本の装丁は棟方志功
死守すべき日本を考えるにあたって、学ぶべきは日本浪漫派である。戦後断罪された彼らの功績を、もう一度再評価すべきだろう。それはある時代の若者を魅了したからではない。私たちに訴える思想があるからだ。日本の敗戦によって、我が国の文化はすべて否定されたわけではない。簡単に根絶やしにされるほどやわではない。大東亜戦争に突入する直前に保田輿重郎が書いた『近代の終焉』は、現在も色褪せていない。「近代という名目で現代を害している思想の諸傾向を清掃排除せんとするものである」との冒頭の弁は、平成の世にあっても通用する。とくに保田は危機の時代にあって「肇国の精神とその傳統を明らかにするとことにあると我らは考へて来た」と書いている。そこでの論理は簡単明瞭だ。明治維新を成し遂げた者たちは、「黒船来襲の危機の中で、異常の決意をもってまず国内維新を断行したのである。国の大義を正しくすることが、国難打開の根底と考へついたのである」。そのことに思いを致すことが、今求められているのではないか。それは保田が述べているように、賢しらなインテりとは一線を画することだ。日本浪漫派が風靡した時代は、マルクス主義が敗退した後、日本人の情念が爆発して国を動かした。日本浪漫派の民族の叫びを、私たちは取り戻すべきなのである。いうまでもなくそれは、サヨクとアメリカニズムを打倒することだ。
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