れてる歌人のキャッチフレーズ、爆笑です)、「念力家族」の笹公人も、最近は国語のワークに取り上げられているんですよー。「誰だってほしいよだけど本当はないものなんだどこでもドアは」が、めちゃくちゃ気に入った男子もいたものです。
好みの短歌を五首選ぶとすると、どんな歌が浮かぶでしょうか。
わたしの選んだ五首は、これ。

観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)   栗木京子
恋する女の子の心情がものすごくよく出ている一首。観覧車のあの独特の速度で次第に高められていく心も、相手には自分ほどの思いはなさそうなところも、読みとれてしまう手腕はさすがです。華やかでどこか淋しい絵が浮かび上がってくるようです。

かがやける少年目よ 自転車を買ひ与へんと言ひしばかりに      宮 柊二
うちの息子も自転車大好きです。まだ幼さが残る少年が、父親から自転車を買ってやろうと言われて目を輝かす、そんな表情が見えてくるように思いました。

書くことは消すことなれば体力のありさうな大きな消しゴム選ぶ     河野裕子書くことは消すこと……ほんとうにそうですね。推敲の大切さと、よりよいものにするためには些細なこだわりを抜きにして大局を意識するべきだと思いました。体力も気力も、必要だねー。

「ドラえもんがどこかにいる!」と子供らのざわめく車内に大山のぶ代     笹 公人
笹さんの視点は独特で、すごくおもしろい。ある意味メジャーすぎる作品ではありますが、中学生に短歌の可能性を知ってもらうにはいいんじゃないかと思うのです。

むくろじの森の冷たさすきとおり魚ともならんひとりを待ちて    馬場あき子
「むくろじ」、うちの庭にあります。この木が茂る森なら、やわらかくてきれいでしょうね。その中で恋しい人が現れるのを待っている。でも、その人は多分来ないのです。待っている間の森閑とした淋しさが、胸にしみとおる。魚になってしまうほどの歳月でも、恋を捨て切れない乙女心を感じます。

以上。

「猛女とよばれた淑女」斎藤由香

2009-04-24 05:47:21 | 歴史・地理・伝記
斎藤輝子ときいて、すぐに誰なのかわかる方、さすがです。
ヒント:青山脳病院。幼な妻。ダンスホール事件。アララギ。北杜夫。
そう、歌人斎藤茂吉の妻であります。この本は、茂吉の孫娘(でも死後に誕生しているので面識はなし)由香が祖母について書いたもの。タイトルは「猛女とよばれた淑女」(新潮社)。
輝子といえば、茂吉が養子になると決まったとき、わずか八か月の赤ちゃんだったということくらいしか知らないので、ちょっと読んでみようと思ったわけです。でも、以前「窓際OL」がマカの販売促進メインだったことに辟易したので、不安ではありました。
輝子の海外旅行のエピソードが続くので、しばらくほうっておいたのですが、そろそろ図書館に返却しないと……。せめて、茂吉のところだけでも読もうかなーと思って第三章から読み始めたわけです。
そしたらおもしろいの! 親族ならではのエピソードがたくさん紹介されていて、茂吉の鰻好きとか杜夫が父の文学をたいそう崇拝していたとか、卒論で茂吉をやろうと思ったら知らない歌の方が多くて、やっと見つけた親しみのある歌は、
みちのくの母の命を一目見ん一目みんとぞいそぐなりけれ
だったので、興奮して親に話したら、「ひとめ」を「いちもく」と読んでしまったとか……。(一般に流布している歌とは結句が異なりますね。推敲前なのでしょうか)
しかし、この本がすごいのは、「斎藤家」というブルジョアが時代の中でどう動いてきたかを考えさせるところだと思うのです。ご存知のように、茂吉の二人の息子は文筆の面でも著名であり、長男茂太は精神科医として精力的に働いています。
三代めにあたる由香は文筆もこなしますが、茂太の系列は医師としての仕事に専念。由香は自分も精神科医になるべきだったのかと思うエンディングが、輝子と茂太の死を悼み、荘厳な感じがしました。
なんといっても、輝子が自分への言葉に「です」を許さなかったというのが、驚きです。「ございます」「さようですか」というように、と。
さらに、斎藤家の方々は、「パパ」「ママ」「おばあちゃま」と呼び合っていて、わたしにはかなり驚きです。
だって、第一章あたりでは躁鬱病のために破天荒になっている杜夫なんですよ。しかも、うちよりも阿川さんの家の方がめちゃくちゃだなんて言ってるし。
わたしは杜夫作品を読んだことがないのですが(「楡家の人々」挫折しました)、ここでは作家北杜夫よりも、個人である斎藤宗吉を描いている感じが強いと思いました。
斎藤輝子という女性は、茂吉の「悪妻」として世に知られています。けれど、そう呼ばれることに甘んじた輝子、晩年の茂吉にかいがいしく尽くしたという輝子の姿も、この本からはたちのぼってくるのです。
斎藤茂吉。遠い昔の人だと思っていましたが、結構地続きなんですね。短歌の本を何冊かめくったら、ユニークな作品も目につきました。茂太さんの作品はとっつきやすそうなので、読んでみようかしら。

「定ときみ江」段 勲

2009-04-23 05:26:39 | 歴史・地理・伝記
しょ、書名が読めませんっ。「定ときみ江 『差別の病』を生きる」(段勲 九天社)。
最初、サダさんとキミエさんという二人の女性が、ハンセン病に罹患したことで苦労した物語なのかと思ったのですが、実はご夫婦なのでした。とすると、定さんはなんて読むの? どこにもふりがながないし、amazonで検索しても読み方は書いていません。サダでいいのか、テイとかサダムとか違う読みをするのか迷います。考えすぎなのでしょうけど、固有名詞は一応確認したいのです。
舞台は多摩全生園。静岡出身のきみ江は、22歳でハンセン病と診断されて入所します。そこで親しくなった人に紹介されたのが、8歳上の山内定。二人は結婚します。
同じ時代に松木信さんもいたんだなーという思いで読みすすめるわけですが、自治会が活性化したことにちょっとふれている程度でした。
二人とも、幼いころから病気の兆候があって、体をつねられても痛さを感じることがない。きみ江は冬場に雑巾を冷たい水の中で絞るのも平気だったし、炎症をおこして足の骨まで見えるようになっても気づきません。
さらに定は、造船所で働いているとき、足場の上から焼けたボルトが落ちてきて太ももを直撃。それでも気づかないで作業するうちにきな臭いので足を見ると作業ズボンが燃えていた、というエピソードが! うわぁー、痛い、痛すぎです。
ハンセン病元患者ということで受ける様々な差別。買い物に行けばお釣りを放り出すように返され、定職に就くこともできません。Hさんという方は、栗生楽生園に知り合いを訪ねるとき、バスに乗るのも拒否されたと聞き、とても辛くなりました。
この病気は感染力も弱く、隔離される必要は全くないのです。そうと知っていながら、終生の強制隔離を断行したことに、怒りを感じます。
光田健輔。ハンセン病に関わる文献を読むと必ずというほど上がる名前です。きみ江も、「光田」と呼び捨てにするほどだったと言います。その後信頼できる医師に園から退所して自立したいと相談しているところを見ると、医師対患者という見方だけではないことがわかります。彼は、なぜそんなにも隔離にこだわったのか。さらには子孫を残すことまで禁じています。
ハンセン病についてのパンフレットを見た人が、「でも、隔離したから病気の撲滅につながったんだよね。必ずしも全部悪いとはいえないと思うなー」と話していて、愕然としたことがあります。違う! 栄養が行き届くような世界であれば、ハンセン病は深刻化しないのです。抵抗力のある大人にはうつらないこともわかっているのです。
現在、元患者たちは高齢化が叫ばれ、この事実を風化させないための取り組みが行われています。
差別や偏見にめげず、パソコンを覚えたり海外旅行に挑戦したりする山内きみ江のバイタリティに、勇気づけられました。

「妖怪アパートの幽雅な生活」⑨  香月日輪

2009-04-22 05:35:08 | YA・児童書
あと一冊! シリーズ最終巻までカウントダウンの第9巻、香月日輪「妖怪アパートの幽雅な日常」(講談社)を読みました。
いいところで終わるなよー。でも、借りてあるからまあいいや。(車の中ですが……)
今回は、夕士高三の文化祭が舞台。クラスでは模擬店「学生服喫茶」をやることになり、夕士もウェイターをすることに。メインは千晶の白い学生服姿。発起人の田代は、張り切ってプランを練りますが、同じ頃、クラスのみんなのところに中傷メールが届くようになり……。
で、夕士は携帯持っていないわけです。現国のノートの表紙裏に、「お前が大学? 笑える」って落書きされるの! おかしー。
今回は、ネットで問題になっている中傷メールや、学校裏サイトに言及しています。
このシリーズ、結構説教くさいよねー(笑)。でも、納得できるのでこれはいいと思うのです。わたしが駄目なのは、テンション高い仲間内の関わりでしょうか……。千晶先生は確かに素敵だとは思うのですが、何もそこまで神格化しなくとも。
あと、わたしは神谷さんがわりと好きなんですが、今回はちょっと違和感を覚えました……。
全体的に個人情報もらしすぎなのでは。神谷さんが母子家庭だとか千晶先生がクラブの経営者だったとか、夕士、それ黙っていていいんじゃない? と思うエピソードも多い気がします。ただ、それはわたしが大人だから思うことであって、読者にはそこも魅力的なのでしょう。
青春を描く作品は、どこかに拭い去れないしこりがあって、それが胸に刺さるのだとわたしは思います。「妖怪アパート」は間違いなくその資質を持っているし、たくさんのひとを虜にする作品だと思うのです。学校図書館必携!
ただ、自分の本棚にはあまり置きたくない気もします……。

「だんだん」下巻

2009-04-21 05:51:11 | 文芸・エンターテイメント
「だんだん」の下巻を読みました。
ドラマを見逃した部分が、なんか埋まってきました。ちょこちょこわからないところがあったので、すごく気になっていたのですよ。
例えば康太さん。いつの間に「一条」にいて、のぞみと結婚することになったの? 忠と嘉子さんの離婚問題は? その赤ちゃんは誰の子? 健太郎の奥さんって美香ちゃん? 舞妓やめたの?
大体においてなぜスイートジュノが解散宣言したかもわからないわたし。(予告でそのアオリをずっとやってたイメージがあるんですが)
……すっきりしました。上巻を読んでそんなに月日がたっていないので、読みやすかったです。
しかし、デュエットについても、のぞみは基本的なことが身についているけどおもしろみに欠け、めぐみは自由で味があるけど基礎が甘い。そんな設定があるとはついぞ知りませんでしたよ。最初からその演出で演技していたのでしょうか。いや、でも歌聞いただけでそんなこと全くわからないよ。(耳のいい人にはわかるの?)
二人がもとの世界に戻ってからは、オリジナル曲「いのちの歌」メインで、他のカバー曲は歌われなくなっているなーとは思っていたのですが、こうやって紙面でみてみると、それをさらに感じます。
ラストの康太を必要としていることを告げるのぞみのシーンがカットされていたのが残念です。
ところで、石橋さんて何歳なんでしょう。康太より年上なんだよね。康太は俊の「先輩」なんだよね?
ドラマの石橋さん、すごく若く見えるので、余計そう感じます。