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 ♪ラジオ放送・文字版「世の光」

   1952年以来、キリスト教会が協力して全国民放ラジオで放送して73年、
PBA『世の光』を文字で 

■御名があがめられるように

2011年01月18日 | Weblog
2011/1/18放送

世の光の時間です。 お元気でお過ごしでしょうか。 関根弘興です。 今日もさわやかに一日を過ごしていきたいですね。

 イエスキリストが弟子たちに教えてくださった祈りがあります。 「主の祈り」というものですが、これはどの教会でも必ず祈る祈りなんですねえ。 どんな祈りかと言いますと、まず「天のお父様」という呼びかけから始まります。 「私たちのお父さん」と呼びかけるということは、私たちは神様の子供だという事になりますね。 そしてイエス様は、「御名が崇められるように」と祈りなさいと教えられました。

 時々こんなことばを聞くことがあります。 それは、「お前、そんなことをしたら男の名がすたる」とか、「そんなひどい事をして、家の名を汚してくれるな」 まあそうした言いまわしです。 人が名前にふさわしくない行動や振る舞いをしていると、「名を汚す」ということばが使われますよね。

 それでは「神様の名前が崇められるように」とは一体どういうことなんでしょう。

 私たちの行動や振る舞いで神様の名前が汚されることがないように、ということなんです。 でもそれは、あなたが精錬潔白に生きるということではなく、神様の子供として神様に愛され赦され生かされていることを喜んで生きていくという事を通して神様の名前は崇められていくんです。

 私たちがもし不必要に自分を傷つけ、自己憐憫と「人生なんてむなしい」という態度で生きて行こうとするなら、それは神様の御名が崇められるような人生ではないんですねえ。

 また私たちが「神様なんか礼拝しても意味ないし、やっぱり人間中心で行きましょう。 自分勝手に生きていきましょう。 天地を創造した神様がいるって言ったって、所詮今の生活はそんな変わりはしないよ。」 ま、そんなふうに考えて生きるなら、やはりそれは「御名が崇められるように」という祈りとは全く違う正反対な人生を送っているということなんですね。

 「御名が崇められるように」と私たちが祈る時、それは「今の現状はどうあっても、神さまの力は変わりません。どうぞ私自身で神様を否定したり無視したりしませんように。 そして私の思いと行動のすべてを整えてください。」という思いがそこには込められているのです。

 ですからこの祈りを通して私たちの人生は歩むべき道へと導かれ、整えられていくんです。 神様の名が崇められることは、あなたの人生そのものが豊かにされていくことでもあるんです。

 そして神様の名が崇められるそのスタートは、あなたがまずイエス・キリストを人生の救い主として告白し、人生を歩むことから始まるんです。 聖書にはこのように記されています。 

    ピリピ人への手紙 ( 2章11節)
    すべての口が、「イエス・キリストは主である。」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。

 (PBA制作「世の光」2011.1.18放送でのお話しより)

***

 さて、この番組を制作しているPBAの「世の光」の係りでは分りやすい聖書通信講座を用意していて、初めての方には無料の入門コースがお勧めとの事。詳しくはPBAに案内書を申し込みましょう。日曜日に教会を覗いてみるというのはお勧め。こっそり覗きたければ一人で。それとも友だちをけしかけてつるんでもいいし。日曜日は大抵、朝10時か、10時半頃からお昼頃まで集まっていて誰が行ってもオーケー。予約なしでもちょっとのぞかせてくださいと言えばいいでしょう。PBAに聞くと近くの教会を紹介してくれるので、気軽に問い合わせるといいでしょう。問い合わせ先は、mail@pba-net.comです。

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このサイトは URL名として 
http://yonohikari.biblica.info 

が使えます。携帯からもこのURLでどうぞ。


 

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