因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団劇作家『劇読み! サバイバル2』 

2021-10-31 | 舞台
*公式サイトはこちら1,2,3,4,5,6,7,8,9)10月30日~31日 スタジオ空洞
 冷たい雨の降る日曜夜、久しぶりに「劇読み!」を観劇した。池袋駅の喧騒から離れた小さなスタジオは座席の間隔を取り、席数もかなり少なめではあるが、戯曲のお披露目を待つ期待に満ちている。今宵の演目は次の2本。

☆『山月記後夜』 有吉朝子作 関根信一(劇団フライングステージ)演出
 中島敦の『山月記』で記憶に鮮やかなのは、阿部壽美子による朗読(2013年4月観劇)だ。すがたが虎になってしまったが李懲が旧友の袁傪と再会し、対話ののち別れる物語は、硬質ななかに人間の肉声や体温を生々しく感じさせる。李懲が咆哮して別れを告げる場面はことさら格調高く、生半可な情緒を退け、ここで二人は今生の別れを果たしたのだと読者を納得させる。
 本作はその『山月記』の後日譚で、李懲が虎のすがたのまま、妻の王蘭を訪ねてくる話である。夜遅く、戸を開けろというのは確かに夫の声だが、そこにいるのは大きな虎。袁傪から夫は死んだと聞かされていた王蘭は衝撃を受け、混乱する。

 秀才で気位の高い李懲が妻とどんな風に会話していたのか、妻はどんな女性だったのかなどは想像しづらい。それだけ中島敦の原作が構成、文体すべてに渡って堅固であるためだ。そこを敢えてオリジナルの発想で後日譚を作るのは非常に挑戦的であり、劇作家の強い意志が感じられる。しかし受け手としては、大胆で親しみの持てる物語を期待する半面、中島敦の世界と、それによって自分の心に出来上がっているイメージを壊されることへの警戒心もある。
 端正な読みぶりの王蘭役の清水泰子には李懲の妻たる気品と愛情があり、「この女性なら」と思わせる。一方李懲役の永田正行の造形は、今でいうパワハラ、モラハラ的な性質が強い。猫が居ついたというくだりはほのぼのとした終幕であるが、虎の李懲のもうひとつの姿としてしまうのは惜しい。『山月記』に挑戦する有吉朝子の心意気を以てすれば、孤高を貫けなかった挫折感や屈辱、妻子への複雑な思いなど、もっと深いところへ到達できるのではないだろうか。戯曲は王蘭が袁傪に宛てた手紙という形をとっている。袁傪を演じた二宮聡の台詞術はとても明晰で、この役や設定をもっと活かす可能性も考えられる。

*『村物語 第一章・ダム』三浦実夫作 
 同じく関根信一の演出による本作は、山深い村の戦中戦後6年間を描いた物語だ。登場人物は30人近く、俳優も一人二役から三役を演じ継ぐため、冒頭の配役紹介の時間がかなり長い。混乱するのでは…という危惧はいつのまにか消え去り、テンポよく進む話を集中して聴くことができた。普段着で登場する俳優はその人の実年齢、容姿容貌そのままのすがたを見せる。音響や照明効果も使わない。戯曲とそれを読む俳優だけで勝負する。潔く気持ちが良い。

 今回印象に残ったのは、役柄の年齢と演じる俳優の実年齢の関係であった。登場人物は8歳の子どもから(それも14歳まで成長する)、(年齢不詳)と記された「女の館」のあるじと城国寺の住職までと幅広い。あるじ役の根本こずえ、住職役の吉村直は後半では10代の子ども役も兼ねる。本式の上演であればほぼありえない配役と考えてよいだろう。根本はあるじを演じるには少々若く、吉村は座組のなかでは大変なベテランである。しかしお二方は大人役では堂々たる貫禄、あるいは飄々とした自然な演技であり、子ども役においても大仰なつくりではなく、元気いっぱいの小学生を演じて違和感がなかった。役柄が老若男女、人間、動物植物いずれであっても、役柄の核を捉え、それを的確に表現する技術ゆえであろう。

 さてこの『村物語』は「第一章・ダム」となっている。ということは第二章、第三章へと続くのであろうか。本式の上演が実現することは素晴らしいが、むしろリーディングによる全編上演という方向性も有りではないだろうか。
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