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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■まことの王の誕生

2008年12月19日 | Weblog

 世の光の時間です。 お元気ですか? 岩井基雄です。

 あなたにとってクリスマスの喜びとは何ですか? イエス・キリストの誕生は、数百年に渡って預言されていました。 当時ローマに支配されていたイスラエルの民は、かつて繁栄を誇ったダビデ王・ソロモン王の時代を取り戻し国を再興してくれる王の誕生を待ち望んでいました。 しかし神様はそんな人々の思いを遥かに超える、まことの王をお与えくださいました。 それは、私たちに真の平安と勝利を与えてくださる王です。 

 旧約聖書のイザヤ書では、この王の誕生について次のように預言されています。 

 「エッサイの根株から新芽が生え、その根から若枝が出て実を結ぶ。その上に、主の霊がとどまる。それは知恵と悟りの霊、はかりごとと能力の霊、主を知る知識と主を恐れる霊である。この方は主を恐れることを喜び、その目の見るところによってさばかず、その耳の聞くところによって判決を下さず、正義をもって寄るべのない者をさばき、公正をもって国の貧しい者のために判決を下し、・・・」(イザヤ書 11章1~4節より)と。

 真の知恵に満ち、神様を正しく恐れ従う、まことの王がダビデ王の家系から誕生する。 そしてこのまことの王は貧しい人々に本当の正義と慰めをもたらし、すべての国に正しい支配と平和をもたらす、というのです。

 そしてその通りに、まことの王イエス・キリストが誕生しました。 このお方は、まことの王であるにも関わらず、きらびやかな王宮ではなく小さな町ベツレヘムの、それも家畜小屋で誕生されたのです。 また最初にこの王の誕生を祝ったのは、当時貧しいとされていた羊飼い ---羊を飼っている人たち--- でした。

 近付きがたい王ではなく、すべての人が近付くことのできる王として生まれてくださったイエス・キリスト。 この方はあなたを愛し、あなたのために正義を行い、あなたの心に慰めと力をお与えくださいます。 

 クリスマスの喜びとは、このまことの王の誕生を喜ぶことです。 あなたも今年のクリスマスはぜひ教会にお出かけください。 そしてこのまことの王であるイエス・キリストの誕生を御一緒にお祝いしましょう。 

 それではまた聴いてください。

(PBA制作「世の光」2008.12.19放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblical.jp 

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■聖書の預言

2008年12月18日 | Weblog

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。 今日のバイブル・メッセージは「聖書の預言」です。

 それでは聖書の中の創世記3章15節から読んでみましょう。 

 「わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。

 今年私は新約聖書の最初から毎朝1章づつ読んでメッセージを作り、これを自分のブログに立ち上げることをしてきました。 果たしてこんなことが続くだろうかと思いながらも、とうとう9月末には新約聖書を全部読み終わり、今は旧約聖書に入っています。

 それで新約聖書というのは、やはり御自分がお造りになった世界に来られたイエス・キリストについて書いている。 イエス・キリストについてその十字架と復活のいのちの祝福について書いている。 そこが中心のメッセージであるなあと思わされました。 

 そして新約聖書を読み終わってから旧約聖書を読み始めてみると、何と旧約聖書の至る所にイエスについて語りかけてくる箇所がたくさん散りばめられていることに改めて気付かされる所がありました。 

 今日読んだ箇所もその一つであり、一般にキリスト教の世界では原始福音と呼ばれているものです。 つまり最も始めにイエスについての良き知らせが語られている箇所であるという訳です。 

 アダムとエバが神に背いて罪を犯した時に、神はさばきを宣告されました。 その際に神はアダムとエバを騙した蛇に対してもさばきを宣告しています。 それは女の子孫つまりイエス・キリストが蛇の頭を踏み砕き滅ぼしてしまうというものです。 そこにイエスの罪と悪に対する勝利が預言されているのです。

 使徒パウロは言いました。 
 「しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに勝利を与えてくださいました。」(コリント人への手紙第一 15章57節)
 イエスは悪やサタンに対して、また人間の最終的な敵である死に対してもすべてのものに勝利を与えてくださるお方です。 

 聖書を読む中でイエスの勝利の力・救いの力について知っていただきたいと思います。

 (PBA制作「世の光」2008.12.18放送でのお話しより)

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■その名は

2008年12月17日 | Weblog
 

 世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。

 えー、イエス・キリストっていう方は本当に不思議な方だと思いますねえ。 私たちがこの地上に生を受けても、私たちが生まれるずうっと前に私たちのことについて予告されていたというそんな記録ってありませんよねえ、イエス・キリスト以外に。キリストが生まれる何百年も前に、どういう生まれ方をして、それはどういう方で、どういうことをして、どういう死に方をするか、それはどういう意味を持つのかとかですね、そのことが予告されていた訳ですねえ。 

 その一つに、イザヤ書の9章という所にこういうことばがあります。

 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。 (9章6節)

 これはイザヤという預言者を通して、キリストが生まれる700年くらい前に予告されていたことばなんですね。 

 「その名は」というのは、「その名」というのは、名は体を表すという言い方もありますけれども、この地上に救い主として誕生する男の子、そのイエス・キリストというお方の性格・性質、働き・役割、そうした意味を持っているんですね。

 で、そこには「不思議な助言者」というふうにありますけれども、これは英語の聖書ではワンダフル・カウンセラーというふうな言い方がありますけども、今はカウンセラー流行りでありますが、イエス・キリストこそが私たちに適切な助言を与え、そして解決を与えてくださる答えを与えてくださる不思議な助言者。

 「力ある神」・・・私たちの問題に対して神様が全能の力をもって私たちに答えてくださる、このイエス・キリストは力ある神でいらっしゃるということ。

 「永遠の父」という言い方がありますけども、神の子でありながら父という表現。それは私たちに養いを与え、守りを与え、導きを与えてくださる所のお方というふうな、そのお方は永遠に変わらないお方だという意味がありますね。

 そして「平和の君と呼ばれる」・・・私たちの心の中に本当の安らぎを与え、平和をもたらしてくださる所のその元となってくださるお方がこの救い主だということなんですね。

 クリスマスに私たちはこのキリストを迎えるということは、このような不思議な助言者・力ある神・永遠の父・平和の君と言われるお方を心に迎えるということなんですねえ。 そのことを覚えたいと思います。 

 ( PBA制作「世の光」2008.12.17放送でのお話しより )

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■ベツレヘムで生まれる

2008年12月16日 | Weblog
 
  世の光の時間です。クリスマスの季節を迎えました。いかがお過ごしでしょうか? 関根弘興です。 

 イエス・キリストの誕生には、通常では考えられない不思議なことが幾つかありました。 今日はその一つをお話ししましょう。 

 それはイエス・キリストがお生まれになるはるか前から、その誕生そしてその誕生の場所さえも預言されていたということなんです。

 その預言のことばは旧約聖書のミカ書5章2節という所に記されています。 
 「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。その出ることは、昔から、永遠の昔からの定めである。
 こう記されているんですね。

 イエス・キリストの誕生された場所はベツレヘムでした。 ベツレヘムという町は大変由緒ある町でした。 なぜなら、イスラエルのダビデ王を世に送りだした町だからです。 そして救い主はダビデの王権を受け継ぐ者としてこの町から出る、という旧約聖書の預言によって、ま人々の期待もあったのですね。 

 しかしイエス・キリストの母マリヤとその夫ヨセフはナザレの町に住んでいました。 身重のマリヤをヨセフは労(いたわ)りながら、住み慣れた町で出産をと考えていたことでしょう。 ところがちょうどその頃、住民登録をせよという勅令が(ローマ)皇帝アウグストから発布されたのです。 記録によりますとローマは15年に一度、税金を課す目的で大規模な住民登録を行ったようなんですね。 

 ヨセフはダビデの家系であり血筋でもありましたので、ベツレヘムに向かっていかなければなりませんでした。 やむを得ず身重のマリヤをロバの背に載せ、ナザレからベツレヘムまで約100キロ以上の道のりを旅する訳です。 途中、身重のマリヤにとっては大変な危険と隣り合わせの旅となったでしょう。

 そして滞在先のベツレヘムで男の子を出産するんですねえ。 (人のための)家には彼らのいる場所がなく、生まれた初子は布にくるまれて、飼葉桶に寝かされました。 イエスの誕生は旧約聖書で預言された事でしたが誰からも知られずに、救い主キリストはダビデの世継ぎとしてベツレヘムで生まれるという旧約聖書のみことばが実現していったんです。 

 神様は御自分で約束されたことを決して破るお方ではありません。 ベツレヘムでお生まれになるという救い主の約束を神様は、人を動かし、歴史の中で実現してくださったのです。

 (PBA制作「世の光」2008.12.16放送でのお話しより)

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■愛することは仕えること

2008年12月13日 | Weblog


世の光の時間です。 いかがお過ごしですか? 原田憲夫です。

 今のイスラエルの北部にガリラヤ湖という湖があります。 そこにカペナウムという小さな町がありました。 キリストはこのカペナウムのシモンとアンデレの家を拠点として活動されました。

 ある日、そのシモンの家へ行きますと、シモンの姑(しゅうとめ)が熱病で床についていました。 誰から世話してもらわなければ動くこともできない状態でした。

 こういうことは誰でも経験することではないでしょうか。 ただ、ふっと思うんです。 私たちって、この時の熱病のように、何かに縛られて身動きできないことはあるのではないでしょうか。 思いがけない病気、金銭のトラブル、そんな時途方に暮れてしまいますよね。

 この姑はどうなったでしょう。 周りにいた人達がすぐにキリストに知らせました。 そこにキリストは来てくださいました。
 マルコの福音書1章31節
 「イエスは、彼女に近寄り、その手を取って起こされた。

 キリストは困った人を目の当たりにすると、憐れみの心を動かされるのです。 私たちのように途方に暮れたり逃げ出したりはしません。 いつでも近寄り、困っている人の手を取って助けられるのです。 困った人がいると御自分を与えられるのです。 キリストにとって人を愛するとは、その人に仕えることであり、その人に自分を与えることでした。

 この癒された姑はどうしたでしょう。 「彼女は彼らをもてなした。」(マルコの福音書1章31節)とあります。 この「もてなす」ということばは「仕える」とも訳されます。 喜びは感謝となって、今度は自分が他の人に仕える行動を取るようになるんですね。

 どんなに身動きできない人生であっても、キリストによって変わることができるのです。 キリストは言われました。 「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」 マルコの福音書 10章45節 

 あなたもこのキリストのことばを聞きに、ぜひキリスト教会へ行ってみてください。
 
  ( PBA制作「世の光」2008.12.13放送でのお話しより )

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東海地方での世の光/さわやか世の光/ジェネレーションXの放送への協力、
そしてテレビでのライフ・ライン放送の再開のために協力してくださる場合の献金は、

  郵便振替 00890-3-111071 東海福音放送協力会   まで

  ラジオ放送指定とテレビ放送指定の区別を明記してください。
  テレビ放送はただ今資金が溜るまで積立中です。
  ラジオ放送の方が、放送料の値上げにより、一層の協力を必要としております。

  お問い合わせは、
  電話 052-762-2196 東海福音放送協力会へ
            (自由ケ丘キリスト教会内)


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■地における交わり  〈  交わりの恵み(2) 〉

2008年12月12日 | Weblog

 世の光の時間です。 お元気ですか? 岩井基雄です。

 今年の10月、私は初めて岩手県に行きました。 それはこの「世の光」を聴いていてくださっている方々が共に集まる「世の光の集い」に出席させていただくためでした。 大きくなった我が家の子どもたちに押し出されるように、家内と二人での旅となりました。 親との地上での別れを経験した私たちでしたが、神様が創造された大自然の美しさ、また神様を一緒に見上げる人々との出会いや暖かい交わりから大きな慰めと力を受けました。 人の心の奥にある寂しさや悲しみを包み癒す力が、神様にある友との会話や交わりの中にはあるなあと深く感じたのです。 

 聖書にこんなことばがあります。 
 「友の慰めはたましいを力づける。」(箴言27章9節)と。

 またこうも書いてあります。
 「友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。」(箴言17章17節)と。
  苦しみや痛みを分け合う力、また慰める力が、神様にある友との出会いや交わりの中にあるのですねえ。 それは聖書が語る神御自身が真の慰めを私たちに与える方だからです。 

 聖書の別の箇所にはこう書いてあります。 
神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。」(コリント人への手紙第二 1章4節)と。
 神様からの慰めを受けた人々は、他の人を慰め、力づける者へと変えられていくというのです。 

 クリスマスは喜びや感謝の時ですが、ある方にとっては悲しみや寂しさを深める時であるかもしれません。 しかし、慰め主なる神様は、私たちの悲しみを本物の愛で満たそうと、独り子であるイエス・キリストを、あなたのために、あなたの本当の友として送られました。

 あなたは独りではありません。 あなたを心から慰め力づける友なるイエス・キリストがこの地上に来られたからです。 このクリスマス、あなたも神様の愛を心にいっぱいに受けとめませんか? ぜひあなたも教会にお出かけください。 あなたを内側から変える愛と交わりがそこにあります。 

 それではまた聴いてください。

(PBA制作「世の光」2008.12.12放送でのお話しより)

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■あなたも変えられる

2008年12月11日 | Weblog

 世の光の時間です。 いかがお過ごしでしょうか? 福井 誠です。 今日のバイブル・メッセージは「あなたも変えられる」です。

 それでは聖書の中のヨハネの福音書2章11節から読んでみましょう。 

 「イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。

 ガリラヤのカナという町でイエスは水をぶどう酒に変える奇跡を起こされました。 それはイエスの生涯の中で最初に行われた奇跡でしたが、単に人々をアッと言わせ注目を集めるためになされたものではありませんでした。 それはイエスがどのようなお方であるかを知らせるものだったのです。

 例えばこの水をぶどう酒に変える奇跡というのは、イエスが物事の本質を変える力を持つ神であることを示しているのです。

 物事の本質というのは、変わりにくいものですねえ。 旧約聖書にはこんなことばがあります。 「ひょうがその斑点を、変えることができようか。もしできたら、悪に慣れたあなたがたでも、善を行なうことができるだろう。」(エレミヤ書 13章23節)

 豹(ひょう)が毛皮の斑点を変えた話など聞いたことがありません。 それと同じように、私たちの心も変えようと決心したところで、そう簡単に変わるものではありませんね。 物事の本質が変わりにくいというのは、私たちの心についても言えることです。

 けれどもどうでしょうか。 イエスが味気のない水を味わい深いぶどう酒に変えられたということは、そこに物事の本質を変えてしまう神の力があることを示しています。

 私たちの人生は水瓶の中にじっとしている水のようなもの、味気のないもので終わってしまうように思われることがあるかもしれません。 あるいは弱く、愚かで、投げ出したく思われることがあるかもしれません。 しかしイエスにはそうした人生を、人々の役に立ち、人々を喜ばせ、潤すものに変える力があります。 あなたの人生に奇跡を起こし、祝福してくださる神様を知っていただきたいと思います。 

 (PBA制作「世の光」2008.12.11放送でのお話しより)

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■心から強められ

2008年12月10日 | Weblog
 

 世の光の時間です。 お元気でしょうか? 村上宣道です。

 えー、旧約聖書の箴言という所にですね、その18章なんですけれどもこういうことばがあります。「人の心は病苦をも忍ぶ。しかし、ひしがれた心にだれが耐えるだろうか。」(18章14節) ということばですねえ。 病苦をも忍ぶことができても、ひしがれた心には耐えられないということですねえ。

 人によっては本当に病の中でもそれに耐えて頑張っていく人もあると思うんですけれども、しかしそれは心にある支えがあるから、ということが言えるのではないかなあというふうに思うんですねえ。 

 私は自分の父のことも思い起こすんですけれども、癌でですねえ、もう時間の問題と言われているような中で看護婦さんがよく「苦しい時は苦しい、痛い時は痛いって正直におっしゃってくださっていいんですよ。どうしてそんな中でそうやっていつも変わらないニコニコしていられるんですか?」っていうふうに言われたことがあるんですねえ。

 それは、苦しみは確かに病の痛みはあるのですけれども、でも心までもがひしがれてはいなかったんですねえ。 どうしてかというと、自分はたとえこの地上を去ることがあっても、やがて自分はイエス様のもとに行くことができる、そこには御国の栄光が待っている、という希望があったからなんですねえ。 ですから私の父は天をこう指差してですねえ、「私はむしろ何かワクワクしてくる。主のもとに行くことができると思うと何かまさにドキドキするような、そんな思いがするんだ」というふうに言ってました。 

 詩篇の61篇という所には、「私の心が衰え果てるとき、私は地の果てから、あなたに呼ばわります。どうか、私の及びがたいほど高い岩の上に、私を導いてください。」(2節)ということばがあります。 「心が衰え果てる」その状態を「私は地の果てから」というふうに、もう本当に孤独な何の望みもないような、地の果てというふうなそういう表現で言われております心の衰えという時。 でもそういう中で見上げることができるお方がいる。 そのお方を見上げることができる時に、私を導いて、そして希望へと向かわせてくださることができるのだということなんですね。

 私たちは心が大切です。 その心を誰に向けるか、やっぱり全能の神様に心を向けて希望を持つことができるということが、どんな中でも生きることができる大きなエネルギーだということを覚えたいと思います。 

 ( PBA制作「世の光」2008.12.10放送でのお話しより )

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■命の水をあなたに

2008年12月09日 | Weblog
 
  世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか? 関根弘興です。 今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 イエス・キリストがある時、サマリヤの地方に行かれ、井戸端で腰を下ろしていた時のことでした。 そこに一人のサマリヤの女性が水を汲みに来たのです。

 それは真っ昼間、昼の12時頃に来たんですねえ。 普通、暑い昼間に水を汲みに来たりはしませんから、この女はわざわざ人気(ひとけ)のない時間を選んで来たんです。

 人気を避けて井戸の水を汲みに来たら、そこにイエス・キリストが座っているではありませんか。 するとイエス・キリストはその女性に、「水を飲ませてください」(ヨハネの福音書4章7節)、と話しかけられたんです。

 当時、男性がこうして女性に声をかけるなど、あまり考えられないことでした。 この女性は「どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」(ヨハネの福音書4章9節)と答えました。

 するとイエス様は不思議なことをおっしゃったんですね。 「もしあなたが、わたしがだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでわたしに求めたでしょう。そしてわたしの方からあなたに生ける水を与えたでしょう。」(ヨハネの福音書4章10節参照)とイエス様は答えたんです。

 しかしこの女性は反発して、「あなたは汲む物を持っていないのにどこからそんな生ける水を持ってこようと言うんですか?」(ヨハネの福音書4章11節参照) とても困惑するんですね。

 するとイエス・キリストはまた続けて「わたしが与える水はその人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」(ヨハネの福音書4章14節参照)と答えられたんです。 そして何と、この女性の過去の、特に男性との失敗のことを指摘し、心の渇きの原因に真正面から目を向けさせていったんですねえ。

 自分の問題点を鋭く指摘されると、人はその場から逃げ去るか、逆に解決の道を求めて真剣になるかどちらかを選ぶんです。 このサマリヤの女性は解決の道を求めようと考えました。 自分の状態を正直に認め、問題の解決を求め始めていったんです。 そして遂に目の前にいる方が救い主キリストであると知り、彼女の人生はこの出来事を通して大きく変わっていったんですね。 

 私たちは心の渇きがあるのに、その渇きの原因に真正面から向き合おうとせず、避けてしまうということがあるかもしれません。 しかし本当の心の渇きをいやすために、イエス・キリストは私たちの渇きの原因を指摘し、さばくのではなく渇くことのないいのちの水を心に注いでくださると約束してくださっているんですね。 イエス・キリストとの出会いというのは、あなたの人生に確実に潤いを与える出会いとなっていくのです。 

 (PBA制作「世の光」2008.12.09放送でのお話しより)

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■神が決めておられるように

2008年12月08日 | Weblog

 世の光の時間です。お元気でしょうか。村上宣道(のぶみち)です。

 えー、私たちの生き方、人はその生き方においてですねえ、その三つの考え方があるだろうというふうに言われます。

 一つは、生かされているのではなくって生きているのだと思っている。 だから生き方はそれぞれ自由だ、とまあ考えているということですねえ。 

 えー、それから、生かされているのではあるけれども生き方は好きにさせてもらう、というそういう考え方ですね。 

 ところがこの詩篇の119篇という中に、「私を生かしてください。」ということばが10回くらい出てくるんですけれども(25、37、40、77、88、107、116、144、149、154、156、159節)、 それは自分で生きているのではなくって神によって生かされているのだから、それにふさわしくまあ生きたいと、生かしていただきたいと、そういう願いを込めての祈りがですね、この詩篇の119篇の中には、散りばめられていると言いましょうか10回も出てくる訳なんですねえ。 

 で、この156節という所に「あなたのあわれみは大きい。主よ。あなたが決めておられるように、私を生かしてください。」ということばがあります。 「主よ。あなたが決めておられるように、私を生かしてください。

 えー、私の人生だから自分で決めさせてもらいます、ってまあそういう生き方もあるかもしれませんけれども、私たちは自分で存在しているのではない。 神によって創造された者として神の許しのもとでいのちを与えられて、こうしてまさに生かされている。

 ですから私たちを存在させてくださったお方、私たちの創造主なるお方が当然造ったものに対して計画をお持ちだ。 プランをお持ち。 お考えがちゃんとお有りな訳ですよね。

 ですから私たちは自分で勝手にさせてもらうというよりも、「私を存在させてくださったあなたの目的は、意図は何でしょうか」とこの神に問う。 自分の生き方を神に問いながら、そして神様が私たちに望んでおられるようなそういう生き方をしていく時に、私たちの本当の意味での生存の価値、意味と目的がそこにあると、そういうふうに思う訳ですよね。 

 えー、本来の目的に沿わない形で生きていたんじゃ意味が無い訳ですから、ですから「神様、私に対してどういうようなプランをお持ちですか?」と聖書を通してですね、神様に問いながら生きる。 そこに本当の充実した人生がある。 そう思うんですね。

 ( PBA制作「世の光」2008.12.08放送でのお話しより)

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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのもいいんじゃないかなあ。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として
 http://yonohikari.biblical.jp 
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


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東海福音放送協力会へのお問い合せは、
 464-0044 名古屋市千種区自由ケ丘2-10 自由ケ丘キリスト教会内 電話052-762-2196 へ


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