2022/2/25放送
「世の光」の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。関根弘興です。
イエス様は「だれでも、求める者は手に入れ、探す者は見出し、たたく者には開かれます。」と約束してくださいました。しかし、私たちは祈り続けることを止めてしまうことがありますね。それには、いくつかの理由があると思います。
第一は、神様は現実の生活に関わりのない方だと思ってしまうことです。神様が実際の生活と関わりがない、と考えたなら、神様に祈り求めようとはしませんね。しかし、神様は、私たちの生活のすべてに関心を持っておられ、私たちの必要を満たそうと考えているのです。だから、どんな些細なことでも祈り求めていけば良いのです。その中で、神様が実際に私たちの生活の至る所で働いてくださっているんだなということを知っていくことができるからです。
そしてもう一つは、神様の力を過小評価しているということです。私たちは時々、神様を自分の小さな理性という箱に押し込めてしまうことがあります。そして、「神様だって無理でしょう」「神様だってこの問題は解決できないでしょう」と勝手に決めつけてしまうことがあるんです。
そして第三は、私たちは祈っても何も結果が見えないとすぐに失望し諦めてしまう、そんな癖を持っています。でも、時には、時間がかかることがあるのです。
また祈り続けるとき、私たちの側の態度や思いというものが変化していき、本当に必要なものを祈ることができるようになっていくということもあります。また、祈り続けるうちに、「神様が何を願っているのか」ということが聖書のことばを通して次第に分かり教えられていくこともあります。また、自分自身の姿というものをはっきりと見ることもできるようになるのです。そういうことは、祈り続けないと分からないですね。祈りは頭で考えるのではなく、まず単純に主に求め叫んでみることです。
新約聖書ピリピ人への手紙4章6節
「何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」
このように聖書に記されています。祈りは神様とのコミュニケーションです。祈りの中で神様との関係が深まっていきます。諦めずに祈り続けることは、神様への信頼を告白し続けることでもあるんですね。
( PBA制作「世の光」 2022.2.25放送でのお話しより )
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