ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

鹿野の冷泉-加東市下久米

2018年04月08日 05時49分31秒 | Weblog
 

 7日(土)、三草ふれあい広場の第9回ワクワク探検の出発を見送るために加東市下久米にある鹿野冷泉近くにある三草山登山道駐車場に行きました。
 鹿野冷泉を訪れるのは久しぶりで、大学生の頃、九州出身の友人が遊びにやってきた時に一緒に朝光寺への道を歩いたことがあり、写真はその時のものです(左が私)。今から40年ほど前のことです。
 さて、冷泉は今も水を湛え、時折りボコボコと水泡が湧き上がっています。屋根はありませんが、池の周囲は囲いが設けられ、小さな祠がありました。
 この冷泉の由来、伝説について記した資料(ふれあい広場配布、冷泉に掲げられた解説板の文)を紹介します。

 朝光寺は、白雉二年(651)、天竺(インド)からトライした法道仙人の開基によると伝えられています。
 法華山一乗寺で修行していた仙人は、毎朝、東方の峰に瑞光が天をさすのを見て、そこには必ず霊物があると思い、一日光を追ってこの地を訪れました。その時、頭に冠をつけ、あざやかな服を着た容姿非凡な一人の翁があらわれ、「あなたが来るのを長い間待っていました。この山には霊木があって光を放っています。この木で仏像を彫り、寺を建立してお祀りしなさい。私は仏法をお護りいたしましょう」と話しました。仙人は不思議に思って名を尋ねますと、その翁は「私は住吉明神です」と答えました。さらに住吉明神は「私の言葉が真実である証拠に、この地から塩水が湧き出ますよ」と告げますと、翁の姿はかき消すように消えてしまいました。すると、傍らの池からは小さな阿波とともに塩水が湧き出しました。これが今の鹿野冷泉です。法道仙人は早速山中に入り、霊木をみつけ、一刀三礼しながら像長五尺三寸の千手十一面観世音菩薩を彫り、寺を建て本尊として祀り、傍らに住吉明神を祀りました。

 朝光寺の縁起をもとにした話ですが、明治時代中頃には、この地に温泉場が設けられ療養地として訪れる人も多かったとのことや県による分析や効能などが『加東郡誌』に記されています。

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