この歴史ブログで、昭和7年(1932)2月に実施された第18回衆議院議員選挙の兵庫県第三区における選挙について、候補者や政党、支援団体などの主張を紹介しています。
この選挙区は、今の東播磨・北播磨地域を範囲として中選挙区制の下に行われました。はじめに立憲政友会の小林絹治(加東郡河合村出身)、次に立憲民政党の横田孝史(加西郡賀茂村出身)を取り上げました。今日は、同じく立憲民政党の高橋守雄(元兵庫県知事)について紹介します。
民政党陣営は、候補者をめぐって党内に争いがあり、当初は前代議士の水野正巳が出馬することになっていましたが、取り止め、横田孝史が名乗りを挙げています。民政党本部は、高橋守雄を公認し、有権者にビラを送り支援、結束を呼びかけています。以下はそのビラに書かれた高橋守雄の推薦理由です。
推薦状
謹啓益々御清康奉慶賀候陳者今回の総選挙に際し貴県第三区衆議員候補高橋守雄君を推薦仕候。
同君は多年滋賀、長野、兵庫、各県知事として嘖々の功績を挙げ熊本市長としては同市が数十年其解決に苦みし三大事業を完成して空前の名市長と謳はれ台湾総督府総務長官としては短時日の間に植民政策の更新を図り近く警視総監としては清廉謹直剛毅果断の資性を以て歴代の警視総監が常に為さんとして能はざりし暴力団の大検挙を断行して多年社会の安寧と幸福とを破壊して恬然として耻づるなき徒に対し之を根本的に廓正し正に近代の名警視総監として喧伝せられしは世人の耳目に新なる事と存じ候。
実に君の如きは行く處として可ならざるはなく実に官界稀に見る雄才大略の偉材にして国家棟梁の後傑たるは小生等の夙に確信し推奨措くかざる處有之候。
今や内外多難の時局に処し更始一新興国震代の大策を樹立して世界的飛躍を為すべき秋至誠至忠報国の志に厚く而も識見高邁縦横の手腕と力量とを有する君が如き人材に待つもの甚だ急なり。
君今や憂国の至情断ち難く慨然としれ衆議院議員候補に相立ち候に付ては同君の為め熱誠なる御同情と御援助とを賜り何卒当選の栄冠を得せしめられん事を悃願仕候茲に推薦旁々御依頼迄申述度如心に斯に御座候。 敬具
昭和七年二月
東京市芝区新桜田町二十七番地
立憲民政党本部
江木 翼
井上準之助
伊澤多喜男
塚本清治
有権者様
神戸市湊区湊川町三丁目四一ノ四
責任者 藤田昌一
高橋守雄は第20代の兵庫県知事として、昭和4年から6年にかけて務めています。