ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

旱魃からふるさとを救った昭和池

2012年01月25日 04時57分30秒 | Weblog
 1月8日(日)の早朝、国道372号を鴨川方面へと向かっていました。ふと、昭和池へ行ってみたくなり、三草山の登山口になっている堰堤の下まで乗り入れました。車が1台ありました。きっと早朝登山をしているのでしょう。それにしても殺風景な駐車場です。私が中学生の頃にキャンプや遠足で来ていた頃と変わりません。
 ただ、堰堤を登る坂道のところに1枚の看板が建てられていました。東条川疎水に関する説明と、昭和池が造られた経緯や池から送られた水が台地の開発や水田を潤し、旱魃からふるさとを救ったことが書かれていました。このブログでも紹介しましたが、嬉野台地の今はもう使われていない昭和池からの用水路にもこのような看板が建てられています。
 昭和池築造の経緯は次の通りです。大正13年(1924)、この地方は大かんばつに見舞われ、これをきっかけに農業用水の水源を確立する必要性があるとの声が高まり、県営事業として巨大溜池が三草山渓谷に造られることになったのです。そして、昭和3年に工事が始まり、9年に完成、昭和池と命名されました。巨大な堰堤は、高さ約30メートル、幅(長さ)約200メートルの巨大な土堰堤です。
コメント (2)
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