加東市社と山国を結ぶ旧道は圃場整備等でずいぶん変わってしまったそうですが、市街地から下川を渡って、山国の熊野神社に至る坂道は源ヶ坂と呼ばれています。字名も源ヶ坂だそうです。
源ヶ坂の由来は、源平合戦で有名な一の谷の合戦の前哨戦であった三草山合戦で源義経が平家を急襲し、逃げる平氏を追ってそのまま社辺りまで来て、さらに一の谷に向かった道であるという伝承にあるといわれています。下川という名も「白川」がなまったもので、陣を張った源氏がこの川の水で米をといで川が白く濁ったのでその名がついたという伝承もあります。
さて、その源ヶ坂を熊野神社から少し下った道の脇に道標が立っています。「左上 小田大深山 右下 小田浄土寺」と彫ってあります。「文政」の文字が見えますので、今から約180~190年ほど前の古いものです。元は今の位置ではなく、もっと下にあったという話も聞きました。
源ヶ坂の由来は、源平合戦で有名な一の谷の合戦の前哨戦であった三草山合戦で源義経が平家を急襲し、逃げる平氏を追ってそのまま社辺りまで来て、さらに一の谷に向かった道であるという伝承にあるといわれています。下川という名も「白川」がなまったもので、陣を張った源氏がこの川の水で米をといで川が白く濁ったのでその名がついたという伝承もあります。
さて、その源ヶ坂を熊野神社から少し下った道の脇に道標が立っています。「左上 小田大深山 右下 小田浄土寺」と彫ってあります。「文政」の文字が見えますので、今から約180~190年ほど前の古いものです。元は今の位置ではなく、もっと下にあったという話も聞きました。