♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■心を柔らかくして…/岩井基雄

2016年01月08日 | Weblog
2016/1/8放送


 世の光の時間です。お変わりありませんか? 岩井基雄です。今日は旧約聖書の詩篇95から、「心を柔らかくして」と題して神様の前を歩む人生の幸いを共に考えてみましょう。

 私たちの心はささいな出来事で頑なになることがありますね。柔らかな心、砕かれた謙遜な心になりたいと願うのですが、それは簡単なことではありません。神の民イスラエルも例外ではありませんでした。詩篇95篇6節から聖書をお読みします。
 「来たれ。私たちは伏し拝み、ひれ伏そう。私たちを造られた方、主の御前に、ひざまずこう。主は、私たちの神。私たちは、その牧場の民、その御手の羊である。きょう、もし御声を聞くなら、メリバでのときのように、荒野のマサでの日のように、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」 詩篇95篇6節から8節

 このメリバやマサというのは場所の名前です。それは神の民イスラエルが奴隷状態であったエジプトからモーセを通して解放され、荒野を旅しているときに不平や不満を爆発させ、神様に怒りを表した場所でした。またこの時、モーセもまた民の姿に怒りを覚え、神様の命じられた方法に従えなかった場所でもあったのです。どんな人でも不平や不満や怒りを露わにする失敗を犯すことはあるのですねえ。イスラエルの王ダビデもまた同じでした。彼は自分の大切な部下の妻を奪い、子どもができたことが分ると、それをごまかす策略を巡らし、遂にはその部下を殺害させるという罪を犯したです。その罪はダビデの頑なな高慢の心から生まれました。しかしダビデは神様から自分の罪を示された時、心からその罪を認め、悔い改め、柔らかな砕かれた心に変えられたのです。どんな人も傲慢な思いや不平不満から来る怒りから自由になることはできません。しかしその罪を認め、悔い改めるときに、神様はその罪を赦し、あなたの心を和らげ、他の人に対しても柔和な祝福の器としてくださるのです。

 聖書のことば
 「 神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。
神よ。あなたは、それをさげすまれません。
」 聖書 詩篇51篇17節

 あなたも神様の前に心を静め、自らの頑なさや罪を認め、神様から祝福される人生の祝福、祝福の人生を歩み出しませんか? 神様はあなたを愛してくださるのです。

(PBA制作「世の光」2016.1.8放送でのお話しより)

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 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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