くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「変わる家族変わる食卓」岩村暢子 その1

2010-06-08 07:21:12 | 社会科学・教育
以前岩村暢子さんの本がおもしろかったので、これも読んでみました。「変わる家族変わる食卓 真実に破壊されるマーケティング常識」(中公文庫)。
朝の読書の時間を使ったので、非常にスローリーに読んだのですが、考えさせられました。
1960年代以降の主婦が家庭で作る料理について調査した結果をまとめたレポートです。
この調査は、アンケート紙・実際の食卓の写真一週間分・主婦からの聞き取り(乖離や矛盾点などについての質問)で構成されているのですが、主婦たちの意識のありようが様々な形で出現していて、読みごたえがあるのです。
レポートされる食事内容は、おそらく自分の親世代が見たら怒り出しそうなものも多く、もはや、「献立」とはいえないような取り合わせすらあります。
例をあげると、「おはぎとチョコパンととうもろこし」「おでんと味噌汁とジャムトーストとミルク」「宅配寿司とキムチ豆腐チゲ」「オクラとウインナーとトマト、刻み海苔が載った冷し中華」……。目玉焼きや焼き魚も大皿に盛り付けられ、夕ご飯なのに鯵の開きが出る……。
うちでこんなことをしたら、考えただけでも恐ろしい。
でも、このメニュー、何となくカリスマ主婦の料理本から影響を受けている面もあるような気がしました。
ワンプレートに様々な盛り付けをしたり、自分の好きなものをチョイスできるスタイルにしたりするのは、栗原はるみ「すてきレシピ」あたりでよく紹介されていたような?
でも、実際に作るとなると、どうしても「亜流」になっていくものです。材料や家族の好き嫌いに合わせているうちに形骸化していく。
この「好き嫌い」にたいしても、現代の家族は頓着しないということも書かれています。無理に直そうとはしない。食べられないままでもいい。ストレスをためるのはよくないんだそうです。
中には、苦手な食物をみじん切りにして気づかれないように食べさせるという人もいますが、年々減少傾向にある。
「グルメ」を自称しながら、単に「新製品をチェックしたい人」だったり、「手作りにこだわる」というのは趣味のお菓子だったり、「みそまで自家製」といって、味噌以外は既製品がメインだったり。
そんな事例が報告されるなか、ふと佐々木倫子の「忘却シリーズ」の一話を思い出しました。その人は、「上」と「極上」の区別がつかないことを嘆くのです。でも今や、「上」すらわからない人が増えているのではないか。というよりもそういう味の捉えに拘泥しない人が多くなったような気がしてきました。中には面と向かって、食べるものにはこだわらないという人もいる。いや、食べ物にうるさく言う人は品がないなんて言う人すらいるらしいです。
続きます。