くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「アナザー修学旅行」有沢佳映

2011-10-31 05:36:17 | YA・児童書
図書室に、講談社の中学生向き図書セットを入れたのです。いいラインナップなんですよー。「つづきの図書館」「たまごを持つように」「園芸少年」。その中にあって、なんとなーくページをめくったら止まらなくなってしまい、会議室の角で立ったまま35ページ読んで持ち帰りました……。
すごい。中学生の顔が思い浮かぶ小説です。有沢佳映「アナザー修学旅行」。
五月二十八日(水)から二泊三日の修学旅行。とってもわくわくと楽しみにしていたのに、骨折してしまった「私」は同行することができず、普通に登校することになります。通常の学校生活を送る下級生たちから少し隔たって、それぞれ事情があって修学旅行に行かない七人が、同じ教室で過ごすのです。
テニス部顧問の安藤先生がやってきて出席をとり、あとは自習でビデオを見たり(これが、修学旅行の事前指導みたいなビデオ)体育館や図書室で過ごしたりして時間をつぶすわけですが、爆弾を投げ込んだような事件が勃発。七人は協力して証拠隠滅に奔走……というと、ちょっと語弊もありますが、おもしろい。保証します。
始めは全く誰が誰だかわからない。だって、七人って多いよね。それがだんだんわかってくる。読者もなじんでくるのです。そして、なんだか彼らとともに過ごしているような気になります。
まず「私」、三浦佐和子。平凡でひかえめな女の子です。隣のクラスの芸能人・岸本雅は、前年爆発的にヒットした青春ドラマに出演したため、ネットで修学旅行の研修先に行くというファン(?)の書き込みがあり、参加を断念。美少女転校生の湯川仁稀は始めから参加拒否。「ホーム」(施設)で暮らす野宮千里と小田知也は金銭的な問題。直前まで参加するはずだった「インテリヤクザ」こと片瀬幸博の理由は、喧嘩??
女の子たちがとってもかわいい。でもって、彼らはお互いに好意をもっていたことがわかる後半がいいです。望未のモデルは三浦さんときいて、わたしも頬がゆるんじゃった。
実は世界的なフォトグラファーの娘で、被写体でもある湯川さん。林檎の芯まで食べちゃうワイルドな子です。(この学校、「狼少女」のように階段を四足で上る女の子もいるそうですよ)
そうそう、七人といいながら六人しかあげていませんでしたね。秋吉直人。保健室登校の少年です。心因性の嘔吐をしてしまうために孤立している。
彼を教室に呼ぼうと小田が言い出すのです。女子にもてもての彼はちょっとお調子者。何度か「賭け」をしたがり、これもその一つなんですが……。
結果として秋吉も加わり、友達というには微妙だけど、なんとも個性的な集団に。
「次郎物語」を読み始める湯川さん。学級通信を作る安藤先生(「犯人が部長の話」といってブーイングがおきるところ、好きだなあ)。修学旅行先から電話がきて告白された小田。同じように友人から、片瀬のけがの理由を聞かされる「私」。弟がひどいめに合わないようにと県外の受験を考える片瀬。ホームの不思議な鬼ごっこ(?)の話題など、エピソードも好みです。
わたしは流行り言葉で書いてある文章って好きにはなれないんですが、例えば小田の台詞がそうなっていてもするっと受け止められました。
学校環境で「ん?」と思うことはちょっとあるけど(机がそんなことになっていたら、前の日の施錠巡視で見つかりますって)、でもでも、許せる。
湯川さんが「東京」から転校してきて、岸本さんは「東京」に行くとも言っているので気になるんですが、場所としてはどのあたりなのでしょう。子役から仕事をしていることを考えると、芸能活動しやすいところだよね。
わたしは野宮さんと友達になりたいな。小田とのやりとりがかわいい。もてるくせに彼女を作らない小田は、他の子としゃべっているのを気にされるのが嫌なんだそうです。この台詞がいい。
「それか、もう一生そいつとしかしゃべらなくていいってくらいのやつなら別だけど! そこまで面白いって自信があるならドンと来いっつうんだよ!」
ははは。
小田が野宮さんを呼ぶシーンがないのが、彼の気持ちを代弁しているようにも思うのでした。

「ヤンキー最終戦争」その3

2011-10-30 06:08:47 | 社会科学・教育
教育現場の混乱や不登校問題、イジメ、すべて日教組のせいだと義家弘介は語ります。彼は、「国会議員でいること、は目的ではなく、手段」「教職に就くことはあくまでも手段であり、出会った子供たちを立派に育て上げることこそ教員という仕事の目的に他ならない」とも言っています。
ということは、国会議員になっても心は教員なんですね? だっていまだに「ヤンキー先生」の冠のついた本出してるし……。あ、もしかして議員も「先生」だから?(でも四十過ぎて「ヤンキー先生」と自称するのはどうかと思う)
前項で「道徳」について疑問を呈しましたが、冒頭を読み直したらおじいさんにこんなことを言われたと書いています。
「外道はしても非道はするな」
そして、これは彼にとって「小さな道徳」なんだそうです。
悩みます。これは、現在学校で指導すべき項目のどれにあてはまるの? 「個性や立場の尊重」「社会の秩序と規律」「家族愛」……。どれをとってもアンチテーゼとしか、思えない。
学習指導要領に従わず、独自の教え方に流れる組合があると憤ってますが、この思考を「(小さな)道徳」というのは、さらに無理があるのでは。うーん、「訓戒」とか「よりどころ」という表現ならわかるかも。
「こんな勉強をしても、何の意味もない」
ドロップアウトしていく少年たちに「キミたちのほうが正常なのかもしれないな」と思うことがあるそうですが、彼らが勉強に意味を見いだせないのも日教組のせいなんですか。(それが正常だとしたら、勉強に真面目に取り組む子供は「異常」ですか)
で、違うページでは小学校からの英語教育に異を唱える日教組に対して、「あれこれ理由をつけているが、結局のところ面倒くさいだけなのだろう」と言ってます。それはそのまま、ドロップアウト少年たちには該当するといえないことはないのでは。
社会科の教師なんですよね。そのわりに「自虐史観」を教えるべきではないとも言っている。例として忠臣蔵の仇討ちをあげています。当時の基準に合わない集団報復事件を、戦前の評価で見つめるのはどうなのか、という意見について。
これ、結構メジャーな内容だと思っていたのですが。だって吉良家は取り潰されてないですし、浅野の抜刀は明らかに違法。というよりもお芝居をそのまま歴史の授業に持ち込むのは、なしだと思います。「水戸黄門」が旅をしなかったとか、吉宗は暴れん坊じゃないことも「自虐史観」につながる? そうじゃないでしょう。
「手段」としての教師という話に戻します。
教育再生の名目で変わった教員免許の更新。この講習が実情に合っていないこと、お歴々はご存知なのでしょうか。高校の産業にあたる教科の講習は準備すらされていません。もう少しニーズがあればいいのに。
そして、このまま義家氏は教員免許を失効するのでしょうね。いまさら教師に戻らないでしょう?
なんだか、今までにないくらい長く書いてしまいました……。まあ、気になっていたことは確かなので、ある意味すっきりしました。もうこの人の本は読まないと思います。
しかし、あまりにも真剣にこの本と向き合うわたしを見て、夫には困惑されたかも……。

「ヤンキー最終戦争」その2

2011-10-29 05:18:58 | 社会科学・教育
そうだった、あまりのことに書名すらあげていませんでした。義家弘介「ヤンキー最終戦争 本当の敵は日教組だった」(産経新聞出版)です。このタイトルもなんだかなー。怖いもの見たさというか、なにがどうなっているのか気になることは確かです。
ところで、この方、元は塾講師で高校の社会科教師で、横浜市の教育委員で現在は国会議員なわけです。著書多数。でもって、書籍という媒体ですから、当然のように校正があると思われるのですが、わずか4ページで目を疑うような表現が。「日本という国は、空前の灯火と化すだろう」……。
え、えーと、「風前の灯」?
それから、後半には「深いショック」を受けたとあって、わたしこそショックです。「衝撃」だから「強い」んだと思うんですが。余りの衝撃に、沼にでも飛びこんじゃったのでしょうか……。
漢字を書けない子供が増えているということに「彼らはいずれ手紙を書くときに大恥をかいてしまうだろう」 といっていますが、まさにその通り、です。
ついでに書いておくと、書けない子が増えた理由は、漢字の書き取りの宿題を出すことに日教組が反対したからだってさ(笑)。
「元教え子」が組合に入ったことにも苦情をおっしゃいます。時々シナリオのようにやり取りが書かれるのですが、ここもそう。なぜ入ったのかと聞くと、情報が遮断されると困るからというようなことを言われるのですが、そりゃアナタ、そんなことを不満そうに聞いてくる恩師に自分の意思で入ったとはいえないでしょうよ。
「元教え子」という表現も気になります。なぜ、「元」? 組合員なら、もう「教え子」じゃないの? 「教え子」というのは現在関わる生徒だけではないですよね。どちらかというと卒業した子のイメージがわたしにはあったので、驚きました。
あと、司書資格があるので「大規模校に赴任することがあれば図書担当の分掌をやってみたい」と思っていたのに、いざ転勤すると組合員でないから人事に希望は出せないと言われた人のことが書いてありますが、あーのー、小規模校にも図書の仕事はありますよー。大規模校では「司書教諭」をおかねばならないのでそれを誤解しているんだと思うのですが。
司書教諭だけが図書の仕事をするわけでもないし(学校事情によりますが)、司書と司書教諭は別の形態で図書教育に関わるのです。図書(委員会)担当教諭もいます。司書教諭がいない学校でも、これは必要。全校生徒二十人余りの学校でも活動してますよ。
とにかく日教組の活動に異を唱えるために、おかしな具体例がたくさん取り上げられています。これを読んで「ひどい」と憤る人もいるでしょう。
でも、その「悪」と定めた組織とどう戦うのか。費やされるのはわずか6ページ。さらに6字でまとめられます。「新・教育三法の確立」です。三法とは、教育公務員特例法、地方公務員法、中確法。これを改正する。
「最終戦争」なんですよね……。
それから、教育改正についてのプランが2つ(3ページ)紹介されます。「六・三・三制」を「四・四・四制」に改めること、そこでは「読み・書き・算数・道徳」に力を入れて、道徳は教科化する。
多分これは彼のオリジナルではないと思うのです。おそらくあべしんぞーとかそのあたりの人たちの受け売り。教育再生会議担当室室長時代の会議で出たものをまとめたものでは。
でも、これではまとめすぎです。「道徳は教科化する」とは、具体的にどういうことなのか。現在は「副教科」の位置づけを「教科」にするんですよね。とすると、九教科は十教科になり、道徳専任の教科担当教師を養成し、通信票には五段階の成績が記載され、定期テストもあるのでしょうか。この前も教科化教科化言ってましたが、実際にどうなるのかビジョンが明確になってましたっけ? 大体、義家さん道徳教えたことないんでしょ。(高校ではカリキュラムに入らないからね)
数年前に鳴り物入りで導入された主幹教諭も、結局のところ降格させてほしいという人が多いと聞きます。で、この本がいうには、この仕事は組合の仕事に睨みをきかせるためだったんだってさ。そうなんですか? 
で、肝心なところなんですが、組合が機能しなくなると「読み・書き・算数・道徳」を達成したり「四・四・四制」に切り替えたりできるものなんですか。というよりもこの二つは本当に求められる教育なのでしょうか。

「ヤンキー最終戦争」義家弘介 その1

2011-10-28 05:34:41 | 社会科学・教育
なんていうか、この方はとてつもない自信をお持ちなんでしょうね。日教組は「偏向」しているから「ぶっつぶす」といってますが、アナタも充分偏向しておられますって。
わたしがもともとこの人を好きではないこともあるでしょう。イデオロギーどうこう言っていますが、一部から全部を語るには無理がある。ずーっと頭からとばさずに読んだんですが、どうして日教組が諸悪の根源だと思っているのか、彼らが力を失えば正常な教育活動が戻るという根拠がどこにあるのかがよくわかりませんでした。
だって、極論をいえば4時45分になったからといって帰っちゃう先生には、生徒と向き合うような気概がない、勤務時間の優先に努める日教組がよくないからだということなんでしょう? でも、そんな時間に帰っていく同僚、わたしは見たことがないんですが。
組合員が特定の政党の支持をしているのに罰則がないためにやり放題だともあったけど、そんな人もいません。わたし自身も組合員ですが、だからといって選挙戦にかりだされたこともないですし、全国には様々な組合がそれぞれの組織力をもって存在しているわけです。教師にもいろんな人がいます。理想の教師は生徒一人ひとり違うはずなんですが、義家氏はそれをよしとしない。わたしの偏見かもしれませんが、自分のことが大好きなんだろうということはよくわかります。
まずは勤務校を去ることになった理由について、自分一人で突っ走るために生徒がみんな「義家先生がいい」と言い出すようでは困ると諌められる場面があります。
あの、これを額面通りに受け止める人なんだと思います。たいがい、誰かを説得する際には、相手を傷つけないように考えて話しますよね。(こういうことをわざわざ書くのは、形を変えた自慢話だからともいえます)
プロフィールから考えると、彼が在職したのは六年という短期間。その間にマスコミに取り上げられる、講演だの連載だの頼まれるというブームがあったのでしょう。シンボルでもあった教師が退職するのを、この高校は慰留しなかったのですよね。
ちなみに、国会議員になってからも、日教組への攻撃をトーンダウンしてくれないかといってくる議員がいたといって憤ってます。
いろいろと疑問はあるのですが、まずは調査書について。実際にやってもいない役職を書いてきたり、少年院にいた事実を書いてこなかったりと「文書偽造」だと言っていますが。
その後、塾講師だったときに各校の教師の作った「過去問」を配って高得点を取らせていたエピソードが語られます。パソコンの普及で問題づくりに手を抜く教師が増えたからだと臆面もなく言っていますが、これは「盗作」とか「著作権侵害」とかじゃないの? 残念ながら広く行われていることですが、基本的にそれは「学習指導」じゃないよね。
それから、教師からもう教室には来なくていいと言われていたので、授業中は仲間と体育館でバスケットをしていたと語る生徒が、自分の目からみたらしごくまっとうな子なのに……と語る一方で、イジメをするような生徒は学校への出入りを禁止するように断固としていうべきだと言ったりもする。
いや、彼がイジメをしていたとはどこにも書いていませんよ。でも、「まっとう」な子は教室に入れないからといって、その時間につるんでバスケットはしません。
さらに、不良と呼ばれる生徒にわざと近づいて媚びを売る教師は、他の人に「すごい」と言われたいからだというようなことも言っている。でも、高校教師時代、そういう生徒と接触を持たかったわけではないですよね。むしろ関わった方なんでしょう? 自分は「媚び」ではないからいいの? 信頼関係を築いてしっかり指導される先生方を見てきた身としては、この言い草に腹が立ちます。
そんなに自慢?

「自鳴琴」池田美代子

2011-10-27 05:36:22 | YA・児童書
このまま読まずに返すことになるんだろうなと思っていたのですが、さすがにジュニア向けとあってするりと読めました。
池田美代子「自鳴琴(オルゴール)」(光文社)。「妖怪ナビルナ」の筆者が描く学園もの。「ルナ」ってAちゃん(教え子)が好きだったよなーと思いながら読みました。
陸上部員の不入斗(いりやまず)は、くるみ、都、善行の四人でオカルト研究会を行っているが、その活動はみんなには秘密。ある日、同級生の波野が失踪。それは中学校に伝わる怪談「音楽室のオルゴール」を聞いたせいではないかという噂が。
オルゴールは昔、イジメを苦にして自殺した少女が、友達がほしくて鳴らしているらしく……。
思わせぶりな展開で二転三転するのですが、解決してみるとそれほど大ごとではないんですよね。でも、思春期の煩悶についてはよくわかる。
生徒に悩みを打ち明けられた女性が、同様の体験を告白した女の子に、自分のことを話すことで裏切りとは別の可能性もあることを示唆するあたりが好きです。
学校でささやかれる怪談。その原因になったのはどうも自分の母ではないのか。そう考える不入斗は、姿を消した少女が気になります。
そんなある日、誰にも内緒で夜8時に校門に来てほしい。そんなメールが彼女から入るのです。出かけていった彼を耳に、たしかにオルゴールの音が……。
三十年前の事件と、今回のことが重ね合わされていることで、歴史(というと大袈裟かもしれませんが)って続いてるんだなと思ったり。
そのときには解決しなかったことが、時を経て明らかになるのがおもしろい。
当時の事件を知る先生に会いにいく場面もあるんですが、昔イケメン、今は太って髪も薄くなっています。さらに生徒とは関わらないようにしているらしく、再赴任していたときの生徒からの評価は芳しいとはいえません。
ネタバレになるかもしれないのですが、彼はかつて寄せ木細工のからくり箱を持ってきたことがあり、同様の箱を所持する生徒との仲を疑われて逆上。その子が自殺してしまうという過去がありました。
でも、いつくらいまで熱血漢だったのかしら。事件があってもその学校に残り、二年後には三年生担任をしています。しかも一組!
不入斗の母の顔を覚えているくらいですから、記憶力はいいのでしょうね。
生徒に関わらずに中学校の教員を勤めるのは難しいですよ。誤解が原因での自殺がひきがねだとすると、彼は急に変わったのでしょうか。
でも、中学生だったら自分も「オカ研」に入りたいと思うだろうなー。親の代からの地域のつながりとか、なぜいなくなっても彼女の親がさわがないのかとか、結構現実的でおもしろいと思います。

「くるねこ」くるねこ大和②③

2011-10-24 16:33:17 | コミック
gooのアクセスランキング、わたしはだいたい五千番代をうろちょろしています。トップの大和さんはアニメ化までされていてすごいですねー。そのアニメを見て娘が歓声をあげていたので、借りてきました。「くるねこ」(エンターブレイン)。
繰り返し読むんです。気がつくとお兄ちゃんも読んでます。この子は四コマまんがが好きなので(「OL進化論」好きの小三……)そうなるかなと思ってはいましたが、実際二人で奪い合うので、もう一冊借りてみました。地元図書館ありがとう。まんがまで貸してもらえてありがたい。
最初に借りたのは三巻、次は二巻です。
娘がいうには「うしろのほうに、すごくおもしろいところがあるよ!」
でも、あなたたちが離さないから、お母さんにはまだ読めませんのよ。
「テレビでやってたティッシュのはこのやつがのってた」とも言ってました。 不思議なのは、漢字が読めなくともなんとなくおもしろいらしいこと。「点眼おばさん参上」とか。
「このひと、おとこかな? おんなかな」
「女じゃない?」
ここまではいいとしてもその理由が「ちゃぱつの男の人はあんまりいないから」だという息子よ。このへんは田舎だからいないだけだよ……。
わたしは猫を飼ったことがないのですが、このまんがを見るとすごく納得できます。そうそう、そんな行動するんだよねー。猫に限らず小さきものへの愛着がある人にはおもしろいのでは。
子猫たちのやんちゃに振り回される先住猫たち、獣医さん、そんな方々の様子がユーモラスです。わたしがやっと読めたのは文化祭の代休で、子供は学校だったから(笑)
「明日返してくるからね」と言ったら二人して「えー」「じゃあ、つぎの『くるねこ』借りてきてー」「一巻よみたい」と言っとおります。
書店ではもう八巻が出ていますね。でも、図書館にはどの本があるかわかんないよ。
とりあえず、明日も代休。先週は雨の中陸上競技場で二日も過ごし(10時くらいには晴れましたが)、へろへろのわたしです。
反動で(?)まんがをいっぱい買いました。「OL進化論」「辻占売」「百鬼夜行抄」の新しいの。至福ー。

「名文探偵、向田邦子の謎を解く」鴨下信一

2011-10-22 21:17:20 | 書評・ブックガイド
修学旅行で見かけて、買うかどうか大いに悩んだ本です。結局予算とその後の行動を考えてやめたのですが、地元図書館に入ったので借りてきました。おもしろかった。
「名文探偵、向田邦子の謎を解く」(いそっぷ社)。筆者の鴨下信一さんは演出家で、向田さんと組んだドラマ作品も多いそうです。
作品とその人となりとを重ね合わせるのは、知人である人の特権ですね。今年は向田さんが亡くなって三十年になるそうです。こういう本が出版されるのは読者にとってもうれしいことです。
読んでいていちばん感じたのは、「思い出トランプ」への思いいれが強いことでしょうか。この作品、わたしも高校生の頃に買ったのですが、記憶がむくむくとわいてくる感じがして。
「花の名前」「かわうそ」「大根の月」……本は実家にあるのでもう何年も読んでいないのに、どんな内容なのかイメージできる。お皿の裏を使って包丁を研ぐんですよね……。
それから、富迫くんについて書いている「嘘」と、父親の死をめぐれ母の行動の「嘘」を、「胡桃の家」という作品を媒介に説き明かすのが興味深いと思いました。
家長として生きることを拒否したかった。一家の稼ぎ手(ブレッドウイナー)の死は、何かあったら家を継がなければならない恐怖を後押ししていたのだといいます。
教科書に載っている「ごはん」についても筆がさかれています。「コードバンの靴」の注釈は書いてありますが、ここではさらに一歩踏み込んで、「火と水の中を歩くのにはこのくらい頑丈な革靴でなければならなかったからだ」「金属の鋲を打った革底でなければどうにもならなかった」
さらに「紋切り型で切り口上な言い方をするときは怒り心頭なのである」とあり、「空襲」にひどく怒りを感じているというのです。
この作品の明るさやユーモアは、「泣くがいやさに笑い候」であると筆者は語ります。「ごはん」は向田さんにとって珍しく戦争について描いた作品であること、背後には強い反戦の気持ちがあることもよくわかりました。
朗読をするときの特徴の話もおもしろい。「座布団」を「ザブトン」と読む人と「ザ・ブトン」と読む人がいる(後者は年配の方に多い)とか。
「沈黙の石」(サイレント・ストーン)という考え気になります。胆石があっても痛くもなんともない時期のことをいうそうですが。たしかにあるのに、いつもはなりを潜めている。でも最も効果的にその威力を発揮して、痛烈な痛みを引き起こす。筆者は、これを「告発者」とも呼んでいます。
このサイレント・ストーンが埋め込まれているのが、向田作品の構成であり型(フォーマット)なのだそうです。
文学的な作品を読み解くこと。わたしはまだまだ修業がたりません。様々なしかけに目を向けながら、読んでいかなくてはならないと感じさせられた一冊でした。

「耳なし芳一のはなし」小泉八雲

2011-10-20 01:09:38 | 外国文学
「平家物語」のまとめをしてから、「耳なし芳一」の話でもしようかな。そう思って図書室に行って探したのですが、ないじゃないのよ「怪談」。前任校には数冊あったので油断していました。
うちの図書室、六千冊しか蔵書がないので(数えられたのが悲しい……)しかたないのかもしれないけど、ちょっとあんまりですよね。
その足でTSUTAYAに探しに行きましたら、新潮文庫の「小泉八雲集」しか見つからなくて、これまたがっかり。「新訳で」と書いてあるけど、訳されたのがもう三十年も前というのに愕然です。(昭和五十年初版。訳は上田和夫)
しかし、今回ちゃんと読んでみて、この話は「過去」を語っていることに気づきました。つまり、なぜ芳一は耳を失ったのかその理由の物語なのです。
住職が「力になってくれるよい友」と書かれているのも意外というか。
寺には働き手もいるようですから、それなりの年齢かと思いますが、「この少年」(!)の芳一と友達なの? ハーンは「friend」と書いているのでしょうか。
それじゃあ、タイトルはどうなっているのか。No ear とかなんとかいうのかなと思ってみたら、単にローマ字でした。
他の本ではどうなっているのか気になって探したのですが、地域の図書館にはアニメ版とまんが版しかない。なんとも辛いです。
人口に膾炙している作品ほど原典にはあたりにくいのかしら。
とりあえず、こちらでは和尚さんとは「知り合い」になっていました。
ちょっと用事があったので、前任校から金の星社版を借りてみました。こちらは「知己」になっています。訳は平井呈一。
こうやって比べてみると、八雲の文は、やはり英文なんだなというのが、ちょこちょこ感じられるのです。日本語の文学的な表現は、英文を日本語訳したものとはニュアンスが違います。
「女はいった」「これは奇妙なことであった。というのは、道の状態が悪かったからである」「かわいそうに、かわいそうに、芳一!」「彼は金持ちになった」(以上、上田訳)
もとの英文が浮かぶような訳だとは思いますが……。ちなみに平井訳は同じ箇所をこう表現しています。
「老女はいった」「いかにもこれは不思議なことであった。だいいち、道もわるいときている」「おお、やれやれ、ふびんな、ふびんな!」「たちまちのうちに裕福になった」
もっと比べてみたいものですが……。
そうそう、芳一のところにやってくる武者が、自分たちはこの付近にしばらく滞在しているということを言うのですが、上田訳は「泊まる」平井訳は「たむろする」だったのもおもしろいと思います。
「平曲」についての描写が結構細かくて、八雲自身も聞いたことがあるのかもしれないとも感じました。
中学生のとき、わたしは怪談ものが好きだったのでこの本も結構読んだと思うのですが、なんとも懐かしい感じがしました。当時好きだったのは、「青柳物語」。有名なのは「雪女」や「むじな」ですね。
「ろくろ首」や「食人鬼」のイメージが、昔読んだときと違うんですが……。訳のためか眠くて朦朧としていたせいかはわかりかねます……。もう少し読んでみよう~。

「愛が好きですⅡ」中島みゆき

2011-10-19 05:17:47 | 芸術・芸能・スポーツ
知らなかった。続編が出ていたのですね。中島みゆき「愛が好きですⅡ」(新潮文庫)。
「愛が好きです」にはちょうどわたしがいちばん聞くようになる時期の直前までの歌詞しかなくて。だから中学から大学生くらいまでのあたりが気になって仕方がなかったのです。アルバムだと「予感」とか「missM」あたり。朝日文庫の同種の本にもこのあたりはなくて、残念に思っていました。
あったんですねぇ。もういちいち懐かしいです。忘れていた歌も、歌詞を見れば思い出してしまう。
昨夜は「黄色い犬」が頭の中で鳴り響いてなかなか眠れないほどでしたが(笑)、当時はカセットテープに録音していたために現在なかなか聞けません。
歌詞を見れば耳の奥に曲が流れてくるものもあれば、その近くにあっても思い出せない歌もある。「吹雪」なんかは第五福竜丸に関わると聞いていたのでとても気になるのですが、なんだかわからないままです。ごく近いところまでおりてきている気はするんですが。
中島みゆきがいうには、詞を全面的に彼女の体験から作られていると信じる人が多くて、「熱病」からテストを白紙で出したことがあるのは本当かと聞いてまわる人も多かったとか。「ファイト!」をオールナイトニッポンの投稿から作ったのだろうなんていう苦情もあったそうです。
この時期から「夜会」も始まったのですね。自分が利用していた駐車場がホールになり、そこを使って何かできないかというオファーがきて、その前から考えていたステージ構想にぴったりだったという運命的な出来事。
わたしも学生時代、友人みえっちさんとコンサートに何回か行きました。スピーカーの音がものすごくて、会場を出たあと耳が遠くなっているんだよね。
みえっちさんは中島みゆきのアルバムを全部持っていて、よくダビングしてくれました。二人でしょっちゅうカラオケに行っていたけど、彼女が病気で亡くなってからはずっと行ってなかったのです。
しかし、この本を少しずつめくっているうちに、ふと久しぶりに行きたくなって。
行きました。一人で。結構楽しかった。「毒をんな」と「慟哭」を歌ってみましたよ。なんだか最近覚えたような歌は思い出せませんでした。
少しずつ読んでいるうちに、いちばん胸に迫ってきたのは「EAST ASIA」。みえっちさんがよく歌っていた曲です。
権力に揺さぶられて故国を捨てざるを得なかった女性が、どこででも生きていけるといいながら、大切な人への思いだけは捨てられない。その甘苦しい辛さ。
「でも心は帰りゆく 心はあの人のもと」
ふと、口ずさんでいる自分に気づくのです。
この歌詞自体は朝日文庫にも入っているのですが、やはり昔愛読した「愛が好きです」の系統は伝わり方が強いのでしょうか。歌というものは、様々な記憶を蘇らせることを実感しています。

「トキワ荘最後の住人の記録」山内ジョージ

2011-10-18 05:06:42 | 芸術・芸能・スポーツ
「トキワ荘最後の住人の記録 若きマンガ家たちの青春物語」(東京書籍)を読みました。
わたしはトキワ荘ものにそれほど関心があるわけではないんですが、石森章太郎ふるさと記念館で部屋の様子を再現した展示を見たことがあります。ハヤカワポケットミステリが本棚にぎっちり入っていた。この本にもそれを思い出させる描写があって、おもしろく読みました。
筆者は山内ジョージさん。なんの気なしにぺらぺらめくってみたのですが、口絵の住所(「墨汁一滴」を回覧した人たちのリスト)を見たら、「中田町宝江黒沼専福寺」とあって。
「専福寺」は記憶にないんですが、この住所、わたしの初任校にごく近い。どうも出身高の大先輩のようです。
「伯母が、知り合いの息子さんに漫画の上手な高校生がいるといって紹介してくれたのだ。隣り町に住む小野寺章太郎さんだった」隣り町というのは、当時まだ合併前だったからでしょう。直線距離で五キロないくらいじゃないかな。
読んでいるうちに、山内さんの作品展を記念館でしたことがあることが分かり、ポスターも収録されていました。わかる! これ、見たことがあります。
そんな親近感もあり、様々なまんが家さんが次々顔を出しで、楽しく読めました。
ちょうど石森章太郎「レオナルド・ダ・ビンチになりたかった」(ポプラ社)を読みかけていたこともあって、関連づけて読んでいたのですが、山内さんはこの後アシスタントとしてもかなり親しく付き合いが続いたようです。
佐沼高校時代からトキワ荘に出入りしており、長期の休みには必ず原稿を手伝いに行っていた。休みがあけてもまだ帰らずにいたら、修学旅行でやってきた先生が石森さんを生徒と会わせたいと連絡してきた。一緒に上野まで出かけたら、サボっていたことがばれてしまい、怒られたとか。
ペンネームについて、「当時活躍していた小野寺秋風の絵柄が、どうも好きになれない。それで同じ名前は嫌だというんで、郷里の町の名前の石森にしたそうです」とも語っています。
石森さんが結婚してトキワ荘を出て行ってからは、赤塚不二夫さんの話題が多くなります。赤塚さんは面倒見がよくこまやかなタイプ。石森さんの面倒もよく見ていたそうです。後年、テレビには大胆な人柄で登場していましたが、これは演技だったのではないかとも。
同居していたお母さんにもお世話になり、料理の「さしすせそ」を教えてもらったとか。
山内さんと仲のよいまんが家といえば、一時は合作をしていた高井研一郎さんでしょう。「山口六平太」を書かれている方ですね。実は「イヤミ」のキャラクターデザインも高井氏だそうです。「ショエー」というせりふを作ったはずが、編集さんの手違いで「シェー」になり、あのポーズをどう思うかリサーチするために出かけていったりとエピソードにも事欠きません。
みなさん非常に仲がよく、誰かの原稿が滞ると手伝いにきてくれる。赤塚さんにサインをもらいたいとやってきた少年たちに、「赤塚さん、スタッフの面々、それに私も加わり、手分けしてイヤミのシェーを描いてあげた。(略)子どもたちは何人もが同じようにイヤミを描いたのを不思議に思わなかったかどうか」と心配までしていますよ。自分の絵は偽物だと思われていないかというのがおかしい。
当時のまんが家のみなさんの交遊ぶり、生き生きと紹介されています。