くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「トリックアート・トリップ」福田繁雄

2009-01-31 05:48:43 | 芸術・芸能・スポーツ
一月中ショックだったのはグラフィックデザイナーの福田繁雄さんがお亡くなりになったことです……。「トリックアート・トリップ」(毎日新聞社)の続編を書いてくれないかなあ、という希望はもう、叶わないのですね。ご冥福をお祈りします。
わたしはこの本を、盛岡の啄木・賢治青春館で買いました。館内見学十分くらいしかしてないのに、この本が目について、ぱらぱらめくると、いやこれ、おもしろそうじゃないですか。即買って即読みました。
だまし絵とか錯覚とか好きなんです。ちょうど松田道弘の「トリックものがたり」を読んだあとだったので、同種のものが気になったのでしょう。
福田さんは「クイズ面白ゼミナール」のトロフィーを作った人。覚えていますか。正面からは?の形をしているのに、別の角度から見るとひっくり返って見えるのです。
フォーク、スプーン、ナイフが無秩序に重ねられたと思いきや、そこに光をあてるとできる影はオートバイ。「ランチはヘルメットをかぶって」と題されたこの作品、カトラリーを848本も使っているそうです。
その他にも街で見られるアートがいっぱい。どれもトリックの魅力にみちあふれた作品ばかりです。
今、観光地へ行くとトリックアート館が結構目につきますが、世界各国あらゆるところで、視点を変えてみるとアートになっているものがたくさん見られます。ハワイで水に浮いている陶器。見たい! 見たい見たい!
岩手には福田さんにゆかりのシビックセンターがあるので、一回行ってみたいのですが、なかなか行けないままでいます……。

「ガラスの仮面」43

2009-01-30 05:30:01 | コミック
えぇと……この携帯電話にすごい違和感があるのはわたしだけかな。
「ガラスの仮面」43巻。長らく単行本で読んでなかったのですが、八年ぶりくらい? に読みました。桜小路くんの携帯にマヤと二人の待ち受け画像があって、ガールフレンドの舞ちゃんが怒るシーンです。この間まで携帯なんてなかったよね? お芝居のチケットがほしくて年越しそばの出前を一人で片付けようとしたころから、時間的には十年たったかどうかだと思うんだけども。世相が変わったとはいえ、今までと同じスタンスで書いてもらったほうがよかったのではないでしょうか。
この本、夫が買ってきたのです。いわく、「まだ完結してないと思わなかった。なかなか文庫にならないから不思議だったけど」と。
帯に蜷川幸雄がいつまで待たせるのかとコメントを寄せているのを見て、初めて気づいたそうです。
一昨年、突然文庫を大人買いして一気読みをしていた夫。実家にいけば、わたしの買ったフラワーコミックスが段ボールひとつ分あるというのに。
わたしか゛この作品に夢中になったのは中高生のとき。それまでなぜか怖い漫画だと思いこんでいたのです。だって、「妖鬼妃伝」とかさー「白い影法師」とかさー、美内すずえ=恐怖漫画のイメージが強かったのですよ。
で、中学時代、わたしは演劇をかじっていたのです。それでだれかにすすめられたのですね。「たけくらべ」から読んだのだと思います。若桜木虔のノベライズした「小説ガラスの仮面」まで持っていましたよ。
好きなのはなんといっても「ふたりの王女」です。連載をリアルタイムで読んだので思い入れが強いのですね。あとは「ジーナと五つの青い壷」とか人形の役をやる「石の微笑」とか大河ドラマに出るところとか。「女海賊ビアンカ」もいいよね。あー、長らく読んでないのであちこちタイトル忘れています。「カーミラ」は原作を読みましたよ。
「ガラスの仮面」が終わるまでは、花とゆめを買い続けようと思っていたのに、連載は中断。それでも時々載るのを楽しみにしていたのです。その日を待ち続けるにはその他の漫画が低年齢化してきたので、やめました。(いや、わたしが対象年齢から外れただけですが)
当時から連載とコミックスは違うストーリーになっていたので、わたしもすっかり忘れていましたが、ハミルさんはコミックスでは存在しない人なのですか?
フランスのカメラマンで亜弓さんの写真を撮るうちにいろいろあって、さらに亜弓さんは目を悪くして、それでもお稽古はぐっと「紅天女」に近づきつつあり、なんだかマヤピンチ! と思っていたのに、今回月影先生は「優位なのはマヤのほうです」なんて言ってるので、この後どうなるのか非常に気になります。
「ガラスの仮面」44巻が出るのは、いつだと思います?

佐々木倫子作品のこと

2009-01-29 05:30:56 | コミック
今月末に佐々木倫子さんの新作コミックスが出ますね! もーっ、楽しみで仕方ありません。
佐々木さんの作品はどれも独特の「間」があっておもしろいですよねー。高校生のとき、「忘却シリーズ」「ペパミントスパイ」「動物のお医者さん」と、何度も何度も読み耽りました。
ハムテルとともに大学入試だったわたしですが、いつの間にか菱沼さんよりずっと年上になってしまいましたねぇ。二階堂の名前が雑誌掲載時決まっていなくて、「学生の名は二階堂○○」と書かれていたことも知っているし、「虹と雪のバラード」も歌えます。 ドラマ化するとき、普段テレビを見ないわたしも何回か見ましたよ。二階堂役の要潤! はまり役でしたね。
さて、佐々木さんには何本か単行本未収録作品があるのです。「忘却シリーズ」の「名犬アイボリー」は、本来シロという名前なのに、何となく黄ばんだ感じで「アイボリー」と呼ばれる犬が登場します。飼い主の薫子にはそれが不満。そしてそれ以上に、父の再婚相手が犬に恐怖感を持っていることが気にくわないのです。
黒田勝久たちは、なんとかこの再婚問題がうまくいくように協力しようとするのですが……という筋書き。
雑誌から切り取って持っていましたよわたしは! でも今回探したら見つからなかったの……。とても残念です。
あと「ペパミントスパイ」も一本、EPOで立ち読みしたような?
さてさて、未収録作品、わたしもうひとつ知っているのです。これは、探したらありました。プータオで6回だけ連載した「NORIKOの日常見聞録 札幌通信」です。
見開き2ページ。佐々木さんと妹さんの生活が描かれます。例えば暑い夏の日、外出から帰った妹さんが言います。
「暑いのなんのってもうカーッだよ!」
「カーッって、キーッのこと?」
「カーッったらカーッだよ!」
またある日、十年ほど前に実をもらって植えた椿のことについて話しあいます。どの花も開ききることなく散ってしまい、結局どんな品種なのかわからないのです。蕾が尖っていて漬物みたい。二人は命名します。「ラッパ椿『蕪』」。
次回予告には書いてあったのに、7はプータオには載りませんでした。
長年のファンてしては、これまでの作品を何とか気軽に読めないものかと思うのですが、もうどうしようもないのでしょうかね。
とにかく、月末は本屋に突進です。

こうちゃんの簡単料理レシピ

2009-01-28 05:51:18 | 工業・家庭
こうちゃんこと相田幸二さんがご結婚されたそうですね。おめでとうございます!
わたしがこうちゃんレシピを知ったのは、通勤のときに聞いた地元ラジオです。ちょうど「こうちゃんの簡単料理レシピ」が発売されたころですね。しかし、本当の最後のところしか聞けなかったので、こうちゃん本人の声は挨拶くらい……。でも、パーソナリティのかたが結構熱心に本の紹介をしてくれて、興味を持って買ったわけです。
わたしが好きでよく作るのは、GBSポテトと豚ロースみそ漬け焼き柚子風味。簡単で旨いです。今、ニ巻を読み直したら、巻頭に書いてあった豚肉のマスタードマヨネーズ焼きがたまらなくおいしそうだったので、今度作ってみますね。
そうそう、この巻には例のラジオ出演についても書いてあって、「オンエアを聞いたらなまっていた」と歎いておられます。
でもねー、今やこうちゃんは「幸せ料理研究家」として番組もやっていますからね。
仙台放送月曜日の8時ちょっと前に「こうちゃんのしあわせごはん」。ガス局のオープンキッチンで、こうちゃんが調理をしている様子を見せてくれます。今週は「モチチリ」。一口サイズに切ったお餅を揚げてチリソースからめたものです。
それにしても仙台、こうちゃんも伊坂幸太郎も俵万智も普通に暮らしているんですよね。不思議な気がします。いや、誰にもあったことないけど。そして、あっても鈍感なので多分気づかないと思います。(先月風邪をひいて病院に行ったとき、妙に人が集まっている場所があったのですが、気にしないで通りすぎてきました。十分後に鶴太郎がきたらしいです)

「かなりあやしい?!」いのうえさきこ

2009-01-27 05:51:16 | 言語
方言の話題が大好きなのです。
お父さんとドライブスルーで、「ハンバーガーとコーラをください」「オイ(俺)も!」と言ったら、ハンバーガーとコーラとポテトがひとつずつ出てきたとか。
外国人が地域の人たちとの飲み会で新しく知った言葉をメモしていたので覗きこんだら「わげもの=Young man」と書いてあったとか。
「ねっぱす」(貼る)が方言だとは知らず、不審な顔をされたので思わず「はつける」と言い直したとか。(それも方言だってば!)
いやいや、方言に限らず、言葉についての話題はかなり好きなんで、いのうえさきこ「かなりあやしい?! おかんとつっこむ微妙な日本語」(芳文社)はおもしろく読ませていただきました。日本語にまつわる投稿をいのうえさんが四コマまんがにするというコンセプトです。
青森県では甘酸っぱいことを「すけべ」という話(21ページ)は、
「宮城では酸っぱいだろうという意味で『すっけぇべ?』って言うなー」と思ったし、旦那さんの実家ではみんな語尾に「ちゃ」をつけるのでラムちゃんみたいだと思ったというのは(56ページ)、同じことを福島出身の友達に言われたな、と懐かしく思い出しました、
ところで、携帯の予測変換機能についての問題ですが(P33ほか)、確かに何度も同じ言葉を使っていると、候補の先頭の方に出てきますか゛、一定の期間が過ぎると最初の選択順位に戻ってしまうような気がするのです。
例えば「多い」という字をわたしは結構使うと思うのですか゛、気がつくと「お」を押しても出なくなっているとか。
あ、でも今試してみたらここに出ていたような語はわたしのには出てきませんでした。「しゅ」で「修羅場」が出るのは三十番くらいだったよ。
あと子供の言葉のところ(P72)を読んでいて思い出しました。うちの娘、QPのことを「がらこ」と呼んでいたのですよ。二歳くらいのころ、指人形をもらって「がらこだ!」と大喜び。のちに、「たらこ」と言いたいのだということに気づきました。そう、キグルミ……。
他にもいろいろな話題があっておもしろかったです。「当分の間臨時休業」、やっぱりおかしいわー。

石ノ森章太郎ふるさと記念館のこと

2009-01-26 05:38:32 | 〈企画〉
1月25日は、石ノ森章太郎の誕生日だそうです。くしくもこの日、「仮面ライダーディケイド」も始まりましたね。
石ノ森氏がペンネームに「ノ」の字を入れたのは、郷里の中田町石森にちなんでのことというのはよく言われます。地元ではこれで「いしのもり」なのですが、世間では「いしもり」と呼ばれるのを嫌ったそうです。
でも、自分にとっては「石森章太郎」の方が愛着があるという人も多いようですね。
わたしは、彼の生家の前を通って高校にかよっていて、よくお父さんが店の土間を掃いているのを見かけました。石ノ森氏の原画が今では考えられないほど無造作に、町のあちらこちらに飾ってありましたよ。壊れそうな木造の公民館とか。
今、生家を含む辺りは、ふるさと記念館として公開されています。二階の勉強部屋や、幼いころに遊んだ遊具も見られるはず。
スクリーンシアターでは、息子をつれて久しぶりに帰省した石ノ森氏が、郷里のあまりの変わりように愕然とする作品「小川のメダカ」が上映されています。
でも、なんというか。
彼らが降り立つ駅の様子が、わたしにとってはなじみのある風景なのです。それは、現在の姿ではありません。氏がもうどこにもなくなった故郷に思いをはせ、変わり果てた町に悲しみを覚える、その情景は、わたしにとってはまぎれもなくノスタルジーを感じさせるものなのです。
時は、わたしたちの生活を目まぐるしく変化させます。アニメーションがいうように、「自分の故郷には本当の自然が残っている」と石ノ森氏が信じていたかどうかはわかりません。むしろ、変化の中にも自分の覚えている風景は存在しついると考えていたのではないかと思うのですが、思った以上に隔たりがあり、「地続き」の部分がみつからなかったことがショックだったのかも。
あんまり近くにありすぎて、かなり前に一度行ったきりなので、情報に間違いがあったらすみません。
入口近くにトキワ荘の部屋を再現したスペースがあって、わたしは本棚チェックしましたよ。ポケミスがいっぱいあるなーと感じました。
著作も結構読んだのですが、自分で持っていたのは「北斎」(懸賞でテレカもらいました。今はどこに?)、「日本の歴史資料編」(中央公論社)くらいでしょうか。「日本の歴史」本編は持ってないけど、この本を作るためにスケッチした資料が、なんかとてもいい味を持っていて、高かったけど買わずにはいられませんでした。本は見逃すと手に入らない可能性があるからね……。
その後文庫化されましたが、絵は小さいとちょっと迫力が出ませんよね。たまにぱらぱらめくるくらいですが、買っておいてよかったと思っています。

「子供を叱れない大人たちへ」桂 才賀

2009-01-25 06:45:43 | 社会科学・教育
才賀師匠の本をまたみつけました! 「子供を叱れない大人たちへ 少年院の子供たちから親・教師へのメッセージ」(実務教育出版)。
内容を見ると、父親へ、母親へ、教師へ、そして世の中の大人たちへの子育てや教育に関わる姿勢を問うたもの。「刑務所通いはやめられねぇ」の6章をクローズアップした感じといったらいいんですかね。
やっぱり、長年の少年院での活動で、語りたいことがたくさんあるんでしょう。
彼らは親に見捨てられたと思っているので、できるだけ関わってほしいということが繰り返し書かれています。文体も、どちらかというとしゃべりことば中心だった「刑務所」と比べると、書きことばの割合が多いです。
文中には少年たちがつぶやく大人たちへの願いも書かれています。中には、「金八先生のような授業をしてほしかった」なんてのもありました。わたし、ドラマ見ていないんですが、金八先生では授業風景もちゃんと放映していたんですか? 割と学園ドラマで授業って映らない気がしていたので意外でした。(まさか例の「人という字は……」のことではないでしょうね?)
他にもこんなメッセージがありました。
・いま、ワルをしている奴へ--
「少年院きついよ、入る根性なきゃやめな」
・少年院で思うこと--
「出たい、はやく出たい」
犯罪を起こしてしまった少年たちは罪の意識が希薄だということも。親父狩りをして捕まった高校生は調査官にこう言ったそうです。
「(親父狩りをしたのは)もう一人の悪い子です。悪いほうの自分がやったことです。反省しましたから、家に帰してください」
あまり深くものごとを考えられないのでしょうね。原因と結果がつながらない。
「もう反省したから学校に行かせてよ。ぼくは国立大に進む人間だよ」
ということを言った子もいたそうですよ!
以前、薬物濫用の体験者の講演を聞きに行ったことがあるのですが、彼らも親のことをよく話していました。わたしよりも年上だという人が、今でも高校進学時の親の対応についてわだかまりを抱いている。反対に、やるべきことをなんでも親が先回りしてやってしまうために、何もできない人間になってしまったと語るかたもいました。
親って、難しいなあ。

「あなたは顔で差別をしますか」藤井輝明

2009-01-24 06:22:19 | エッセイ・ルポルタージュ
容貌障害って、知っていますか。見た目が理由の差別、偏見、人権侵害。病院やケガで「普通の顔」を失い、好奇の目にさらされる人がいます。大きなあざがあったり、髪の毛がはえなかったり、やけどをしたり。彼らの生き方を写真で綴った「ジロジロ見ないで」という本をわたしは時々読み返します。自分の顔を見られることを恐れて生きてきた人もいるでしょう。でも、9人は自分のことを穏やかに語るのです。
「あなたは顔で差別をしますか」は、写真集の最初に取り上げられている藤井輝明さんの本です。彼は大学の先生で、医療ケアの問題について講義をしています。始め金融関係の仕事につこうと思っていた藤井さんですが、どこからも内定がもらえません。悩む彼に対して、ある人事担当はこう言ったそうです。
「いくら成績がよくたって、バケモノは雇えない」
藤井さんは海綿状血管腫という病気のせいで右目の一帯にあるあざが隆起しているのです。
しかし、このょうな差別にあいながらも、あざやいぼは「障害」とは見なされません。社会的な補償は一切なく、かといって健常者とはとてもいえない日常。このことを知ってあなたはどう思いますか。
わたしにも原因不明で髪の毛がはえなくなった知り合いはいます。思春期の辛さといったら、それはもう大変なものだったでしょう。幸いにもその後回復をしていますが。
藤井さんの考えに共感したら、次はぜひ「顔面バカ一代」(石井政之) を。彼の生き方もとても力強いですよ。

「地図男」真藤順丈

2009-01-23 05:33:00 | ミステリ・サスペンス・ホラー
あーうー読むの辛いです。真藤順丈 「地図男」(メディアファクトリー)。
構成自体はおもしろいと思うのですよ。短い話がいたるところに書き込まれた地図帳、それをもつ男にはある秘密が……。
でも、短い話がまるでわたし好みじゃないんです……。
暴力の臭い、というのかな。主人公の語りの部分はそうでもないのでわざとやってるんだと思うんだけど、地図男の文体がもう嫌で嫌で仕方ありません。とくに二つめ。ラップ、なんだろうけど、ちょこちょこ入る中止法や中途半端にローマ字を入れる文章が嫌いなんだわたしは! ということに気づかされました。
生まれたときから音楽の才能を持っている子供の話も、この詩はないでしょう……。この子供が作る曲はやっぱりラップ? としか思えないのですが、でも臨死体験のときに頭の中で流れると思われる音楽が例示されていることを考えると、そうではないですよね。最初のオーディエンスになった女の子はメロディラインを認めているんだし。でも四行詩の形式なのに、四行めだけほかの行より長いのってどうなの? 曲つけにくくない? 「ぱぱとまま つかまらないたたかれないところににげろ いぇーい!」ですよ? 三歳なのに、電柱の住所表示盤の漢数字が読めるという設定も違和感ありました。この夫婦、けんかばかりしていて教育力なさそうだし。

地図男をあのひとと重ね合わせるという視点はおもしろいと思いました。でも、なぜ名倉までがそう考えたのかは疑問が残ります。主人公と同じ価値観の人?
だって普通はそうは思わないでしょ。
どちらかというと、「俺」が名倉に影響されているということなのかもしれません。ちょっと整理してみますね。
「俺」は地図男の描く物語が、誰にむけて書かれたものなのか疑問を持ちます。それに対して名倉は、一回しか会っていないにも関わらず見当がついたと言い、「東京タワー」というヒントを出すのです。
あのひとのことが脳裏にあってのこのヒントなら、わからないこともありません。でも、地図男が語っているのはイコールあのひとではなく、あのひとが富士山を描くと同じ立ち位置で「あるひと」を描き続けているにすぎません。地図男本人はそういう考えを持っていないので、名倉がいかにも自信ありそうに「東京タワー」というヒントを出すのは、ちょっと納得いきませんでした。
いや、まあ、でも二人がそんなふうに考えるのは、話のサプライズとしてありだと思うのですよ。ここがおもしろいという人も多いと思います。
でもねー、「俺」は地図男の語りを「三人称」と言っています。が、そうではないところがありますよね。クライマックスで、「俺」は語り続けられる物語を書き取るのですが……アキルの部分は一人称なのです。
確かに小説として読むのでアキルがムサシに訴えかける映像は思い浮かびます。でも同時に地図男が瀕死の状態なのに女言葉でぶつぶつつぶやく様子も浮かぶんだなー。
わたしにはすごく不気味だったのですが、一般的には受け入れ可能なのですか。
ムサシとアキルの物語、わたしには「せつない物語」には見えなかったんですけど、読解力足りませんかね。

「ぼくときどきぶた」矢玉四郎

2009-01-22 05:36:04 | YA・児童書
正月にわたしの実家に行ったのですね。そのとき図書館で借りて行ったのです。矢玉四郎「ぼくときどきぶた」(岩崎書店)。
これはね、すごい本ですよ。それまでよそよそしかったはとこたちが一気にうちとけました。息子が読むのを車座になって聞いているのです。
読み終わってからも何度も聞きたい娘は、大叔父のひざの上で読んでもらっていました。あれから二週間、今もまだ読まされています。
紙芝居の中から出てきた魔王が魔法でみんなをふ゛たに買えてしまいます。町中の人がぶたになってしまい、ついには動物たち、乗り物、太陽までがぶたに。
紙芝居を作った「ぼく」たちは、魔王をやっつけるために力を合わせますが……。
読んだかたはお分かりかと思いますが、はじめはみんなぶたになるのを非常に嫌がるのですね。先生がたは会議をするし、警察に通報して魔王を捕まえて貰おうとする。
しかし、校長先生がぶたになってしまうし、やってきた警官もぶた。やがてあんなに困っていた先生たちもみんなぶたになってしまうのです。さっきは真っ先に逃げたのに!
そのなかでたった一人、ぶたにならなかったのは元井先生。竹刀を持って魔王と戦おうという体育会系の先生です。町中の誰もがぶたになっても、一人だけ人間でありつづける元井先生。
「みんながぶたになってしまうもんだから、先生までいっそのこと、ぶたになってしまおうかと、おもったりしてしまったよ」
そんなことももらしていましたが、わたしは最後の一人になっても元井先生は「人間」であることを選ぶのだろうと思いました。
対して最後までぶたでありつづけようとしたのが校長先生。何たって魔王を退治したあともまだぶたのままなんだもの。
「ぶた学校は、みんながたのしくあそべる学校です。きみもぶたになりなさい」
二人の先生の考えや感じかた、どちらも正論のように思います。わたしはどうかなー最初は嫌がるけど、運動神経が鈍いからすぐぶたになっちゃうような気がします……。世間に流されるタイプだよね。
でも、このままぶたばかりの世界だったら、やがて共食いしないといけなくなるよね? それは嫌だなあー。