2022/3/1放送
「世の光」の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。
今日は「すべての人を照らすまことの光」という題でお話しいたしましょう。
今日はヨハネの福音書の1章9節~11節となります。
まことの光であるイエス・キリストはすべての人を照らすためにこの世にきたのだ、と9節でヨハネは語ります。私たちすべての人間は、神のイメージによって造られています。まことの光であるイエス・キリストを心に感じることができる、ということです。
私たちは理性と良心が与えられているからです。神のイメージであるまことの知識と善悪を判断できる良心を持っています。まことの光であるイエス・キリストに照らされて、私たちの理性の光、また良心の光が輝くとき、見えないものが見えてくるようになるのです。
しかし、私たちはこのまことの光であるイエス・キリストを拒みました。「彼は世にいた。世は彼によって造られたのに世は彼を知らなかった。」と10節にあります。私たちは、自分から進んで心の目を閉じ、「この世は闇だ」と光を拒んでいるのではないでしょうか。「神はいない」と言いながら、神の恵みの光を受けているのです。
ある国の王様がいつも美味しい料理を作ってくれるコック長に、「いつも美味しい料理を作ってくれてありがとうよ」というと「王様、美味しい野菜を作ってくれる農夫に言ってください」と言います。農夫が呼ばれて王様がお礼を言うと、「そんだら王様、太陽を昇らせ、雨を降らせ、実りの季節を与えてくださる天の神様にお礼を言うてください」と農夫が言ったのです。
さらに、私たちは恵みを忘れるだけではなく、手に負えない悪意をもってまことの光であるイエス・キリストを拒みました。「彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受け入れなかった。」と11節にあります。
次のように訳す学者もいます。「彼は自分の家にきたのに、家の者たちは彼を受け入れなかった。」
この世界はキリストによってできたのです。イエス・キリストは創造と摂理の神でした。この世界は彼の家だったのです。神のひとり子が目に見える姿を持って、自分の家であるこの世界にきたのに、自分の家族はイエス・キリストを故意に受け入れませんでした。私もかつてその中の一人だったのです。
( PBA制作「世の光」 2022.3.1放送でのお話しより )
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