シャツのほころび涙のかけら

昔よく聞いたNSPのタイトルを拝借。…趣味や日常を綴っています。基本はガンバレ自分!時々覗いてみてください。

岩槻『まちかど雛めぐり』

2018-03-08 | お出かけ
配達されてくる地域のフリーペーパーで、さいたま市岩槻区(旧:岩槻市)での雛人形のイベント(?)の記事と、神社の石段を雛壇代わりにした画を見た記憶もあったので、妻に「せっかくだから行ってみる?」「そだね~」となった。
3月3日(土)で、それこそ桃の節句(雛祭りの日)なので、混んでるかな~と思いながらも、昼前に車で出発。まずはその石段雛人形のある愛宕神社に向かう。
 
神社の駐車場に入る道は狭くなかなか前に進まない。臨時駐車場の案内チラシがあったのでそちらに移動する・・・ちょっと遠い。臨時駐車場は広いのに車は10台もない。ガラガラだった。そこからは歩きだとショートカットで愛宕神社に行けた(でも700m位あるか?)。
 
愛宕神社」の社殿は、周囲が平地なのにそこだけ盛土をしたような小高い山の上に鎮座しており、拝殿の正面にある急な石段と右奥からの緩やかな坂を利用して上がる。大雛段飾りはその急な石段を利用し、多数の雛人形が並んでいた。

最上段には、大きめの内裏雛。(この後ろから下を見下ろす方が居たので、居なくなるまでしばらく待った。)

男子なので雛人形に特に興味はなかったけど、これだけ並ぶのは一見の価値があると思う。(近場だから良い。他県ではもっと段数の多い巨大な雛壇もあるそうだが、わざわざ行くことはないだろう。)

小高い山の上にあるという(変わった)立地は、「社伝によると、長禄元年(1457)に大田資清(江戸城築城をした太田道灌の父)が、岩槻城を築城するにあたり、城郭として外堀と土塁を建造。その傍らに祠があり、土塁に移してお祀りしたとある。」そうだ。結果的に岩槻城の土塁がここに残ったわけだ。
 
境内では甘酒をサービスで振舞っていた。置いてあった「まちかど雛めぐり」のパンフレットを見ながら、甘酒を渡してくれたお姉さんにお薦めの見所を聞いて移動する。(岩槻の市街地もこのイベントも初めてなので、聞いて正解だった。)
 

次に行ったのは「長谷川家住宅(の旧店蔵及び主屋)」。着いてみてまず驚いたのは国登録有形文化財だった。この建物は明治初期の建造とされ、旧店蔵は、通りに面した土蔵造2階建で、背面側に木造平屋建の主屋。長谷川家は明治30年頃まで白木綿問屋を営んでいたらしい。

現代の所謂「店」からすれば店内は狭い。そこに歴史のある雛段飾りが並べられていた。以下、300年前、200年前、100年前のもの。
 
 
 
 
知らなかったけど、五段目の「仕丁(じちょう)」の3人は表情が豊かで、雛段飾それぞれに違うのも面白い。
 
 
その次に「東玉大正館(旧中井銀行岩槻支店)」に行く。なんと、この建物も国登録有形文化財で、大正時代後期に建築された煉瓦造2階建ての洋館建築。正面の重厚そうな石柱に上部は半円アーチ型で飾る。当時はハイカラでモダンな建物だったのだろう。

ここでは、雛壇飾りの他、それ以上に吊るし雛が多数あった。
 

通りには桃の節句なのに「鯉のぼり」?隣と奥に雛人形や五月人形の製造・販売店があり、そのPR用のようだ。ちょっと覗いたら、カッコイイ兜が置かれていた。
 

お薦めの最後は「岩槻藩遷喬館(せんきょうかん)」。江戸時代の後半(1799年)に、岩槻藩士の儒学者が創設した私塾で、後に正式な藩校となる。建物は武家屋敷を利用したもので、木造平屋建て茅葺屋根。平成17年から18年にかけて江戸時代の姿に復原し、公開している。埼玉県内では唯一現存する藩校の建物。埼玉県指定文化財。

教場が開け放たれ、大正時代の雛段飾りが置かれていた。

  
散策している時に「時の鐘」の案内サインが目についた。埼玉県で「時の鐘」と言えば川越が有名だが、岩槻にもあるようだ。せっかくなので駐車場に戻り遅いランチ先を探しながら立ち寄った。
 
時の鐘」は、岩槻城の鐘楼で、寛文11年(1671年)当時の岩槻城主が設置したもの。川越に比べるとどっしりした感じ。現在も一日3回鐘をつかれている。

さいたま観光国際協会のWebサイトによると、「10か所以上あったと言われる幕府公認の江戸の鐘を含め、現在も一日に複数回の時を知らせ続けているのは、上野寛永寺の鐘、川越の鐘、岩槻の鐘の3か所だけになりました。この中で現存する鐘としては岩槻の鐘が一番古いものです」とのこと。まったく知らなかった。鐘の音を聞きたいものだ。
 

「まちかど雛めぐり」は、2月24日~3月11日まで行われている。
このような催しのために、歴史的建造物を使用するのは、人形の歴史だけでなく建物の歴史や街の歴史も知ることができてとても良と思う。また、ここに挙げた所だけでなく、通り沿いの金物屋、履物店、服地店、酒店など多くの店で雛人形が展示されていた。さすが「人形のまち」だけある。
 
東玉大正館の前の通りは、電線が地中化されており、歩き易く景観も良い。老舗の店も多そう。また、周辺も含めて、旧城下の通り名を記したサインや観光案内のサインも随所にあり、初めて訪れる者に優しい街づくりをしているように感じた。
岩槻は「人形のまち」ということ位しか知らなかったけど、認識を改めさせられた。行って良かった(行ってみるものだな)。
 
 
コメント (4)
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