アンドレ・プレヴィンが亡くなった。89歳。
この人、どういえばいいのか、音楽家というしかないだろう。
作曲家、編曲者、ピアニストそれもジャズとクラシック、オーケストラ指揮者(ミュージカルからクラシックまで)ととてつもなく広い。
クラシックのピアノ、作曲などの教育を受けたが、まずはジャズと映画音楽で世に出、あの「マイ・フェア・レディ」が映画になったとき、編曲と指揮でオスカーを取り、これらを含めオスカーは何と4つである。そしてこの映画公開とほぼ同時にシェリー・マン(ドラム)、ルロイ・ヴィネガー(ベース)と組んだトリオで作った全曲ジャズアルバムは空前のヒットとなった。
私がこの人の名を知るのはこのたりからで、その後オーケストラ指揮者として着々と地位を築く一方、今世紀になってもソロのジャズアルバムなど出していた。これだけ長く私がその活躍を見ていた人は他にいない。
クラシック分野への進出にあたっては、当時ニッチだったラフマニノフの管弦楽曲、ヴォーン・ウィリアムス(南極交響曲など)などでポジションを得、モーツアルトやメンデルスゾーンなど明るいものから次第に本格的なクラシックへと、そのオーケストラもロス、ロンドンあたりからはじめ、ついにはベルリン、ウィーンにまでいった。周到でしたたかな計画性があったともいえる。
何をやっても破綻なく、うまくまとめるというイメージがゆきわたり、私もそう違わない感じは持っていたが、大分前にアップしたマーラーの第4を聴いて、この人にはこの人なりの音楽性があり、それは音楽の聴き方の一つとして存在意義があると認識するようになった。
またこの人はかなり二枚目でもあったから、ハリウッドの女優やクラシックのスター・ソリストといろいろあったが、そう悪い話にはなっていないようだ。
私がジャズピアノを習うようになって、とりあげる曲の参考になるのはプレヴィンのものがかなりある。といっても部分的にしろまねするなどはとんでもなくて、曲の理解に役立てるといったところだが。
あえて印象的な作品、録音アルバムを3つ上げると、
マイ・フェア・レディ(ジャズピアノトリオ)
ラフマニノフのピアノ曲集(ウラジミール・アシュケナージとのデュオ)
オペラ「欲望という名の電車」(こんなに大規模なものを作曲するとは思わなかった)
だろうか。
見事な一生といえばそう。
この人、どういえばいいのか、音楽家というしかないだろう。
作曲家、編曲者、ピアニストそれもジャズとクラシック、オーケストラ指揮者(ミュージカルからクラシックまで)ととてつもなく広い。
クラシックのピアノ、作曲などの教育を受けたが、まずはジャズと映画音楽で世に出、あの「マイ・フェア・レディ」が映画になったとき、編曲と指揮でオスカーを取り、これらを含めオスカーは何と4つである。そしてこの映画公開とほぼ同時にシェリー・マン(ドラム)、ルロイ・ヴィネガー(ベース)と組んだトリオで作った全曲ジャズアルバムは空前のヒットとなった。
私がこの人の名を知るのはこのたりからで、その後オーケストラ指揮者として着々と地位を築く一方、今世紀になってもソロのジャズアルバムなど出していた。これだけ長く私がその活躍を見ていた人は他にいない。
クラシック分野への進出にあたっては、当時ニッチだったラフマニノフの管弦楽曲、ヴォーン・ウィリアムス(南極交響曲など)などでポジションを得、モーツアルトやメンデルスゾーンなど明るいものから次第に本格的なクラシックへと、そのオーケストラもロス、ロンドンあたりからはじめ、ついにはベルリン、ウィーンにまでいった。周到でしたたかな計画性があったともいえる。
何をやっても破綻なく、うまくまとめるというイメージがゆきわたり、私もそう違わない感じは持っていたが、大分前にアップしたマーラーの第4を聴いて、この人にはこの人なりの音楽性があり、それは音楽の聴き方の一つとして存在意義があると認識するようになった。
またこの人はかなり二枚目でもあったから、ハリウッドの女優やクラシックのスター・ソリストといろいろあったが、そう悪い話にはなっていないようだ。
私がジャズピアノを習うようになって、とりあげる曲の参考になるのはプレヴィンのものがかなりある。といっても部分的にしろまねするなどはとんでもなくて、曲の理解に役立てるといったところだが。
あえて印象的な作品、録音アルバムを3つ上げると、
マイ・フェア・レディ(ジャズピアノトリオ)
ラフマニノフのピアノ曲集(ウラジミール・アシュケナージとのデュオ)
オペラ「欲望という名の電車」(こんなに大規模なものを作曲するとは思わなかった)
だろうか。
見事な一生といえばそう。