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ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

南朝忠臣赤松氏範の墓-播州清水寺

2017年02月01日 04時48分18秒 | Weblog
             

             

 この写真は今から40年余り前の昭和40年代末頃に撮影した、播州清水寺にある南朝の忠臣赤松氏範の墓と墓への道に建てられている石柱です。大学生になってすぐの頃、清水寺(加東市平木)を訪れた時に撮したものです。
 小学校の5年か6年生の頃、父親に連れられて清水寺に歩いて登ったことがあります。ユースホステルに泊まり、翌朝、小坊主さんの案内で、生い茂る笹をかき分けて尾根の先へと行きました。そこは、南朝の忠臣、赤松氏範とその一族郎党の墓地でした。その時の印象は強く刻まれており、大学生となって再び訪れたのでした。
 以下は平成18年(2006)10月12日に投稿した赤松氏範と清水坂の合戦の話です。

 赤松氏範は14世紀南北朝時代の人で、播磨の豪族、赤松円心の子です。赤松円心は、はじめ南朝方についていましたが、のちに北朝の足利方につきます。兄弟4人のうち、氏範一人が南朝について忠義を尽くしました。
 足利義満が三代将軍となり、南朝の勢力はおとろえはじめました。氏範は1386年、最後の戦いに挑むべく、京の幕府を襲いましたが、幕府勢に押し返され、播磨の清水寺に立てこもりました。これを攻めたのは山名の軍勢でした。さらに山名勢が去ってからは細川勢が攻めました。
 氏範はよく戦いましたが、何せ味方は少数、幕府軍は大軍とあって、兵糧もなくなり、遂に覚悟を決めて、寺の北東の峰に一族郎党を集め、自刃をして果てたのです。これが、清水坂の合戦とよばれる戦いです。

 ということで、その墓と、墓へ通じる境内の道に建てられていた標柱の写真です。

 
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