くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

神永曉講演

2015-11-30 05:28:56 | 〈企画〉
 言葉についてのコラムが大好きです。神永先生の講演、心にずっしりと響きました。
 神永曉(さとる)氏は、小学館の辞書編集者。出版局のチーフプロデューサーを務めてらっしゃり、三十六年間辞書一筋だそうです!
 「舟を編む」の取材で訪れた三浦しをんさんのことなども織り交ぜながら、楽しいお花をしてくださいました。
 十九世紀イタリアでは、罪人に辞書の編集作業をさせていた。「谷」を「や」と読むのは方言からきている。「横入り」も方言だが、「黒田官兵衛」で使われていてびっくり。なんていうエピソードもおもしろかった。
 辞書には「小型」(編集に費やすのは3~5年。およそ7~9万語収録)と「大型」(こちらは十年以上を費やし、五十万項目ほどを収録)があり、前者は小学生から使うようなものなど多数、後者は「日本国語大辞典」が代表的だそう。「広辞苑」は中型で23から27万項目あるんですって。(「大渡海」は「広辞苑」や「日本国語大辞典」をイメージしているとか)
 また、辞書の骨格は「用例」。しをんさんのお父さんもこの作業に関わったことがあるそうですから、それが作品の起点になっているのかもしれませんね。
 最古のものは聖徳太子の時代。様々な資料から探していきます。
 言葉とは揺れがあるものなので、誤用が一般化することもよくありますよね。
 例えば「他人事」を「たにんごと」と読む人が増えてきたとのことで、「空見出し」で対応するそうです。
 
 また、昨今の国語教育について、文章を読ませることが中心になっているため、語彙の指導も大事にしてほしいとおっしゃいました。
 小学生が辞書の勉強をするとき、見出し順位を問うものがあるけれど、それをテストするのもどうかと思われているようです。
 辞書に載せなければならないから順序をつけているだけ、とのことですが、外国語の掲載順なども難しい。「レインコート」を「レーンコート」と書くと、入る位置が変わります。
 日本語でも「十手」なら「じって」「じゅって」と読む人がいる。
 そして、辞書は発行と同時に改訂作業が始まるのだそうです。削除項目として「グルップ」とか「時文」とか出てましたが、し、知らない……。
 辞書の項目を読み比べるのもおすすめとのことですよ。「右」「左」をどう紹介するかも考えて書かれているのです。
 辞書の海は広くて深いと感じました。新しい辞書を買おうかと思います。

「聖母」秋吉理香子

2015-11-29 08:48:56 | ミステリ・サスペンス・ホラー
 新刊の帯に、ラストで世界が一変するとあったので、眉に唾して読んだのですが、いやー、見事に騙されました。
 仕掛けの半分は「そうかな?」と思っていたのですが、それを否定する描写の数々に疑いを解いたのです。読み返してみるとなるほど! と膝を打ちました。結構思い込みで読んでしまうことって、あるのですね。

 秋吉理香子「聖母」(双葉社)です。
 剣道部副将の真琴と、翻訳を仕事にしている保奈美のパートが交互に描かれます。
 不妊治療の末に授かった娘を守ろうとやっきになる保奈美。市内では幼児が殺害される事件が起こり、危害にさらされるのではないかと気が気ではありません。
 また、子どもたちに剣道を教える真琴も、被害者が教え子の友人であると知らされます。
 事件を追う二人の刑事は、ジェンダー談義を交わしています。
 なぜ「聖母」なのか。誰がそうなのか。
 真琴の言い知れぬ孤独と焦燥は、何が起因なのか。
 そういう謎の断片が、彼女の想いとして結びついたとき、わたしたちは真実を知らされます。

 この作品、「イヤミス」的な面があると毎日新聞の記事でも紹介されていました。秋吉さん自身、不妊治療の経験をもつそうです。
 また、光があるところには影があるものだというお話をされていて、なるほどなぁ……と感じました。
 話題になるのも分かります。

「その時の教室」谷原秋桜子

2015-11-27 22:11:59 | ミステリ・サスペンス・ホラー
 学校ミステリと聞いて買ってしまいました。わたしは学校ものに弱い。
 連作短編四本の主人公は、いずれも教師です。「ウェディングセレモニー」という断章でつながれていますが、もともとは独立した短編だったようです。
 ストーカー被害に悩む美紀は、知り合いのいない埼玉の高校に勤めることにします。部活は演劇部を担当しますが、部長の瑞希にはなにやら秘密があるようで……。(「裏は違う顔」)
 読み始める前に、作者から「本を放り出したり、破り捨てたくなったり」するかもしれないというメッセージがあったので、どきどきしたのですが、わたしは別にそういうことはなく……。
 どの辺りですか? 周のこと? (「その時」)
 エクセルのオートフィルって、そんなこともできるんだなーと驚いた「桃里記」。嫌われていた同僚が実は人情のある一面を持っていたことに気づくストーリーなんですが、このパターンは「その時」にも「三十九枚の告発状」にもありますよね。
 わたしとしては、この「三十九枚」がもっとも印象的でした。
 帯によれば、「試験問題を配ったというのに、なぜ生徒は誰も解き始めようとしないのか」。
 ちょうどうちの学校でも試験が終わったところなので、この印刷方法わかりますよ。わたしは問題が見渡せるように順序を変えたり表紙をつけたりしますが、同僚がこの土肥原先生方式を取り入れていました。
 見方が違うと人物像も異なって見えるのですね。
 舞台は宮城県南の海岸線の街だそうです。この街もまた、「その時」を迎えたのでしょう。
 震災をモチーフにしたこの物語、いろいろと考えました。
 ところで、福島の入試制度は三期なんですか。考えてみると、他の県がどういう方法を取っているか、よくわからないですよね。
 谷原さんは初読みですが、現場の描写はよく知っているなーと感じました。
 

「がらくた屋と月の夜話」谷瑞恵

2015-11-26 20:11:10 | 文芸・エンターテイメント
 表紙は中村佑介さんのイラストです。
 これに引っ張られて、主人公のつき子はすっかりこういうイメージでした。回転ジャングルジムとかヴォルペルティンガー(角ウサギ)とか、数々のがらくた(ブロカント)とか、小道具も効果的にちりばめられています。
 会社員つき子は、ピンチヒッターとして合コンに参加しますが、後輩と勘違いしたらしい弓原という男からメールがきて困惑します。
 同じころ!夜の公園でトランクに入れたブロカントを売る老人河嶋と知り合ったのですが、大切にしていた指輪をなくしてしまい、なんとかそれを見つけなければならないと店に通ううち、河嶋の息子だという天地と出会うのです。
 親子という割にぎくしゃくした雰囲気の二人。教師である天地は、すぐ近くの工業高校に勤めているためか、教え子がやってきたり、友人が現れたりもします。
 どうやら天地は施設で育ったらしいことが、だんだんとつき子にも分かってきます。また、メールをくれた弓原というのが、天地のことであったことも。
 河嶋という父親がいるのに、一緒に暮らさなかったのはなぜなのか。二人の苗字が違う理由は? つき子の指輪はどこにあるのか。
 そんな秘密が気になって読んでしまいます。
 一話一話にブロカントをめぐるショートストーリーが語られるのも、ファンには嬉しいでしょうね。
 わたしは、不器用なつき子が次第に天地に惹かれながら、自信がもてずにためらうところがたまりませんでした。
 二人の距離が近づくのが楽しみな物語です。

 

「白をつなぐ」まはら三桃

2015-11-21 12:05:30 | YA・児童書
 車の点検に来ております。
 待ち時間に読んでいた「白をつなぐ」(小学館)に涙、涙……。そんなときに「もう少し時間かかりますー」なんて声をかけられて、恥ずかしいことでした。
 でも、すごくいいですよ! わたしも駅伝ファンとして、皆様に読んでいただきたいです。

 最初の場面で、中学生の山野海人がトラックを反対に走り始めたときには、「逆走なんてケガするじゃんよ!」と焦ったのですが。(陸上部コーチには、逆走する場合は外周か芝生を走るように言われているので)
 ついでに、メンバーが十人くらいいるので、誰が誰だか判別つけにくかったのです。
 とりあえず、山野ともう一人の中学生佐々木和はわかります。そして、控えの斎藤くん。(彼もいい味出していますよ!)
 大学駅伝のエース水島。それから古株の吉竹。
 高校生が何人かいて、監督の熊沢のチームから沢田(元悪ガキ)、谷山(歴史小説好き)、公立高に所属する川原(かっこつけ)、あとは合宿に来ている生徒か。
 彼らが、都道府県対抗男子駅伝を走る物語です。
 一月の広島。彼らに託されたたすきはどうつながれるのでしょう。

 わたしが涙したのは、ひねくれ者の吉竹の変化です。
 彼の心境が伝わってきて、自分も一緒に走っているような思いがしました。
 「白」は、熊沢がこの大会のテーマに選んだものですが、選手の七人全員が、自分の中に「白」を持っていることを感じました。

 女子の都道府県は先日終了しましたね。中学生枠で、当時の勤務校から出場した選手がいました。そのときの宮城県はとても強くて、今でも時々思い出します。
 最近では二年連続して出場した三浦さん。大会でよく応援していたのでこれからも頑張ってほしいな。
 長距離は、地道な努力が実を結ぶ競技だと思います。
 わたしたちも何かを、次の走者に渡すために過ごしているのではないでしょうか。
 

「アサギをよぶ声 そして時は来た」

2015-11-19 20:05:47 | YA・児童書
 待望の「アサギをよぶ声」(偕成社)最終巻です。
 エマさんの挿絵情報で出版を知ってから、ネット注文して楽しみにしていました。
 ところが、届いたという連絡をもらってから本屋に行く暇がない!
 職場からすぐ近くにある本屋なのに、ですよ。
 で、やっと読めました。おもしろかった。

 小舟の女ナータとともにとが村に向かったアサギは、生き口のふりをしてサコねえの行方を探しあてます。
 そして、ハヤの捕まっている小屋にも近づくことができたのですが、そこで不穏な話をされます。
 とが村は合戦をしようとしている。今作っている柵はその備えだ。三つの村が結集して一気に撃退しなければならない。
 希望的観測をしていてはいけないとさとし、ハヤはアサギに村を守れと言うのです。
 アサギに託されたその重い責任。苦しみながら約束を果たそうとする健気さが胸に迫ります。
 また、とうとうアサギは自分の心に住む人に気づきます。娘らしくなった彼女は、髪型も変化していますよ。
 児童向けなのであっという間に読めますが、密度が濃いです。
 塩と交換するために策略をめぐらしたヨシには嫌な感じがしましたが、ラストの行動は雄々しくて見直しました。
 

「止まった時計」松本麗華

2015-11-18 20:52:12 | 哲学・人生相談
 りかさん、と書いてみます。最初「れいか」かと思ったのですが。
 白を基調にした表紙カバー。ショートカットの女性が写っています。「止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記」(講談社)。
 筆者の松本麗華は、オウム真理教の「正大師」だった少女です。
 麻原や教団幹部が捕らえられて、唯一の「正大師」となった彼女は、学校からは入学を拒否され、住民からは立ち退きを要求される。自分が「アーチャリー」であることを隠したい。でも……。
 教団から離れ、心理学の勉強を続けているという彼女ですが、なかなか自分の想いが成熟しきれないもどかしさを抱えているように感じました。
 アーチャリーと呼ばれた少女が、もう大学も卒業して二十代も後半の年頃というのに驚きました。なんとなく子役出身の俳優さんがイメージを払拭できないような感じ?
 ただ、りかさんは教団からの呪縛を感じていて、自分の名前を利用されたり事実からは遠い内容を報道されたりすることにひどく傷ついています。
 学校に通うことができなかった彼女は、年長の信者から勉強を教えてもらうのですが、学齢期にはなかなか学力が伴わなかったようです。当時の文章はひらがな主体でした。
 合格しても大学からは入学を拒否され、それでも学ぶために裁判を経て1ヶ月後の入学。部活やアルバイトでも、身元がわかると周囲の様子が変わる。
 それでも、偏見なく接してくれる人はいる。
 読んでいて思うのは、父親に対しての敬愛が強いということですね。
 彼女はオウムを信仰しているというより、父親への信頼感が強いのではないかと思います。継承しているという団体とは距離をおいていますし、何より母親との確執が強い。
 サリン事件なども、父親の指示とは信じていないので、側近の意図が絡んでいるのではないかと思わずにはいられない。
 苦しいと思います。これからどうやって生きていくのかも。まだまだ先は見えないのではないでしょうか。
 
 

「交換殺人はいかが?」深木章子

2015-11-17 20:27:03 | ミステリ・サスペンス・ホラー
 深木章子というと「鬼女の家」が思い出されますが、借りたことはありますが、読まないまま返してしまいました……。
 イメージがまるで違う「交換殺人はいかが? じいじと樹来とミステリー」(光文社)を読みました。書店で見たときから気になっていましたが、このサブタイトルに躊躇してしまい……。
 じいじというのは、元捜査一課の刑事君原。定年退職後妻を亡くして一人暮らし。そこに、小学六年生の孫が時々泊まりに来るのです。樹来というのが彼の名前。七月生まれです。わかります? 妹は「麻亜知」(March)ですよ。
 このネーミングが気に食わない君原は、息子夫婦と多少疎遠になっていたのですが、推理作家を目指す樹来は実際に祖父が遭遇した事件を知りたくてやってくるようになりました。
 密室、幽霊、ダイイングメッセージ、交換殺人、双子、童謡殺人と、君原は自分の経験を思い出しながらなんとか樹来の期待に応えようとするのです。
 そして、樹来はその事件に新しい角度からスポットを当てて真相を見つけるのです。世間では犯人と思われていない人が実は……。
 わたしとしては、童謡殺人がテーマの「天使の手鞠唄」がおもしろかった。引用された歌は「イチレツレンパン破裂して」! 引用元は高島俊男先生の「お言葉ですが」です。
 会社の派閥争いで敗れた一派の復讐劇。若き日の君原の失敗は、狙われた夫人の警備を任されながら睡眠薬で眠らされてしまった経験です。
 樹来はそんな祖父の悔恨を鮮やかに解きほぐすのでした。
 孫にめろめろな君原。これは深木さんが六十過ぎて執筆を開始したことと関連するのでしょうか。
 読んでいると、回転寿司の帰りにドーナツショップに寄りたくなりますよ。

「にょにょにょっ記」穂村弘

2015-11-16 05:52:20 | エッセイ・ルポルタージュ
 三冊めです! 「にょにょにょっ記」(文藝春秋)。
 穂村さん、相変わらずいろんなおもしろいことに遭遇しています。
 若者との会話。
   ほ「暖かくなって半袖を着るだけで、なんだか気分がうきうきしてくるね」
   若「お猿みたいですね」
    お猿?
    それは「うきうき」じゃなくて「ウキッウキッ」だろう。
 に、大笑い。
 あと、「わたし、リカちゃん。趣味は短歌。将来の夢は歌人よ」にも笑っちゃいました。そのあとの、「無理か。無理だ」も好き。

 テレビドラマで音楽室のモーツァルトの肖像画を見たあと、「どうして音楽室だけなんだろう」と考える。
 理科室にキュリー夫人の肖像画はない、から始まって、体育館にはジョーダンやコマネチの肖像画はないし、家庭科室にも小林カツ代や平野レミはないと続きます。美術室にだってピカソの肖像画はないではないか、と。
 い、言われてみれば……。
 でも、本校の音楽室には音楽家の肖像画はないですねぇ。今まで気にしたことなかったけど。
 
 「若者よ蛇をとれ!」が「舵」の間違いなのは途中でわかるのですが、フジモトマサルさんの挿し絵がすごい可笑しい! 大蛇の背中で舵をとる姿が……。
 で、京都の電車の中のアナウンス「神仏を見かけた方は駅係員までご連絡ください」に、「さすが京都」と感激しています。
 ……それは、「不審物」ですよね? わかってやっているのか、その抜け具合がすばらしいと思うのです。
 谷川俊太郎さんのおでこを、どさくさに紛れて触ったというのは、不慮の出来事ではなく、あわよくばという感じがします(笑)。
 四冊めは「にょにょにょにょっ記」? 五冊めは「ごにょっ記」でどうでしょう。

「発達障害児へのライフスキルトレーニング」

2015-11-15 19:17:34 | 社会科学・教育
 特別支援教育に関わるトレーニングの方法を知りたくて借りてきました。平岩幹男「発達障害児へのライフスキルトレーニング 学校・家庭・医療機関でできる練習法」(合同出版)。
 結構長いこと支援教育には関わってきたのですが、どうしても作業実習活動を中心にしてしまうのですよね。教科の授業はもちろんやりますが、スキルアップとか何かしら参考になる本が読みたい。
 やってみたいと思ったのは、まず「13歳のハローワーク」を使っての職業適性です。自分に向いているかどうかを付箋で色分けしていくことで発達やコミュニケーション特性が分かるということで、さっそくやってみました。
 なにしろたくさんの職業があるので、どちらともいえないところは付箋なしにしたのですが……。
 そしたら、向いていないところだけ二三枚ついている感じになってしまいました……。やっぱり選択が大切だと思います。
 
 交互に質問を繰り返すトレーニングもやってみようと思います。
「先生は果物だと桃が好きです。佐久間くんは?」
「ほくはりんごが好きです。野菜だとトマトが好きです。先生は?」
 と、しりとりのように次々質問する。
 他のページには、好きな食べ物の他に嫌いな食べ物や、スポーツについて、芸能人、将来してみたいこと、楽しかった思い出を聞きながら子どもの問題点に迫っていくことの必要性が書かれていました。これも参考になりそうですね。
 平岩さんは、こういう世間話が対人関係の潤滑油になると仰います。なるほど。世間話ができないような関係では、関係性が煮詰まったり希薄になったりするそうです。
 だから、唐突に問題点に入ったり、善悪の判断を押し付けたり、結論を急ぐことはしてはいけない。
 わたしたちは「少しでも子どもが将来への展望を持つことのお手伝いをする」のだという表現に、心が軽くなりました。
 わたしはどこまで厳しくて、どこまで許すのがいいのか、その子にとってどうすればいいのか戸惑いを感じていました。
 同時に「教育虐待 教育ネグレクト」(光文社新書)も読んだのですが、子どもの自己肯定を高めるのは難しい面があるなと感じます。
 日々勉強ですね。頑張ります。