新潟県中越地区の中山間地(?)、実家のある集落は、過疎化・高齢化が進んでいる。
明治の頃は、近隣の集落の集まりで「村」だった。それが、昭和の大合併で「町」になり、平成の大合併で「市」になった。しかし、元々の「村」範囲内の各集落は所謂「限界集落」になり、中には消滅した集落もある。
また、電車の通っていない地域なので、交通は自動車のみになるが、地域内を通る主要国道の交通量は一昔前に比べると格段に減少している。地元の車はもちろんだが、高速道路や他の主要国道の整備などで仕事や観光目的で通過していた車の流れが変わってしまった。
私の祖父が始めた稼業である蕎麦屋は、その後父が継ぎ、現在は兄の時代になった。
しかし、年数の経った店はガタがきてるし、周囲の環境からしても、いつかは・・・とは思っていた。思っていたが、兄から「近いうちに店をやめようと思っている」と聞いた時は驚いたし、その後実際に閉めたと聞いた時にはしんみりと・・・。
実家の状況も心配だったし、こちらの気持ちも落ち着かないので、7月4日(土)~5日(日)に妻と実家に行ってきた。(↓蕎麦屋)
挨拶もそこそこに店の様子を見に行く。1階の店舗内は荷物を片付けるためにゴチャゴチャしていた。2階も大広間以外は同様。3階(屋根裏)も物入れになっている。
田舎のことなので物を入れるスペースは充分にある。なので「今の店を建ててからの40年近い物が残っている。捨てるものまで置いてあるし、自分では判別できないものもある」と兄はグチ混じりに言っていた。
(両親は年齢のこともあるが、片付けにはあまり積極的ではない。)
地下の蕎麦を作る場所ものぞいてみる。ここは場所が場所なだけに滅多に入ることは無かった。ひっそりとし粉臭が漂う。これまで気にもしなかったが、改めて見てみると元々の店で使っていた(私が小学校の頃に覚えのある)設備も残っている。まだ使っていたんだ~としみじみ。
両親や兄と話をしていると店を閉めてから日が経ったせいか、すっかり気持ちの整理がついているように窺えた。でも、元々の家&店があった近くでタバコを買いに行くと、かなり久し振りにそこのおばさんに会い「久しぶりだね~」の後は「急にやめちゃってね~」と・・・。
しばらくすると、近くで畑仕事をしていた近所のおばさんも加わって昔話。私が小学校低学年の頃に学校から泣いて帰ってきたとか、遊びにきたら何が面白いのか土蜘蛛の袋状の巣をとっていたとか・・・。覚えていてくれるのは嬉しいけど、もう少しイイ話はないものかと提言してみたのだが無駄だった。
店はこのままで貸すことも考えているし、備品はまとめて売却することも可能性としてはあるかもしれないので、使っていた備品類はそのままにしておくようだ。
そこで、記念(?)に古いせいろやおちょこ等を頂くことにした。
帰宅した次の日の夕食は、いただいた備品(せいろとおちょこ)を使って。手振りはできない。
玄関上がりにもしばらく置いておこう。そばせいろと団扇、手作りのざるは頂き物らしい(昔はこのようなざるを実際に使っていた)。せいろの名入れは父親の自筆。
田舎では商店の類は少なかったので、子供のころは他の家との違い(休みや営業時間のこと等)にアレコレ考えたものだ。いつの頃からか「将来はサラリーマンになりたい」なんて思ったりした。
田舎があることで「イイですね~」と言われることがある。加えて蕎麦屋をやっていると言うと「それはイイですね!」と声が大きくなる。どんな田舎なのかも知らないくせに、大変なんだよ・・・と内心では思うのだが、言われることは嫌ではない。大外れではないことにいつ頃か気づいた。
蕎麦屋のおかげで育つことができた。大人になってからは実家に帰って蕎麦(+お酒+山菜)を頂くのが嬉しかった。
ただ、第三者ではないので、稼業に対して何の助力もできていない自分が情けなくも思う。
実家のこれからのことも心配だが、今は・・・蕎麦屋とそれを支えてこられた方々、長い間本当にお疲れさまでした。
(昔を思い出しつつ書いているのでとりとめのない話になっている。このへんにしておこう。)