ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

小雪の中、河高の厄神祭

2011年02月12日 05時48分26秒 | Weblog
 2月11日(金)、今日は建国記念の日。紀元節。玄関に国旗を揚げて祝います。この日、加東市河高の八幡神社で厄神祭が行われ、背後の五峰山もうっすらと雪化粧するなか、多くの人が参拝しました。
 八幡神社の脇から山の上に通じる道を登ると、頂上部分には大きな岩がむき出しになっており、その真ん中の大きな岩の上に祠が祀られています。その前の平坦な広場には結界が張られ、法被姿の数十人の子ども達がいます。これは、厄年の人や河高出身で成功した人達がふるさとへの感謝の気持ちを込めて、お金や菓子、餅などを神様にお供えしたあと、子ども達に向かって投げるのです。子ども達はそれを拾うという行事が行われています。結界の周囲には子ども達の家族や消防団の青年等が見守っています。
 さて、この河高の八幡神社の厄神祭について、これまでもこの歴史ブログで紹介してきましたが、再度紹介します。

 河高の八幡さんは、今から約470年前の戦国時代、天文4年の創立とされ、「厄除けの霊験頗る顕著」なお宮さんとして知られ、厄除けのお祭りが毎年1月19日に行われていました。この日には旧加東郡や加西、多可郡から多くの人が参詣したと聞きました。また、地区の子どもたちはこの日ばかりは学校を休んでお祭りに出たということでした。年輩の方の話では、前夜から友達と連絡を取り合い、午前3時頃から山の上に向かつたそうで、親も寝ておれなかった、ということです。戦後の一時期、男女平等ということで、女の子も参加したようですが、今は地区の男の子だけが参加できることになっています。この祭りを「奇祭」とよび、子どもがお金を拾うという行為を好ましくないなどという観点から一部の批判があったことは確かで、毎年新聞でそのようなコメントが付けられていました。しかし、このお祭りは厄除けの祭り、伝統文化、地域社会などの観点から見るとそのような表面的な見方だけの批判は的はずれといわざるを得ません。子ども達は拾ったお金を特別なお金として大切に使い方を考えたと聞くきました。また、拾っている姿を見ていると、年長の者が年少の者に配慮しながら拾っている姿もありました。成功した人が地域に感謝の気持ちを示すというこうした姿勢をこの子ども達がまた継承していき、地域の維持発展につながることになると思います。こうした思いも実際に祭りを直に見てはじめてもつことができるものです。

 子ども達に聞いてみると、昨夜10時過ぎからここに居るという子もいました。また、知り合いの河高出身の女性が娘さんの厄除けということで来られていました。神社の境内では、河高地区の皆さんが温泉たまご、うどん、そば、おでんなどの店を出して賑わいづくりをしておられ、身も心も温まりました。
 

コメント
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