昭和7年(1932)2月に実施された第18回衆議院議員総選挙で、立憲政友会総裁の犬養毅が小林絹治の推薦文を出しています。印刷したものですが、政友会の推薦ビラです。
小林絹治君
敬啓茲に衆議院議員総選挙に臨み吾党候補として右其人を推薦致し候
目下焦眉の急務外ニハ満州の前後処置内ニハ危急旦夕ニ迫る経済的困難あり
更に根本問題としてハ内ハ産業立国の大主義実施に係る諸般の改革
外にハ日華両国永遠の親和を確立する等都へて吾党の大責任を尽すへき時期と念じ謹て之を輿論に訴る候可候
此意御亮察奮て御賛成被為下度特ニ御以来申上候
不具
昭和七年一月
立憲政友会総裁
犬養 毅
東京麹町区内山下町
以上ですが、前年の12月に若槻礼次郎(民政党)が総辞職したあと、政友会の犬養内閣となり、年が明けた昭和7年1月に衆議院を解散したのでした。小林絹治が立候補した昭和7年2月の総選挙はこの選挙です。結果は政友会の圧勝で、小林絹治も最高点で当選を果たしました。
しかし、この年の5月に5.15事件が起こり犬養毅は暗殺され、政党内閣は終わりを告げます。