♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■目は体のあかり / 板倉邦雄

2016年01月20日 | Weblog
2016/1/20放送

 板倉邦雄です。 今日はですね「目は体のあかり」という題でお話ししましょう。私の妻は昨年、両目を白内障のために手術しました。白内障は目の水晶体--レンズ--が濁ってきて、やがて見えなくなるのです。イエス様が「あなたの目は体の明かりである」と言われた意味が少し分ります。

 ではここでルカの福音書11章の33節から36節を読んでいただきましょう。
 「だれもあかりをともして、それを穴倉の中や枡の下に置くことはしない。むしろはいって来る人たちに、そのあかりが見えるように、燭台の上におく。あなたの目は、からだのあかりである。あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいが、目がわるければ、からだも暗い。だから、あなたの内なる光が暗くならないように注意しなさい。もし、あなたのからだ全体が明るくて、暗い部分が少しもなければ、ちょうど、あかりが輝いてあなたを照す時のように、全身が明るくなるであろう。」(口語訳聖書)

 ここでイエス様が言いたい事は何でしょうか。「体の目が澄んでいれば全身も明るいが、目が悪くなれば体全体が暗くなって不自由になるでしょう。だからあなたがたの心の目も悪くならないように注意しましょう。心の目が濁ってきますと心の内が暗く沈んできて全身が不自由になるからです。」

 このイエス様のことばからしますと、私たち人間には二つの体が存在するようです。一つは目に見える肉体の体です。もう一つは目に見えない霊的な体です。私たち人間は他の動物や植物とは異なり、肉体と霊そして魂という三つの構造によって成り立っているようです。ですから体の健全さと霊と魂すなわち心の健全さの両方が必要なのです。

 では霊魂・心の目が濁って来たらどうしたらいいのでしょうか。心という体全体が暗くなったらどうしたらいいのでしょうか。心を構成すると考えられる理性や感情そして意志が暗くならないようにしたいものです。心が暗くなるのは、私たちの罪の性質から来るようです。ですから汚(けが)れた罪を取り除くことが必要ではないでしょうか。

 自分ではできません。汚れた罪を取り除くことができるのは魂の医者でありますイエス・キリストだけです。イエス様は私たちの罪の汚れを取り除くために神の小羊としてこの世に来てくださいました。

 次にこの霊魂の医者であるイエス・キリストを信じて委ねることが必要ではないでしょうか。イエスは言われました。丈夫な人には医者は要らない。要るのは病人である。わたしが来たのは義人を招くためではなく罪人を招くためである。マルコの福音書2章17節

 (PBA制作「さわやか世の光」2016.1.20放送でのお話より )

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■鷲の翼に載せて/板倉邦雄

2016年01月20日 | Weblog
2016/1/20放送

 世の光の時間です。いかがお過ごしですか? 板倉邦雄です。今日は「鷲の翼に載せて」という題でお話ししましょう。

 私が中学生だった頃、スーパーマンというテレビドラマが流行していました。それを見ていた私は、空を飛んでみたいなあ、と願ったものです。ところが聖書を通して、神様は私たちを鷲の翼に載せて運んでくださると言うのです。

 さてイスラエルの人々はエジプトの地を脱出して3ヶ月目にシナイ半島の荒野に入りました。そしてついにシナイ山のふもとに到着します。その山の前で宿営することにしました。ちなみにシナイ山はシナイ半島の先端にあり、海抜2,273メートルの荒々しい岩だらけの山です。「モーセの山」(※ジェベル・ムーサ「モーセの山」)とか「神の山」(出エジプト記 3:1、4:27、18:5 、24:13 他)とも呼ばれています。

 さてモーセは久しぶりに神の山へ登って行きました。すると主なる神様は山からモーセを呼んで言われました。
 「いいですか。次のようにヤコブの家すなわちイスラエルの人々に言いなさい。『あなたがたはわたしがエジプト人にしたこととあなたがたをわしの翼に載せてわたしの所に来させたことを見ました。それでもしあなたがたがまことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民族に優ってわたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる国民となるであろう。』」(出エジプト記19章3節~6節)

 これはシナイ山で主なる神様がイスラエルの人々と結ばれた約束ですのでシナイ契約と呼ばれています。この契約の前提は主なる神様の一方的な恵みでした。奴隷だったエジプト脱出も一方的な神様の働きでしたね。脱出した目的は荒野で心から神様を礼拝するためでした。そして神様が鷲のような大きな翼の上に載せてイスラエルの人々を神の山・シナイ山まで運んできたのです。この主なる神様の一方的な恵みに感謝し、へりくだって主なる神様の声を聞き、信頼して従うならばイスラエルの人々と共にまた私たちも神の宝となるのです。そして神様の宝である神の民となった人々は全地の人々のお役に立つ民族となり、国となってゆくのです。祭司の国民となると言うことは、神様と人々の間に立って執り成しの祈りをする、聖なる区別された神のためにお役に立つ人となる、と言うことです。

 (PBA制作「世の光」2016.1.20放送でのお話より )

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