世の光の時間です。クリスマスの季節を迎えています。いかがお過ごしでしょうか? 関根弘興です。
イエス・キリストがお生まれになったのはベツレヘムという町でした。 しかしヨセフも許嫁(いいなずけ)のマリヤも100キロ以上離れたナザレの町に住んでいました。 聖霊の力によって身重になったマリヤをヨセフは理解し受け入れ、出産の時を待っていました。
ところがちょうどその頃、住民登録をせよという勅令が(ローマ)皇帝アウグストから発布されたのです。 ま、税金を課すために行ったものなんですねえ。 そこでヨセフはダビデの家系であり血筋でもありましたので、やむを得ずベツレヘムまで行くことになりました。
身重のマリヤにとってはそれは危険な旅でもありました。 そしてベツレヘムに着いてみると、人口調査のために戻ってきた人たちで一杯でした。 この若い、そして身重のマリヤたちのために家を提供してくれる人は誰もいませんでした。 しかしマリヤは月満ちて今にも赤ちゃんが産まれそうな状態です。
そんな彼らがたどり着いた場所は、何と家畜小屋でした。 そして生まれたばかりのイエス様は家畜小屋の飼葉桶に寝かされたのです。
旧約聖書によれば、キリストは王の王として、ダビデ王の世継ぎとしてベツレヘムでお生まれになる、ということでした。 しかしその生まれた場所は王宮でもなく、暖かい暖炉のある家でもなく、羊たちが戯れる家畜小屋だったのです。
この家畜小屋でお生まれになったということは、私たちに少なくとも二つのことを教えていると思うんですね。
一つは、家畜小屋それはこの世界を暗示している、ということです。 当時、家畜小屋は、そこは決して綺麗な場所とは言えませんでした。 でもイエス様はそんなきたない場所に来てくださった。 それはまるでこの世界を、そして私たちの心を暗示しているかのようです。
そして二つめは、家畜小屋ですからそこには羊がいました。 羊は旧約聖書では人の罪のために神殿に犠牲として捧げられていきました。 イエス・キリストが家畜小屋で生まれたということは、私たちの罪のために羊が犠牲になったように、自らも人の罪を背負う救い主として来てくださったということを暗示しているんです。 神の小羊として来てくださったということなんですね。
飼葉桶に寝ておられるイエスという響きは何とも安らかな響きに聴こえます。 しかし神の小羊として人々の罪を背負い、身代わりに十字架につけられるという壮絶な生涯のスタートでもあったのです。
(PBA制作「世の光」2008.12.23放送でのお話しより)
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