ふるさと加東の歴史再発見

少し気をつけて周囲を見回してみると、身近なところにふるさとの歴史を伝えるものがある。

上三草-大坂街道の道標

2009年07月16日 04時26分14秒 | Weblog
 加東市上三草、やしろ国際学習塾から旧京街道を少し上ったところに旧大阪街道と交わる地点があります。京街道は京都から篠山、上鴨川(加東市)、上三草、社、河高、高岡を経て姫路に通じるもので、昔から重要な幹線道路でした。また、大阪街道は、山陰地方から西脇市、加東市の曽我、三草、横谷を通って、吉川(三木市)を経て大阪に通じる道路です。
 この2つの道が交差する地点に、火の見やぐらと古い消防団器具庫があり、その前に立派な道標が立っています。道標には「すく 大坂」「すく きよ水 三里」「すく た可郡」「すく ほつけ山 五里」と刻まれています。そして、三草川を渡るその橋は「大阪橋」。まさに大阪街道だった証拠が残っています。この道標については、この歴史ブログでもすでに紹介しています(2007年2月6日)。
 その大阪橋を渡ってすぐ、田圃のそばに不自然に石が置いてあります。この石は自然石のようですが、一つの面に「右 大さか」と刻まれていました。道標だったのです。地域の方の話では、圃場整備をしたあと、この場所に置いているが、元はもう少し東の畑の分かれ道の脇にあった、ということでした。
 大阪街道の名残りの道標は今は役目を終えて田圃の脇で寝ています。そんな道標に思わず「ごゆっくり」と声を掛けたくなりました。
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