♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して72年、
PBA『世の光』を文字で 

■神の御手に導かれて~新島襄~/岩井基雄

2016年01月29日 | Weblog
2016/1/29放送


 世の光の時間です。お元気ですか? 岩井基雄です。今日は同志社大学の創立者である新島 襄(にいじま・じょう)について学んでみましょう。

 江戸時代末期、上州安中藩の下級武士の子として生まれた新島襄は若い頃に触れたアメリカの地図が記された本に感銘を受け、二十歳の時、初めて漢訳聖書と出会います。彼は旧約聖書の「初めに神、天地を造り給へり」という最初の一句から、天地万物の創造者である神様の存在に驚きます。自分の理解をはるかに超える世界に憧れた彼はアメリカ合衆国への密航を計画し、成功します。そして渡米後に聖書を学び、救い主イエス・キリスト信じてて洗礼を受けるのです。そして十年の学びの後に彼は身分にかかわらず誰もが学べる学校を聖書に基づいて日本に作りたいと考えたのです。明治時代の初期、仏教の勢力の強い京都でのキリスト教に根差した学校の設立は大変なことでしたが、困難の中で新島の信仰が強められていき、ついに完成した同志社英学校の校長に就任するのです。

 しかし生徒の無届け集団欠席という一種のストライキが勃発し、生徒たちの処分問題がもち上がる中、苦しみ抜いた新島は朝礼の場で、「今度の事件は教師の罪でも生徒諸君の罪でもない。すべて私の不徳のいたすところです。されば校長である私はその罪人を罰します。」と言うなり、右手に持っていたステッキで自らの左手を打ち始めたのです。二つに折れ、短くなったステッキで彼はなおも左手を打ち続けます。この新島の姿にキリストの愛を見た生徒たちは深い反省と共に真の従順を学んだのです。

 新島 襄は自分の人生を振り返ってこう語っています。「私の一生は神の見えざる御手アンシーン・ハンド Unseen Hand に導かれて今に至っている。今後も私はこのアンシーン・ハンドの導くがままに行くべきところに行くのである」。また彼の妻・新島八重は夫について、「信じること、哀れむこと、耐え忍ぶこと、人を抱擁する力、これらすべては私が彼から学んだことでした。」と語っています。私たちもまた神様の愛の御手に導かれて歩んでいきたいですね。

 聖書のことば

  「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
    新約聖書 ローマ人への手紙 8章28節

(PBA制作「世の光」2016.1.29放送でのお話しより)

******

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。
こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし、日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。事前の連絡なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。
PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

******

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする