くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「しずかな日々」椰月美智子

2010-06-29 04:38:27 | YA・児童書
つい、読んじゃいました。二ページほどめくったら止まらなくなってしまって、朝は5時に起きて読みふけりました。やっぱりいいー! 椰月美智子の最高傑作だと思います。やっとやっと文庫になったんだもん。待ち切れなくて単行本買おうかと本気で思った矢先です。
学校用にもう一冊買おうかと思ったら、フェアやってないせいか置いてないよ講談社文庫……。
「しずかな日々」。少年の日の思い出を、主人公枝田光輝が淡々と話す構成なのですが、とても輝いていて、静謐なドラマなのです。
以前読んだときも「母と子の別れ」を描いた作品だと思ったのですが、再読すると母の背景がある程度クリアぬるような。押野の名前を聞いたのも、姓名判断をしていたんだよね。宗教家になった母について、息子が振り返る側面もあるかも、と思いました。
枝田にとって、母と別れて暮らすのは「最悪」の想像だったはずなのに、いざおじいさんのところで暮らし始めると、母からはどんどん遠ざかっていくような気になります。ほんの十日ほどなのに、母は変わったと彼は言いますが、実際には枝田本人も変わってきているのです。
かつて、空き地で野球をするためにバットがほしい。そういうと、母は封筒に一万円入れてくれました。そうして買ったバットは、「最初で最後の」プレゼントだったと書いてあったのですが、その後誕生日に自転車をもらったよね? これはみどりさんが選んだから違うのでしょうか。
それにしても、この家の涼やかさはどうでしょう。わたしも日本家屋に住んでいましたが、夏は暑かったよー。裏は竹林で緑も多いと思うのですが。そうそう、雨戸もありました。
おじいさんの漬け物と、大きく握ったおにぎり、食べたいです。
横道ばかり書きましたが、枝田は、押野と出会ったことで、世界が開いたのだと思います。それまで、母の世界と重なりあいながら生きていた少年。この出会いがなければ、おそらく枝田は母について行ったのでしょうね。何の疑問もなく、そうやって暮らし続けたことと予想します。でも、友達によって社会とつながった枝田には、母の姿が嫌なものとして写るようになるのです。
押野にも父親はいません。お菓子作りの上手な姉がいますが、家庭的な面では二人の家族は似ている。父親が物心つく前に亡くなっていることも共通しています。しかし、二人は全くタイプの違う少年です。でも、何か気が合う。
隣の校区の六年生、じゃらしとヤマもいいです。グッピーの水槽を囲んで、楽しそうに縁側にいる四人。半年前まではおじいさんのことも枝田のことも知らない子供たちが、なかよく漬け物をかじって笑いあっている。
「しずかな日々」は、彼が択びとった道。もう一方の道は、おそらく喧騒に満ちているのでしょう。
いいなあ。もっとずっと、この世界にひたっていたい。そんな気持ちになります。好きな文庫だけを入れる本棚に、大切に並べたい作品です。

「高校生レストラン、本日も満席。」村林新吾

2010-06-27 05:43:51 | エッセイ・ルポルタージュ
最近「ミスター味っ子Ⅱ」をつまみ読みして、なんとも嫌~な気持ちになったのです。どうしてそんな気分になったかというと、天才料理人である先輩が、自分の意に添わない要求をする学校経営者に退学を告げ、後援してくれる人とともにレストランを始めることにするのですが、陽太(「ミスター味っ子」の主人公だった陽一の息子)との料理対決でレストランごと壊してしまう、という話があったからだと思うのです。
いくら天才でも、こういう少年たちを礼讚していいのか、もやもやした気持ちが残りました。だってそのお金は、後援している人が出したんでしょう? 開店を楽しみにしていた人だっていたはず。
天才料理人って、それだけでいいのか。何をやっても許されるというのは、まじめにこつこつ取り組んでいる人に失礼だよね。
ということで(?)村林新吾「高校生レストラン、本日も満席。」(伊勢新聞社)が、ものすごくよかったのですっきりしました。そうだよね、下ごしらえは大事だよ。単調な仕事かもしれないけど、ここで手を抜いてしまうと料理に影響が出るのです。
この学校の生徒たちは、年中無休状態でレストランを経営しています。価格は千円。八分内にお客さんに出すことを目標に、手際のいいコンビネーションで料理を作るのです。
以前、レシピ本を読んだときもおもしろかったのですが、どうしてこの本をこれまで放っておいたのか、後悔してしまいました。
相可高校食物調理科の生徒たちが、クラブ活動として行っている「まごの店」。この試みを実現するために、どんな人たちが協力してくれたのか、村林先生の経歴とともに紹介されていくのですが、語り口がたいへんにおもしろい。
辻調理専門学校で培った技術や心くばりはもちろんですが、教壇に立ち様々な人と触れ合う中で話術にも磨きがかかったのでしょう。
起承転結がはっきりしていて、充実した講演を聞いたような気持ちになります。
中途半端な新入生が、周囲に感化されて料理に打ち込むところ。コンクール目指しての失敗談。設計も工業高校に依頼。
いろいろなエピソードがありますが、亡くなったお父さんの思い出が、やはり胸に迫ります。
辻調での多忙な毎日や、「料理天国」(あったあった、懐かしいなー)でのアシスタント経験などもおもしろい。
天才には及ばないと感じた、剣道部での経験も、印象的です。「限界まで努力してできる精一杯の範囲を自覚し、そのなかで最高の仕事をすることが自分の道であると悟ったのです」
か、恰好いい!
努力に勝る天才なし。自分のやるべきことをきちんと仕上げていくこと、結構大変ですよね。でも、その姿勢があるからこそ、信用があるのだと思います。
で、ふと気づいたのですが、わたしの読む本って教師ものが多いですよね……。

「お父さんが教える読書感想文のかきかた」赤木かん子

2010-06-26 05:53:00 | 社会科学・教育
ああっ、「この本を選んだ理由」! そんなもんなくていいから本題に入れ、とわたしなら言いたい。
だってべつにそんなこと知りたくないもん。感想文は、基本的には生活文です。そうでないと表面的なものになる。
でも、なんとか三枚の原稿用紙を埋めようという子には、仕方がないのかな。あらすじと感想の繰り返しですすめていくというのはいいと思います。それだと「あらすじばかり書いてある」とは思われない。
赤木かん子「お父さんが教える 読書感想文のかきかた」(自由国民社)です。そろそろ時期が近づいてきましたからね。ちょっと読んでみようかと。(あっ、わたしも「この本を選んだ理由」を書いている……)
赤木さんは、読書感想文を毛嫌いする大人が多いと語ります。そうねー、丸谷才一も井上ひさしも熊谷達也も子供に感想文を書かせるのを嫌がってましたね。
でも、自分の考えを「筋の通った、論理的な日本語の文章で書けるようになること」が感想文の目的だと赤木さんは言います。
それを達成するためには、最後まで読み通せる本を選ぶこと。それから、原稿用紙を赤いペンで三行ずつ四角く囲うことから始めます。このブロックを少しずつ埋めていくのが、赤木流感想文のテクニックなのです。
あらすじと感想のサンドイッチ構成で、自分と主人公を比較したり経験を比べたりする。で、おもしろいと思ったのは、自分も本に書いてあることをやってみるというもの。なるほどねー。
そのほか、ブックトーク風のやり方や読みやすい字の書き方も紹介されています。
でも、ハウツーで終わらないのが赤木かん子なのです。自分は小学生のときから「本当のことをちょっぴり混ぜた創作」として作文を書いていたことを明かします。そして、架空の内容である練習ノートから抜粋された文章が新聞に載せられてしまう。
だけど、いちばん辛かったのは、自分が書いてもいない文がくっついていたということ。
改竄という言葉は知らなかったけれど、そのことに対する怒りを感じたのだそうです。
うー、わたしも高校生のときに似たようなことがありました……。当時「古事記」から材を取った文章を寄稿したところ、原作にある有名な場面がないからと(もちろん、わざとです)つけ加えられてしまったのですよ。あーあ。
でも、生徒の作文を編集して載せるには、ある程度の改稿はせざるをえない。三百字で書いたものを百字に要約するとすれば、言い換えも必要です。
かつて「作文はそのまま載せたい」と語った同僚、読めない字を「△□○×※」と載せていましたが……。わたしは編集必要だと思っています。言い間違ったり誤解したり主述がねじれていたりするときには。
読書感想文にしても、構成を入れ換えるだけで見違えるようになる作品もある。
大人が寄り添って感想文の書き方を教えるというテーマ、いいと思います。なかなか学校で書き方教えないものね。
さらっと読めて実践しやすい本だと思いました。

「向田邦子と昭和の東京」川本三郎

2010-06-25 02:06:11 | 書評・ブックガイド
さあ、今日から向田邦子だ! と思って、取っておいた「向田邦子と昭和の東京」(新潮新書)を読みました。
川本三郎さんが、向田作品を俎上に載せて、昭和の家族をテーマに語ってくれます。
わたしも向田さんのエッセイが大好きで、五年おきくらいに読み返します。きっかけは、授業で「ごはん」とか「字のないはがき」とかを取り上げる際についほかのものも、と思って読んでしまうんですよね。
だから、紹介される出来事のほとんどはお馴染みです。「向田邦子の手料理」(講談社)も持ってます。「触れもせず」も妹の和子さんが書かれたエッセイも読みました。
それらを統合して、また新しい顔を見せてくれる。川本さんの本読みとしての眼力に恐れ入りました。
とくに、ここ。
「向田邦子は決して、食を食だけでは語らない。(略)向田邦子が食を語るときは、いつもそのうしろに、家族の記憶がある」
目から鱗、です。
「ごはん」を読んだらなるほどなるほど、川本さんのおっしゃることが、実感としてつかめてきたのです。
そこで、この作品のあらすじを学習したあと、向田家の家族構成を確認してから「字のないはがき」を読んで、誰か一人を取り上げてその人について思ったことを書かせてみました。
当然のようにほとんどの子はお父さんを選び、厳しい中に優しさがあるということを書いてきます。でも、下の妹について書く子や、「僕は女性に手をあげるなんて許せません」という子もいる。
ところで、かつて向田家が仙台に住んでいたことを知り、わたくし躍起になって探したことがあります。「琵琶首」という地名を何かで読んだので、いろいろな人に聞いたのですが、どこにもそれらしき場所がない。区画整備で消えてしまったようですね。
結論としてわかったことは、「評定河原」あたりなのではないかということと、一カ所だけアパートに「琵琶首」という名前が残っていたことです。
それにしても、この本の章扉に使われている向田さんの写真、どれもいいのです。美しい。
ここは「メルヘン誕生」も読み返すべきかと本棚を探ったのですが、どうも深くしまいこんでしまったようですね。高島先生、すみません。

「内定取消」間宮理沙

2010-06-24 20:36:08 | 社会科学・教育
朝5時起きして水泳大会引率だったにも関わらず、これを読み切るまでは寝られん! と、思った本をご紹介しましょう。
間宮理沙「内定取消 終わりがない就職活動日記」(日経BP社)です。
ひどいー。一体何の目的でこんなことをしているのでしょう、この会社。昨今の不況のため、内定取消にすると賠償しなくてはならないから、自分から辞退という形にしたかったようですが、余りにもひどい。
密室で役員と二人、面接といいながらずっと暴言を吐かれ、履歴書やエントリーシートに書いた内容を否定していく。自分をクズ呼ばわりされることが延々と続き、プライドはずたずた。
かといって、四年生の卒業間近では、いまさら進路変更できません。資格を五日で取れと無茶な要求をされ、大学の試験と重なりながらも頑張って挑戦するのですが、合格点にはあと二点たりず……。そのことでさらに無能だと決めつけられるのです。(これ、受かっていたとき用の対応も決めてあるんでしょうかね)
間宮さんは、体調を崩し精神科に通いながらも、内定先だった会社に謝罪を求めていくことを誓います。
すごいのは友人のSくん。わざわざ一人のために、4時間以上もかけて役員が辞退を迫るのは、いくら何でもおかしい。間宮さん以外にも同じような目にあった人がいるのではないかとアドバイスしてくれるのです。
そこで探してみたところ、出るわ出るわ。会社をあげての勧告劇だったのです。
間宮さんの味方になってくれた大学の就職課。カウンセリングを受け、家族にやっと告白したことで、だんだんと前向きになってくる。同じように面接されていたTくんが会話を録音してくれるなど、コミュニティも出来ていきます。
Sくんが指摘したように、会社は内定者を孤立させようとしているようでした。たたみこむような攻撃で心をくじけさせ、用意されたように辞退の書類が出てくる。
自分は役に立たない人材なのだと挫折を味わい、誰も相談する人がいないまま辞退することになった人がどれほどいたでしょう。
間宮さんはインターネットから情報を集め、メーリングリストを作ります。驚くべきことに、こういう対応を受けたという報告はかなり多く、どういう基準で彼らが選ばれたのかはわからない状態。
補償金を出すには経営が苦しい。そういう理由で仕組まれたプロジェクトならば、このために企画をしたりシナリオを書いたりした人がいた筈です。会議で話し合ったりもしたのでしょうか。
自分たちの都合で、若者の未来を奪うなんて。自己嫌悪から立ち直るまでにどれほどかかるかわかりません。
文章から考えて、間宮さんは明るくてとても優秀な方だと思います。その心を萎えさせるのですから、ほかの人の場合でも、次のことに挑戦する気持ちをねこそぎ奪ったのであろうということは自明です。
見返しには「ブラック企業」とありますが、間宮さん自身はそのような表現はされていません(巻末のマニュアルの小見出し程度です)。ですから、本当に一見まともそうな会社なのでしょう。どうしてそういうことを始めたのか想像もつきませんが、企業として、誠意をもって対応することが大切だと感じました。回り回って首をしめることになるのでは?

「まついさんちの子どもメシ」まついなつき

2010-06-23 04:58:56 | エッセイ・ルポルタージュ
「食DRIVE」の事例としか思えない! 「変わる家族変わる食卓」と同時期にこの本も読みました。まついなつき「まついさんちの子どもメシ」(株式会社カンゼン)。
男の子三人を一人で育てる漫画家の生活を、食を中心にまとめたものです。
わたしは「たべもの」や「料理」に関わる本が大好きなので借りてみたのですが、あれあれ、これは、料理のアイディアではないぞ、ということが少し読むとわかるわけです。
例えば、息子たちだけでもひな祭りは実施。ちらし寿司の写真も載っています。でも、これ、市販の素を使って作ったと書いてある。他のページにもすし酢を使っているとの記述があり、それは果たして「本」として出版するべきものなのか疑問に思いました。
アパートに友達呼んでハロウィンパーティー。夕食はお菓子。友達の親も喜んでくれたそうです……。
うちでそんな生活したら、間違いなく叱られますね。
にんじんご飯とか餃子のレシピはいいのですが、本当にこういう調子のご飯でいいのかいな、と思うわけです。サツマイモとジャガイモとサトイモを蒸すだけ、とか。ホットケーキミックスに傷みかけたフルーツを加えて作るとか、ホームラン記念日(だっけ?)のメニューを創作して(オロナミンCと野球に見立てた一品)みるとか。
こういうの、参考になるのかな。それとも、ただの読みものとしての本なのかしら。
悩みます。
そういえば、十年くらい前、讀賣新聞をとっていたのですが、まついさんの連載記事がありました。
これまで隔年で子供を産んできたのに、八年めには恵まれなかった。出産まんがも描いているから、そういう気がするかもしれないなーと思っていたら、その数回あとに離婚報告があったのでした……。

食べるということ。まついさんの描いている食卓は、「楽しむ」ということなのだと思います。でもそれは、違う角度から見るといい加減にも見えるもの。
魚をおろせない、生肉を触れないという女性すらいる現在、カレーライスや五目寿司を作るのに、インスタント調味料(ルーや素)を使うのは、もう「料理」として認定されているのでしょう。(岩村さんの本だとカレーライスの味付けにあれこれ素材を加わるのはレシピとはいえないように思うので、敢えて)
でも、まついなつきのエッセイやまんがを読んでいると、この人ってフツーの人だよな、と感じるのです。ほかのうちの夕ご飯、ちらっと見せられる感じですかね。

「ソフトボーイ」関口尚

2010-06-22 20:06:48 | 文芸・エンターテイメント
ラストの「三年後」は、蛇足でしょう。こういうパターンのストーリー多くなったけど、高校時代で止める方がいいと思う。彼らが様々なことに迷って、ソフトボールをやり遂げる、というすじだての方が。
というより、関口尚だったらもっと深い物語が紡げるのではないかと思うのですが。単なるノベライズになっていてがっかりです。ポプラ社的にはこれがいいのでしょうか。関口尚を起用した時点で、映画を超えた「小説」であろうとしたのだと勝手に期待したわたしが間違っているのですか。
たしかに、公開中の映画ですから、いろいろと制約はあると思います。関口さんらしい文章ときらめきは、やっぱりいいんです。でも。
野口、余りにも、薄い。
わたしにはその場しのぎのお調子者としか思えませんでした。
男子ソフトボール部は、佐賀県にはまだないから、創部イコール全国大会。これで俺たちヒーローだ! はまだいいんですが、実は公平を期して大分代表との出場決定戦がある。これを知らされて部員からブーイングがおこると、しれっとして知っていたというあたり。口から出まかせで、その場を取り繕う態度見え見えです。こういうところが、あちらこちらに散見していてげんなりしてしまう。
もっと彼の内面を、「エピソード」で描いてほしかった。鬼塚の一人称である以上、彼の目を通して魅力的な部分をもっといれてもらわないと。ただ言葉で野口を称賛されても、こちらにそれが伝わってこない。
例えば、小学生のころ父親を事故で亡くして心を閉ざしていた鬼塚に、野口だけが声をかけてきます。それはそれでいいエピソードなのかもしれません。でも、そこで空港まで自転車でいこうともちかけて、自分は何もせず鬼塚に計画や連絡をまかせる。で、結局行程の半ばでリタイア。
これ、どうなのでしょう……。
こういう人が、「三年後」にそういうポジションにつけるとはとても思えません。フランス料理で世界的に有名なシェフの片腕……。リアリティがない。
だいたい、試合をひとつもしないで全国大会なんてありえないでしょう。自校に女子ソフトあるんだから、実戦の相手くらいしてもらいなさいよ。
おそらく映画の脚本がそうなっているからなのでしょうが、現実的に考えてあまり真剣に考えていないのではないかと疑ってしまいます。帯には「ゆるゆるなのに、感動!?の青春男子ソフトボール物語!」とあるけど、こんなにお手頃で感動させようとするなんて、真剣に部活をやっている子たちに失礼だと思う。

「ソフトボーイ」です。結構期待して買ったのですが。
というのも、男子ソフトボール部のある学校にいたことがあるのです。県内に三校しかなくて、たしかに東北大会は近かった。
新任で顧問を任された同僚、高校のソフトボール部に練習試合を頼もうとして、
「女子ソフト部顧問の先生、お願いします」と電話をしているのもよく見ました。一度、間違えて男子高にかけてしまい、即切りされていましたが。
この物語の下敷きは、実際にあったことなのだそうですが、映像で見るとまた違う印象なのでしょうか。先日、「クール・ランニング」を見ましたが、こちらは素直におもしろかったから。
やっぱり核になる部分があっても、物語は演出だと思うのです。もっと踏み込んだ方がいい。
あと、八嶋さんって、どうなの? 「最低」が口癖の女の子、わたしは勘弁してほしいのですが。

「続・読んでくれて、ありがとう」プチタンファン編集部

2010-06-20 21:46:39 | 社会科学・教育
解答を求めている訳ではないのです。でも聞いてほしい、誰かに。
自分の悩みを文章にするためには、ある程度の客観性が必要です。そうすることで、見えてくるものもある。書き終えることがひとつの扉を開くこともあります。投稿し、掲載され、中には反響を呼ぶものもある。心の励みになるでしょう。
「続・読んでくれて、ありがとう」プチタンファン編集部(婦人生活社)。育児雑誌の投稿コーナーを書籍化したものです。前作がかなりおもしろかったので、古本屋にて購入。たいへん分厚い本ですが、読みごたえがあります。ページをめくる手が止まらない。前作ももう一度借りてこようかしらと思うほどです。
様々な悩みや惑いがテーマ別に紹介されているため、共感できる部分がきっとあるのではないか、と。そのためか、キャッチコピーは、「ここに、もう一人のあなたがいる」。
わたしは育児雑誌といえばNHKの「すくすく」しか読んでなかったのですが、当時この雑誌はもう書店にはなかったような?
確か前作に、読者層として結構落ち着いたお母さん方が多いと書かれていた気がするのですが、どのお手紙もじっくり書かれていて、そりゃ編集部の手は入っているんでしょうけど、よく考えられた内容なのです。
いろいろと驚くようなものもありますよ。紅一点の職場で、育休後いじめにあっているという女性。上司が有休を取らせてくれず、おすそ分けのお菓子も渡されない。飲み会に参加するといえば嘘をついてまで参加させない。
女の子が欲しかったのに、第二子も男の子と知り、憂鬱でしかたない女性は、周囲のママたちがみんな女の子礼讚主義であると言い、「いいなぁ、男の子欲しい!」という人は一人もいないと嘆きます。
そ、そうですか? 男の子可愛いと思うんだけど。これはわたしが男女どちらにも恵まれたからですかね。
全盲のお子さんを続けて出産された方、五人めのお子さんを突然亡くされた方、突然ダブル不倫した旦那さんが信じられなくなって離婚を決意された方……。
様々な人生が披瀝されるのですが、わたしが最もショッキングだったのは、お父さんとの関係を告白した女性でした。
ひどい。あまりにひどい。彼女が父親をいい親だと思っているのがまた切ない。高三のころ、親離れしていくのを感じ、土下座して、アル中で……。たった一度とはいえ、あんまりではないですか。
とても辛い気持ちになりました。
子育てをテーマにしながら、描かれるのは個人の生活でありそれぞれの家族の様子です。
もう十年も前のことですから、ここに相談を寄せた女性たちにはその後の人生があるはずで、当時は幼かった子供だって、もう中学生くらいでしょう。
あの悩みは解決したのですか? その後、どんな人生を送ってらっしゃるのでしょうか。
聞いてみたい方が何人か、いるような気がします。

「子供たちはいかにして俳句と出会ったか」夏井いつき

2010-06-19 16:37:57 | 詩歌
三年生の授業は、俳句から始まります。
あっ、教科書は詩からなんですが、わたしは俳句から始めるのです。その方が、自分としてはスムーズにつながっていくような気がするから。
今年は一年以上前から「取り合わせ」でいきたいと思っていました。ネタもとは夏井いつき「子供たちはいかにして俳句と出会ったか」(創風社)。これがすごいおもしろい本で、国語の教師だった夏井さんの授業を彷彿とさせるのです。
例えば、NHKの子ども番組で「テレビ戦士」に俳句を教える。男子校で句会を開く。俳句による「恋のボクシング」をさせる。
わたしが参考にしたのは、小学生に俳句の基本についてレクチャーする回。有季定形についてわかりやすく教えてくれます。
題材は坪内稔典の「三月の甘納豆のうふふふふ」。
さすがに中学生に甘納豆を食べさせる訳にはいかないので、そこは割愛しましたが。
中七「甘納豆の」を別の食べものに置き換えてみる。「パイナップルの」「五目焼きそば」「甘いはっさく」「しゃきしゃきレタス」「叉焼麺の」といった言葉が出て来る出て来る。
言葉が変わると「三月」とのバランスが崩れてしまうことも理解できます。
で、「春の雲」を使って残り十二音を考えてもらったのです。
その他にも季語当てクイズをはじめ、参考になること満載です。
この句を紹介してから坪内稔典のことが気になって気になって、本も買ったのですが、まだ読んではいません。
ちょっと読み返してみたら、後半で坪内さんのことに結構ふれていたので、また気になりはじめました。
授業だと鑑賞が主で、なかなか俳句実作にはつなげにくいという話題がありました。最近は「句会」をやってみるという部分もあるので、そういう点では実作奨励ができてきているといえるでしょう。こちらがいいと思うような句がなかなか選ばれないこともあるんですけどね。
でも、今でも作者の名前を書かせるようなテストを時々見かけます。国語のテストがクイズみたいなのは、わたしは嫌だな。作者が背後にあるのは作品としてしかたないにしても、もっと言葉の広がりを見たい気がします。
切れ字のもつ広がりから句を読んでほしいという話題もあり、なかなか奥が深いです。まだまだ研究しなくてはなりませんね。

「ニュースがまちがった日」林直哉

2010-06-17 21:14:12 | 総記・図書館学
岩手県の指定図書に、注目しています。去年の「失くした記憶の物語」も一昨年の「俳句のツボ」もおもしろかった。で、この本も以前、選ばれたそうです。林直哉+松本美須々ヶ丘高校・放送部「ニュースがまちがった日 高校生が追った松本サリン事件報道、そして十年」(太郎次郎社)。
読みたかったんだー! この前の林先生の本がすごくよかったので。メディアに関わるコーナー(NDC070)をチェックしたらありました。でもなかなか読み終わらなくて、時間を見つけてちょこちょこ読んだ感じです。
内容的にはだいぶ、この前読んだ「高校生のためのメディア・リテラシー」と重複していますが、松本サリン事件の報道について放送部がどう検証したか、というメインテーマなので、具体性がより強く感じられました。
実はわたしも放送部の顧問だったことがあるのですよー。といっても写真撮影(現像)とビデオ編集が中心で、当時新任だったため何をやったらいいのか分からず……。
でも、カメラワークとか場面場面の切り取りとか、今思えば考えることが多かったですね。今ならもっと真剣に向き合える気がするのですが。
話を戻しましょう。
部員を使って自分の作品作りをしている、とまで言われたという林先生ですが、わたしにはこんな熱い活動はできません。だって夜中まで残って企画して会議して議論して撮影して編集して取り直して、コンクールがあればその直前まで手を入れ、結果が出てもまだできることがあるのではないかとテーマを深めていく。なかなかできることではないと思います。
作品は教師と生徒の協働で創られるというのが林先生の考えです。
松本サリン事件がすぐ身近であった報道だけに、高校生たちは違和感をもった。その正体はなんなのか。
通報者が犯人と決めつけるような偏った放送。実はオウムによる犯行だと分かってからも謝罪はなされず、報道関係者たちはどう感じているのかインタビューすることになります。
その中で明らかになっていく放送への疑問。
でも、メディア編集とは何なのか。一言「信じられない」で切り捨てできるものでもない。
何年にもわたる活動を通してリテラシーについて考え、理解していくのです。
この時期にメディアについてこれほど考えを深めている場はなかったのではないでしょうか。
メディアには相手へわかりやすく伝えるための工夫もあり、自分たちの意図を効果的に盛り込むために編集している。リテラシーを伝えようと生徒が作った授業は、同級生たちに衝撃を与えますが、映像に裏切られたと感じる感想が多かったようです。それを一概に悪として受け止めることはできないはずなのに。
なにもかもを鵜呑みにするのではなく、自分のものの見方を鍛える、メディアリテラシーにはそのような姿勢が必要なのではないかと考えさせられます。