2011/1/29放送
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。山中直義です。
私たちの人生には様々な苦しみがあります。なぜそれらの苦しみがあるのか。聖書はそれを産みの苦しみとしてとらえるようにと教えています。
新約聖書マルコの福音書13章でイエス様は世の終わりについて語っておられます。目に見えるすべてのものが滅びさる時が必ず来る。そしてその世の終わりの前に人々は必ず多くの苦しみ戦争や地震や飢饉等の苦しみを体験することになる。イエス様ははっきりとそう語られました。
世の終わりの前にあると言われている苦しみはもちろん私たちが日々体験する苦しみも決して喜ばしいものではありません。私たちはそれを何とかして避けようとするでしょう。しかし実はそれらの苦しみは大切な産みの苦しみになり得るのだとイエス様は言われます(参照 マタイ 24:8、マルコ 13:8)。
私たちはできるだけ苦しみのない人生を願います。しかし実際には苦しみを通して大切なことに気づかされ深い喜びのある生き方へと導かれていくのではないでしょうか。さまざまな苦しみがまさに産みの苦しみとなって本当に良いものを生み出していくのです。
では、イエス様が語られた本当に良いこと苦しみを通して産み出されるべき深い喜びとは一体何でしょうか。先ほどの13章13節でイエス様はこう言われました。
「しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。」
救われるということ、すなわち神様以外の何ものにもしがみつくことも束縛されることもなく神様と本当に親しい関係を持って生きるようになる。それこそが苦しみを通して産み出されるべき本当の喜び、言いようもない深い喜びなのだと聖書は教えています。
あなたは今、言いようもない苦しみを体験しておられるかもしれません。どうかその苦しみの中で神様に目をとめ、その苦しみを産みの苦しみとしてくださいますように。言いようもない喜び、神と共に生きる喜びをあなたもぜひ見い出してください。
聖書のことば
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」
旧約聖書詩篇119篇71節
(PBA制作「世の光」2011.1.29放送でのお話しより )
世の光の時間です。いかがお過ごしでしょうか。山中直義です。
私たちの人生には様々な苦しみがあります。なぜそれらの苦しみがあるのか。聖書はそれを産みの苦しみとしてとらえるようにと教えています。
新約聖書マルコの福音書13章でイエス様は世の終わりについて語っておられます。目に見えるすべてのものが滅びさる時が必ず来る。そしてその世の終わりの前に人々は必ず多くの苦しみ戦争や地震や飢饉等の苦しみを体験することになる。イエス様ははっきりとそう語られました。
世の終わりの前にあると言われている苦しみはもちろん私たちが日々体験する苦しみも決して喜ばしいものではありません。私たちはそれを何とかして避けようとするでしょう。しかし実はそれらの苦しみは大切な産みの苦しみになり得るのだとイエス様は言われます(参照 マタイ 24:8、マルコ 13:8)。
私たちはできるだけ苦しみのない人生を願います。しかし実際には苦しみを通して大切なことに気づかされ深い喜びのある生き方へと導かれていくのではないでしょうか。さまざまな苦しみがまさに産みの苦しみとなって本当に良いものを生み出していくのです。
では、イエス様が語られた本当に良いこと苦しみを通して産み出されるべき深い喜びとは一体何でしょうか。先ほどの13章13節でイエス様はこう言われました。
「しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。」
救われるということ、すなわち神様以外の何ものにもしがみつくことも束縛されることもなく神様と本当に親しい関係を持って生きるようになる。それこそが苦しみを通して産み出されるべき本当の喜び、言いようもない深い喜びなのだと聖書は教えています。
あなたは今、言いようもない苦しみを体験しておられるかもしれません。どうかその苦しみの中で神様に目をとめ、その苦しみを産みの苦しみとしてくださいますように。言いようもない喜び、神と共に生きる喜びをあなたもぜひ見い出してください。
聖書のことば
「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」
旧約聖書詩篇119篇71節
(PBA制作「世の光」2011.1.29放送でのお話しより )