くじら図書館 いつかの読書日記

本の中 ふしぎな世界待っている

「さんちき」吉橋通夫

2013-05-31 22:01:34 | 時代小説
 単行本が出ているらしいですね。でも、今回は教科書版です。吉橋通夫「さんちき」。東京書籍の国語、一年生用です。単元は「読む[文学]」。
 今年は順番を入れ替えて、物語と同じ五月二十日から授業を始めました。
 そうしたら、「今日で149年です!」と発見してくれた子がいて、なんだか不思議な感じですね。わたしは中学生の文学教材ではいちばん「さんちき」が好きなんですよ。教育実習の人がきてもまかせたくないほど(笑)。
 今回は五年ぶりに授業をしたのですが、時代劇的な知識が希薄になっているように感じました。「字が読めない」ことをことさらに強調する子が何人かいまして、さらに職人が名を刻むということが実感としてつかめていない。「新撰組」「尊皇攘夷」とあっても江戸半ばくらいだと思っている子もいます。
 こういうレディネスのようなことを、入学一カ月半の生徒から抽出するために、わたしは「親方」か「三吉」かに架空の手紙を書かせます。文章だから、知っていることしか書けない。もちろん、そうする前に詩だの嘘つき作文だのを書いてもらって、ある程度授業で文章を書くことに慣れさせておくんです。
 なにしろ自分の名前すら間違うという三吉を、子どもたちがどう見るか。その傾向をつかんでから、めぼしい作文を選んで紹介します。自分だったら絶対車大工にはなれないという子もいますし、親方に怒鳴られそうだからやめておくと書く子もいます。模範的な読み取りだけでなく等身大の感想も入れるのがコツですかね。
 それから、登場人物をキャスティングして全員で読んでいきます。とりあえず人物は二人なので、そのほかの子は「一文読み」。ルール確認と三吉の作った「矢」の説明を学習するために、クラス一巡したらそこで終わります。
 ところが、ここまでだと親方の台詞がひとつしかないんですよね。大体は次の時間も続投してくれます。三吉役は交代しますが。 
 「矢」については、あらかじめ厚紙を切って「元治元年甲子五月二十日」と書いておきます。次の時間にそこまで読んで、おもむろに取り出し、読み方を訊く。
「これは裏? 表?」
 当然「裏」ですよね。では表にはなんと書いてあるのか。「さんちき!」
 で、三吉役の生徒に書いてもらう。この矢はのちほど使います。
 親方の侍観と車大工観を対比して、親方から三吉への「励まし」であることをおさえさせ、三吉が「腕のええ車大工」になると決意することで、この物語は終わります。
 でも、あらすじをなぞっただけでは不十分なんです。もう一押しほしい。そこで例の厚紙が再登場することになります。
 「この矢がついているのはどんな鉾なのか」を確認してください。百年持つ鉾です。
 だから、百年先の人はその鉾を作った車大工は「さんちき」という人だと思う。「さんちき」とは、百年先も使われ続ける鉾を作るほど腕のええ車大工なんです。
 百年先、というキーワードで、実際に物語の時代から百年後のことを考えるという授業をする方もいるそうです。百年では長いので、まだ三吉が生きていそうな五十年後という設定をする場合もある。実際に見せてもらったら、日露戦争に突入する激動の時代と話されていて確かにインパクトはあるのですが、幕府(為政者)は変わっても庶民の力は受け継がれるというテーマからは離れるように感じました。
 わたしは「三吉の決意」についてどう思うかをまとめさせます。自己評価用紙を毎時間提出することになっているんですが、そこに「三吉は一人前になるまであと二十年くらいかかりそう」と書いていた子がいまして、引き合いに出しながら三吉はこれから先変化するのか、を中心に書いてもらう。矢を作るのにあれだけ頑張ったのだから、おっちょこちょいは仕方ないとしても腕のいい車大工になるだろう、弟子もいて昔自分が親方から言われたことを伝えているだろうというパターンが多く寄せられました。
 感想は小集団で話し合いをしてから全体発表で共有します。お互いの意見から自分の考えを深められるのが教室の魅力ですよね。
 この「車伝」という工房、親方と三吉の二人なんですよね。親方は一本の矢以外全部自分で作れるんです。三吉が親方の言葉で変わったのではないかと思う根拠として、八つの頃から親方の仕事を側で見ていたからという人もいて、物語の背後を見つめられる力を感じました。

「ナミヤ雑貨店の奇蹟」東野圭吾

2013-05-28 21:46:29 | ミステリ・サスペンス・ホラー
 知人の間で好評だったので期待していたんですが。
 うぅーん、東野圭吾だから成立するというか。わたしが過剰に期待しすぎていたのか、それともわたしのものの見方がひねくれているからか、正直なところ、素直に感動とはいきませんでした。これはメルヒェンなんでしょうか。皆さん、これがハートフルというものなの?
 「ナミヤ雑貨店の奇蹟」(角川書店)。「奇跡」ではなく「奇蹟」なのです。
 ナミヤだから、ナヤミを解決してくれるんです。この雑貨店のおじさんに、近くの子どもたちがちょっかいを出し、おじさんも微笑ましい回答を寄せてくれる。いわば、「生協の白石さん」のような感じの出発点だったんです。だんだん大人も深刻な悩みを打ち明け始め、シャッターから手紙を入れると翌朝には店の牛乳箱に返事が入るシステムになっていく。
 五つの章に分かれていて、読んでいくうちに登場人物の背後が見えてくる。パノラマみたいな形式です。実はわたし、こういう構成が大好き。第一章でオリンピックを目指しているが最愛の人が病床にある。競技をやめて側に付き添った方がよいのかと相談する女性は、やがてフェンシングの候補だったことが判明しますし、相手はもともとコーチだったことも分かる。さらに、その後の彼女の生活も垣間見ることができます。
 九月十三日の夜、ケチなこそ泥をして逃亡したものの車が動かなくなって、翔太、敦也、幸平の三人はナヤミの裏口から入って身を潜めます。でも、いつまで経っても夜が明けない。店のシャッターから入ってきた手紙に、つい返事を書いて裏口の牛乳箱に入れたら瞬時にその続きを綴った手紙が届く。
 奇妙なことに、三人の時間は進まないのに手紙の中ではかなり月日が過ぎていて、さらにはどうも今よりもずいぶん昔なのではないかと思われるのです。ケータイとかネットについての文を見た相手からはどういうことなのかと訊かれるほど。
 その「未来」からの視点を役立てて相談に応じていくことになるのですが。
 次第にその夜ナミヤに届くのは、近くにある児童養護施設「丸光園」に関わる人が多いことが分かってきます。三人のもとに届く手紙、一夜の「復活」と合わせて、東野さんが企んだのはこの部分かと思うのですが。
 で、誰かが空の上からナミヤと丸光園をつないでいると三人は感じるというんですが。
 突然会話に登場してくる創設者のアキコさんの部分が、わたしにはなんだか、納得しかねるんですよ。お金持ちのお嬢さんで、おじさんの若い頃に恋愛関係になったけどうまくいかなかたんだね。おじさんは数年後に手紙を託し、それを彼女はずっと持っていた。
 独身のまま教師をして、辞めたあとに丸光園を作った。そのセンチメンタルな筋をうまく受け入れられないのです。
 おじさんには子どもも孫もいるのに。地元でもないのに、近くに施設を建てて。
 ビートルズに熱狂した少年期を振り返る男性の、自ら放り棄てた過去が迫る物語もよかったんですが。
 「どうか信じていてください。今がどんなにやるせなくても、明日は今日より素晴らしいのだ、と」
 この言葉はしんみりと胸に迫ってきました。

「骸骨を乞う」雪乃紗衣

2013-05-25 20:01:52 | ファンタジー
 長い……。なかなか読み終わらなくて、残ったページを見ては溜息、でした。
 雪乃紗衣「骸骨を乞う 彩雲国秘抄」(角川書店)、約六百ページ、六つの連作と以前雑誌掲載された短編が入っています。
 読んでいて思ったのは、わたしにとって「彩雲国」は断絶があるということですね。茶州編までとそのあとがほとんど違う話のように感じるんです。登場人物は同じだけれど、いつの間にか姿を消してしまった人がいる。それ以上に新しいキャラクターが幅をきかせている。だから、巻末の「運命が出会う夜」は人物を思い出すのが大変でした。黎深も鳳珠もこういう行動をするんだっけ? 多分続けて一気に読むかアニメに親しんだ人はさほど苦労しないんでしょうけど。
 まあ、ある意味でその断絶を埋める話といえるようにも思いました。わたしも思っていましたよ、八仙のことはどうなったのか。確か秀麗を後宮にいれたおじいさんは仙だったよね? 茶州から帰ってきて王室の話になったのに、あれ?
 先代の宰相だった彼は人々から記憶を消していたのです! な、なるほど、かなり力業ですが、わたしは嫌いではありません。物語の矛盾を見直すと別の物語が出てくるものです。辻褄が合わないままになるよりずっといい。
 で、雪乃さんはやっぱり旺季が好きなんでしょうね。この物語は彼をめぐる物語です。そばにいた人々や、旺季の死も描かれている。
 誰も殺したくない劉輝と、対照的に死が日常にあった旺季。誰かを守るためならば、そのほかの死をいくら築いても気にとめない。これは、「運命が出会う夜」に書かれる悠舜の姿勢と共通しているようにも思います。
 南天の実が全部落ちたら、いいことがある。
 戦いのなかで精神的に立ち直れない人もいる。その一方で、旺季は自分の所業に何らかの呵責を覚えているとは思えません。
 でも、わたしは彼に魅力を感じます。「仕方がない」と呟く、その口振りも。
 「骸骨を乞う」、これは終生側に仕えた王の前から去るときの古歌なのだそうです。紫仙が姿を消したそのときのもの。そして、物語は劉輝と旺季の側を去っていかなければならなかった人々を描いいます。
 人物が多くてこんがらがってしまいますが、引力のある物語です。読み返すとしたら、やっぱり前半かな。でも、後半を自分の中で整理し直したいような気がします。

「先生のお庭番」浅井まかて

2013-05-22 04:53:55 | 時代小説
 先生とは誰か。
 ふぃりっぷ、ふらんつ、ばるだざある、ふぉん、ずぃーぼると。「しぼると先生」と、熊吉は呼びます。先生は非常に日本語が堪能で、なんと長崎弁をしゃべるんですが、日本人の名前は苦手なのか、熊吉のことを「コマキ」、奥方の滝を「オタクサ」と呼ぶのです。
 学生のころ、一般教養で生物をとっていたわたし。紫陽花の学名はシーボルトが奥さんにちなんで名づけたと聞いたことがたいへん印象深く、読む前からそのエピソードが頭をかすめていたのです。
 浅井まかて「先生のお庭番」(徳間書店)。史実が下敷きですから、この先シーボルトが単身帰国することも、地図を持ち出そうとして大問題になることも、残された娘が「オランダおいね」と呼ばれることも、わかっているわけですが。
 でも、十五歳の小僧でありながら、更地に薬園を作り上げ、異国に草木を送るために知恵を絞る熊吉の姿が、とってもいいんです。様々な植物を限られたスペースに入れ込むための工夫、長い船旅の間どうすれば枯らさないまま運ぶことができるのか。それを、熊吉は真剣に考えて実行していく。特に油紙を張れば土を湿らせておくことができるのではと考え、思うようにいかなかったために紙漉の職人のもとを訪ねるあたりが好きです。
 熊吉は先生の意向に沿うように創意工夫を重ねます。ともに働く使用人の「おるそん」のおおらかさもいい。
 でも、この物語の肝は、後半。帰国を決めたシーボルトとお滝の心のすれ違いだと思うのです。
 お滝は零落した商人の娘で、家のために身を売ったのです。オランダ人を相手にするのは、世間的にみれば最下層の立場であることはわかっているけれど、そんななかでシーボルトと出会えたことは幸福だった。父の商売が傾いてよかったとまで思っているのです。
 別れがはっきりしたとき、シーボルトは庭の虫の音にかんしゃくをおこします。
「やぱんの秋の風景は素晴らしいが、この虫の騒がしいのだけは我慢がならない」
 お滝は、それまで同じようにものを見ていると信じていた男の言葉に耳を疑います。殺虫剤をまけとまで言われ、
「風情やけん、私らにとって……秋虫がすだく夜は、風情」
「なんのことだ」
 この残酷さ。愛し尊敬し、ともに生きていけると思った相手は幻影だったのだと、彼女は感じたのでしょう。必ず帰るという言葉をあてにしないまま、二年で再婚したというのも、このあたりのシーンが納得させてくれます。
 奔放に生きているようで、自分の中の孤独をかみしめている。そんなふうに感じました。
 紫陽花の季節ももうじきですね。群生する紫陽花の美しさが、作品に花を添えるといってもいいでしょうか。 

「夜明けの図書館」埜納タオ

2013-05-21 04:28:47 | コミック
 なんと、二巻が出ました。埜納タオ「夜明けの図書館」(双葉社)。
 図書館の新米司書葵ひなこが、レファレンスを通して人々とふれあい、日々成長していくまんがです。前巻がとてもよかったので、見つけて買った店の駐車場で一気に読んでしまいました。家まで待てない!
 今回は、子どものころに読んだ絵本、料理部を継続するための手段、小唄、拾った木の実の名前と、書籍に限らず調べることが取り上げられていました。
 そうそう、図書館って、知識が集約されているところなんですよ! 以前、門井慶喜さんの本に、無料の貸本屋みたいに思われるのは嫌なものだということが書いてあったけど、その気持ちは半分わかります。貸本屋的な側面も、やっぱり必要だと思うから。でも、それだけで終わりではいけないのですよね。どうすれば知りたいことを調べられるのか、その方策を見つける糸口になってほしいんです。
 今回生徒会総会の質問に「本を増やしてほしい」というのがあったんですが、心外です。この二年で七百冊も増やしたのに!(前年比の三倍です)
 自分のターゲット以外の本は目に入らないのでしょうか。携帯小説を入れてほしいというのもありましたが、わざわざ学校図書館に入れる必要は感じません。そういうものを手に入れる場所はそれなりにあるでしょう。
 ひなこは、小学校のときにお世話になった先生の影響でこの仕事に就いたのだそうです。調べるとか学習の仕方とか、いつ、どうやって身につけたのか、自分でもわからない方が多いようにも思いました。でも、確かに「教えられて」いたのだろう、と感じさせられる。
 ネットで手軽に検索するのもひとつの手段ですが、やはり本の魅力とか有効性を感じてもらいたいのですよね。
 先日、あるネット教材で「文節と単語」の例文を見たんです。試しにやってみると、わたしと解答例が違う。自分の間違いはわかったんですが、どうしても一カ所、納得できないことがある。
 「授業の前には」は、いくつの単語ですかね。わたしは五つだと思うんです。しかし、解答は四つだという。「には」が分かれていない。そんなはずはない! と思って、誰彼聞きまくったんです。でも、やっぱり文法のテキストが決着をつけてくれました。「に」「は」ですね。あとで同じブロックの別問題を見たら、こちらは「に」「は」になっていました。
 わたしだったら、ひなこに何を調べてもらうでしょうか。うーん、今なら「講談宮本武蔵」の桃井なんとか佐衛門の結末を教えてほしい! ラジオで聞いて、中途半端なところで目的地についちゃったんです。あのおじいさんは何者っ?
 ひなこがティーンズコーナーを作っているのも、いいなぁ。そうやって、平面展開できるのが羨ましい。うちの図書室書棚が少ないんで。古い本を追い出さないと新しいものが置けません。ん? だから、本が増えないと言われるのか? 
 
 

「命のバトン」堀米薫

2013-05-20 21:23:13 | エッセイ・ルポルタージュ
 図書館に三回行ったけどずっと貸出中だったので、たまりかねて注文しました。堀米薫「命のバトン 津波を生きぬいた奇跡の牛の物語」(佼成出版)です。五月に入ってから堀米さんの本を読み続けていますよね。
 東日本大震災で宮農の校舎が壊滅的被害を受けたことはニュースで幾度となく目にしました。生徒は分散してよその高校に間借りしながら授業を受けたことも。その一校の校長は、わたしの恩師。
 あの震災で、たくさんの命が失われました。津波がくる、と知ってなにかしらの策を講じる隙はほとんどなかったと思うんです。わたしは内陸に住んでいますが、多方面からその被害の様子は耳にしています。昨日、子どもたちがおじいちゃんに南三陸まで連れていってもらいました。
「まだ瓦礫がたくさん残ってた!」と言っていましたよ。
 宮農の先生は、牛舎に戻って牛の留め具(スタンチョン)を外し、必死の思いで高台の鉄骨によじ登った。牛はあちこちに逃げて、ビール工場や町の人に保護されていたそうです。
 牛の血統を途絶えさせてはならない。そんな思いが随所に感じられました。
 作品の冒頭には、家畜とはペットではないという話と、鶏を解体する授業について書かれています。食べるということは、その命を自分の中に受けていくこと。
 宮農で救出された牛は、「共進会」というコンクールに出場することになります。牛にも「美人」がいるんですよ。以前ポイントを教えてもらいましたが、わたしには見分けられませんでした……。(てんぐすびょうも今でもわかりません)
 実はわたし、数年前にこのコンクールを見に行ったことがあります。本を読んでいて思い出しました。
 で、ここで優秀な成績を収めた牛が産んだ子供が、次の年のコンクールでグランドチャンピオンに輝いたのだそうです。この作品の中心になっている陽子さんが、自分の名前にちなんで「サニー」と名づけた牛。
 活躍した生徒に子牛の命名権を与えるというシステムがおもしろいですね。野球部の生徒がつけたから、「ラミレス」という牛がいるそうですよ。
 

「展覧会いまだ準備中」山本幸久

2013-05-18 15:25:39 | 文芸・エンターテイメント
 確か昨年あたり読んだ本には、黒川さんに春がきたはず……。この八木橋さんのことなのかな。それにしても醐宮さんはいろんな人とかかわっているよね。凹組の皆さんも元気そうで。山本作品を読むといろんな場面がリンクするんですが、今回は羊のバルーンのあの会社も登場。創業者が本草学をしていたために残した絵が絡みます。
 醐宮さんにプロポーズまでした十歳下の学芸員今田弾吉が主人公です。(醐宮さん、いつの間にかわたしよりも年下に……)
 学生時代応援団に所属していた今田は、母校の野球部を応援しようと駆けつけ、先輩だった白柳から先頭に立って声を出すように命じられます。なにしろ、今田が応援する試合は勝つから。
 そのジンクスを聞きつけた運送会社の若い女の子(十九歳!)サクラから、自分のボクシングの応援にきてほしいと頼まれるのですが、応援団の先輩韮山からも、妻の実家で見つかった絵を見てほしいと言われる。
 今田は東京とは思えないような郊外のこぢんまりした美術館に勤めています。先輩は個性派揃い。自分のやりたい展示は企画さえ通してもらえません。
 でも、韮山や白柳にいわせれば、自分の好きなことを仕事にしている羨ましい人、ということになる。
 実際に金銭的な価値はないに等しいのですが、韮山に見せてもらった羊の絵は妙に味わい深く、今田の心を引きます。韮山の息子マサヒコも加わって、作者の乾福助を探ることになります。
 山本幸久「展覧会いまだ準備中」(中央公論新社)です。おもしろかったんだけど、表紙カバーがなぜシロクマなのか、納得いかないんですが。この内容ならナミが見せてくれた羊のフィギュアだと思うんだけどなあ。
 美術館、わたしも好き。図録が好きなんです。ショップのグッズって、デザイン会社に頼むものなんですね。凹組の作るグッズならおもしろそう。
 乾のエピソードを知るために、マサヒコを連れて出かけるところが特に好みでした。マサヒコがとっても魅力的で、ダンボールロボットを作ったり筧さんとやりとりしたりするのがすごく楽しいんです。泊めてくれた三田村さんの言葉もしみじみします。
 いろんなところに、多分隠されたエピソードがある。そんな気がしました。黒川さん、実はアメリカに行っちゃったりするんじゃないですよね?
 

「チョコレートと青い空」堀米薫

2013-05-17 22:20:57 | YA・児童書
 ガーナから農業を学ぶためにやってきたエリックさん。周二の家でしばらく一緒に住むことになります。周二と妹のゆりはすぐに仲良くなりますが、反抗期真っ盛りの兄はなかなか心を開こうとはしません。
 ガーナという国のことを、チョコレートの国だと思っていた周二は、エリックさんから子どもまでもがカカオを栽培するために働いていることや、輸出入が公平とはとても言えないことを知らされてショックを受けます。
 堀米薫「チョコレートと青い空」(そうえん社)です。このところ堀米さんの作品がおもしろくて続けて読んでいます。わたし自身が農家の生まれということも大きいのですが、農業を通して描かれる作品テーマがすっきりしていて読みやすいんですよね。すんなり寄り添うとでもいいましょうか。子どもに読ませたいと思うことが多いんです。読書感想文にも向いていると思うなぁ。
 作品の背後に浮かぶエリックさんの人生が気になります。自分にも反抗期はあったから、カズキの気持ちはわかる、と。勉強が好きで奨学金を得て大学を卒業したのだそうです。家族を大切にしている彼にも、大きな葛藤があったことでしょう。
 きっとカズキはやってくるといいながら、牛の世話をする場面が印象的でした。頼りになる大人がいないとき、きっと心細かったでしょうに。体調を崩すほど頑張ってしまうんですね。
 病院に残った兄と、エリックさんは何か話をしたのでしょうね。世界の広さを感じさせる心の広さも感じました。
 それにしても、中学の同級生ゆうちゃんはひどい。牛は臭いなんて、そこのうちの子どもに言ってはいけないよね。
 跡継ぎ問題については、「林業少年」にも出てきましたが、農家にとっては深刻なものです。エリックさんが感激した棚田(「テラス」といっていました)だって、作業が難しいから荒れてしまうところが増えてしまいます。
 同じ県内でも、わたしは角田にはほとんど行ったことがありません。去年の学校図書館研究大会、行けばよかったなー。

「ナターシャ チェルノブイリの歌姫」手島悠介

2013-05-13 05:34:12 | エッセイ・ルポルタージュ
 図書館児童書のルポルタージュ棚にて発見。ナターシャ・グジーとチェルノブイリ原発事故とを子どもにも分かるようにまとめた本です。筆者は「かぎばあさん」(懐かしい!)の手島悠介。「ナターシャ チェルノブイリの歌姫」(岩崎書店)です。
 発行をみると2001年ですから、もう十年以上経ったのですね。チェルノブイリは遠いと感じている人たちに、ナターシャさんという人物を中心に据えて、あのとき何が起こったのか、人々はどうなったのかを描いています。
 ある消防士は、全身焼けただれて面会謝絶。髪の毛は抜け、足は腫れ上がって。関係者の目を盗んで通い続けた妻は、夫の死後に赤ちゃんを産みますが、先天性の心臓欠陥があり亡くなったそうです。ある看護婦が、横たわった夫のことを「放射性物体」になったのだと言います。
「人間は400レントゲンで死んでしまうんだから/あなた、゛原子炉゛の世話をして、自殺するつもりなの!」
 むごい言葉ですよね……。胎内被爆の可能性を知られたらこれ以上夫には会えなくなると感じ、妊娠を隠して通い続けた彼女のエピソードだけでなく、隠されてさらに甚大な影響が出たことや、事故処理の責任者だった博士の自殺も描かれていました。
 ナターシャさんの避難や幼少時のことはCDブックにもあったのですが、なぜ日本で歌手活動をすることになったのかよくわかっていなかったので、いろいろ納得いたしました。被災した子どものために作られた音楽団に入ったのがきっかけなんですね。
 現在のナターシャさんは、日本の男性とご結婚されて、今なお音楽活動をされている。この本は、実際にナターシャさんの音楽にふれたことのある人にはさらに胸に迫ると思うのです。
 そして、「今」の視点で読むと、チェルノブイリはもはや対岸の出来事ではないことがひしひしと感じられます。「フクシマ」を経て、わたしたちは外部被爆にも内部被爆にも、無関係とは言えなくなりました。安全なのか、どうか。安全だと信じて、生きていくしかないのですが。
 原発事故に関わる基礎的な事項や用語解説もあります。ニュースで耳にすることも多くなりました。セシウム、ストロンチウム、プルトニウム、有効半減期、放射線障害。被爆量がさらに下がって25レム以下になると普通の検査では異常は見つからないと書いてあります。でも、突然変異の発生などの遺伝性障害やガンの発生などの晩発性障害があるのだそう。自分自身はともかく、子どもたちの未来を考えると寒気がします。
 原発、わたしは反対です。広島原爆投下のあと、熱狂的に報道されたことに関して、カミュが二十万人もの市民を殺戮した原子力の発見を喜ぶのは「人間として、つつしみにかけるのではないか」と語ったという記載が、印象的でした。

「牛太郎、ぼくもやったるぜ!」堀米薫

2013-05-12 10:07:21 | YA・児童書



 今日は、田植え。しかし、わが家の田植え機械の調子が悪く、急遽修理工事へ。しばしお休みです。
 堀米薫さんの本をまた借りてきました。「牛太郎、ぼくもやったるぜ!」(佼成出版)。友達関係に悩む男の子が、牛の飼育を通してたくましくなっていくのが頼もしいと思いました。うちの息子も小学生(主人公より年上……)ですが、やっぱり親がもう少し成長の手助けをするべきなのかなと思いました。もちろん、作中の「父ちゃん」はそういうことを感じさせない自然なサポートなんですけどね。 
 小学校四年生の「ぼく」は山中健太郎。家は畜産をしています。ある日、難産の牛を引っ張り出す作業に駆り出され、生まれた牛に名前をつけるように言われます。
 自分の名前にちなんで「牛太郎」と名づけられた牝牛が育つのと同様に、健太郎もいつの間にか成長している、というあらすじです。
 わたしは牛を育てたことはありませんが、ヤギなら飼ったことがあります。なんとなくわかる。出産も見たことがありますよ。
 牛太郎という名前ですが、メス。それをつい忘れてしまうわたしは、母牛から離されて「かずこ」と「ひろこ」という牛と一緒の牛舎に入ったときに一瞬悩んでしまいました。ははは、ネーミングってやっぱり与える印象が強いですね。
 「角つきあわせ」をして優位を決めるということを、健太郎は父から話されます。自分も牛太郎と同じように、弱い立場にいると思って涙を流すのですが、
「いまは弱虫でいいんだよ。牛太郎には心も体もまだ強さが足りないんだ。でもかならず仕切り直しはできる」
 一度は負けた牛でも、力をつけて何度でもはいあがるチャンスはある、そのためにはしっかり食べさせることと、「おまえが一番の味方になってやることだな」と言われ、健太郎自身が非常に励まされます。
 はたらく、ということの力強さ。誰かが自分を応援してくれる安心感。そんなものも感じました。
 田植えの続きも頑張ります。