2011/1/11放送
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。
関根弘興です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。
世界中で最も多くの人たちに祈られている祈り、その言葉はあなたはご存知ですか。それはイエス・キリストが弟子たちに教えてくださった主の祈りというものです。どの教会でも礼拝の中で必ずと言って良い程祈る祈りです。
この祈りは、「天にいます私たちのお父さん」--文語訳ですと「天にまします我らの父よ」という呼びかけから始まるんです。
祈りはまず最初に誰に向かって祈っているのかを知ることが大切です。多くの人はいろんなところで手を合わせて祈りますが、祈っているその相手が誰かということをあまり気にしません。でも聖書は、「天にいます私たちのお父さん」と呼びかけて祈りなさい、と教えているんです。
私たちのこの天のお父様・神様は真実で愛に満ちたお父さんなんです。イエスキリストはそんな愛に溢れた父親の姿を一つの例え話で紹介しています。それは放蕩息子のたとえです。
この息子は父親から財産を譲り受けると勝手に家を飛び出し、飲めや歌えの放蕩三昧の生活をするんです。しかし持っていた財産も底を尽き、無一文になってしまうんですね。そんな時、飢饉が襲い、彼は空腹を満たすために豚のえさにまで手を出すほど惨めになってしまいます。そんな時彼は自分の元いた家に帰る決心をするんですね。彼は道々「私は天に対してもお父さんに対しても罪を犯しました」と告白しつつ家に帰って行くんです。「もう子供と呼ばれる資格等ありません。雇い人の一人として雇ってもらおう」と帰っていくんですね。しかしどうでしょう。彼が家に向かって歩いているとはるか遠くに父親の姿があるではありませんか。父親は遠くに見えるのが我が子であることを知ると、走り寄って彼を抱き、自分の息子が戻ってきたことを心から喜び、祝宴を開いて祝ったのです。この父親はこう語るんですねえ。「この息子は死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだ。」
この放蕩息子に出てくるこの放蕩息子の姿は一体誰のことを表しているんでしょう。実はこの息子の姿こそあなたであり私である人間の姿を現していると聖書は教えるんですね。父なる神様から離れ、神様に背を向けて生きる姿、それは放蕩息子の姿なんです。
しかし神様はそんな一人一人が自分の弱さに気づき罪を認め帰ってくるとき、過去を責めるのではなく、その一人一人をありのままを受け入れ喜んで迎えてくださる方です。私たちの天のお父様は愛と真実に満ちているお方です。
(PBA制作「世の光」2011.1.11放送でのお話しより)
***
さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
***
このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。
世の光の時間です。お元気でお過ごしでしょうか。
関根弘興です。今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。
世界中で最も多くの人たちに祈られている祈り、その言葉はあなたはご存知ですか。それはイエス・キリストが弟子たちに教えてくださった主の祈りというものです。どの教会でも礼拝の中で必ずと言って良い程祈る祈りです。
この祈りは、「天にいます私たちのお父さん」--文語訳ですと「天にまします我らの父よ」という呼びかけから始まるんです。
祈りはまず最初に誰に向かって祈っているのかを知ることが大切です。多くの人はいろんなところで手を合わせて祈りますが、祈っているその相手が誰かということをあまり気にしません。でも聖書は、「天にいます私たちのお父さん」と呼びかけて祈りなさい、と教えているんです。
私たちのこの天のお父様・神様は真実で愛に満ちたお父さんなんです。イエスキリストはそんな愛に溢れた父親の姿を一つの例え話で紹介しています。それは放蕩息子のたとえです。
この息子は父親から財産を譲り受けると勝手に家を飛び出し、飲めや歌えの放蕩三昧の生活をするんです。しかし持っていた財産も底を尽き、無一文になってしまうんですね。そんな時、飢饉が襲い、彼は空腹を満たすために豚のえさにまで手を出すほど惨めになってしまいます。そんな時彼は自分の元いた家に帰る決心をするんですね。彼は道々「私は天に対してもお父さんに対しても罪を犯しました」と告白しつつ家に帰って行くんです。「もう子供と呼ばれる資格等ありません。雇い人の一人として雇ってもらおう」と帰っていくんですね。しかしどうでしょう。彼が家に向かって歩いているとはるか遠くに父親の姿があるではありませんか。父親は遠くに見えるのが我が子であることを知ると、走り寄って彼を抱き、自分の息子が戻ってきたことを心から喜び、祝宴を開いて祝ったのです。この父親はこう語るんですねえ。「この息子は死んでいたのが生き返り、いなくなっていたのが見つかったのだ。」
この放蕩息子に出てくるこの放蕩息子の姿は一体誰のことを表しているんでしょう。実はこの息子の姿こそあなたであり私である人間の姿を現していると聖書は教えるんですね。父なる神様から離れ、神様に背を向けて生きる姿、それは放蕩息子の姿なんです。
しかし神様はそんな一人一人が自分の弱さに気づき罪を認め帰ってくるとき、過去を責めるのではなく、その一人一人をありのままを受け入れ喜んで迎えてくださる方です。私たちの天のお父様は愛と真実に満ちているお方です。
(PBA制作「世の光」2011.1.11放送でのお話しより)
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さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。
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このサイトは URL名として
http://yonohikari.biblica.info
が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。