♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■勝負どころ / 山本陽一郎

2022年08月24日 | Weblog

2022/3/23放送

 「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか、山本陽一郎です。 

 今日は父との記憶を辿ってみたいと思います。高校の音楽教師だった父は、幼い私をときどき職場や演奏会に連れていってくれました。合唱や吹奏楽を指導し、生徒さんたちに慕われている父を見ながら、「大きくなったら自分も学校の先生になりたいなあ」と思っていました。

 ところが思春期、さらに不登校になった頃から、私は父とあまり喋らなくなりました。この時期にありがちな何とも微妙な関係性です。うまくいかないことばかりで悩む中、周囲に当たることも増えた私は、「親にとってはかなり接しにくかっただろうなあ」と思います。それでも父は、あまり動じる様子を見せずにいてくれたので、こっちはある意味で安心して葛藤できたのかもしれません。

 そんな中、一度だけ父と文字どおりの大接近をしたことがありました。実はある時、私はすっかり希望を失ってしまい、人生から降りようとしてしまったことがあったのです。あの夜、うなだれたままの私を父は自分の腕に受け止めてくれました。「自分の子がこんなに苦しんでいるのを見て、父さんは断腸の思いだ」 そう言って、涙を流しました。そして、もう親よりも背が高い息子を自分の布団に入れて、朝まで添い寝をしてくれたのでした。「今日は一緒に寝るぞ」と。布団の中で、いつ以来の父の臭いだろう、と思ったのを覚えています。

 お互い、もう格好をつけるような状況ではありませんでした。あれは勝負どころでした。けれども、こんな惨めな自分でも、迷惑しかかけていないような自分でも、「大切な息子だ」と言って受け止めてくれた父の不器用な愛が、何にもない自分の心に沁み込んできました。私を支えてくれました。

 神様は言われます。
 「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
             イザヤ書43章4節

 30年前、父がどんなに私のことを心配して、全身全霊で子どもを生かそうとして本気で寄り添ってくれたのか、祈ってくれていたのか。自分も今、親になって、言い表せない感謝と尊敬の思いが湧いてきます。

 そして、私が叫び探し求めていた神様は、父を通しても、ご自身の本気の愛を私に教えてくれていたのです。ああ、「神は愛なり。」


    ( PBA制作「世の光」 2022.3.23放送でのお話しより )


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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。でも、新型コロナ禍で集まるのを制限したりオンラインの集まりに切り替えたりしているかもしれません。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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 このサイトは URL名として   http://yonohikari.biblica.info  が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。

 


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