メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ヴェルディ 「アッティラ」

2019-03-04 21:22:24 | 音楽一般
ヴェルディ:歌劇「アッティラ」
指揮:リッカルド・シャイー 演出:ダヴィデ・リーヴェルモル
イルダール・アブドラザコフ(アッティラ)、ジョルジュ・ペテアン(エツィオ)、サイオア・エルナンデス(オダベッラ)、ファビオ・サルトーリ(フォレスト)
2018年12月7日 ミラノ・スカラ座  2019年1月NHK BS
 
ヴェルディ中期の充実した作品群に至る少し前の時期の作品で、おそらく見るのも聴くのも初めてである。エティオが率いるローマ軍がアッティラ率いるフン族の攻勢にあい、制圧されようとしているところで、ローマ側のフォレストそして彼の恋人のオダベッラがかかわる。ほぼこの4人のドラマとなっている。
 
フォレストの心配をよそに、オダベッラはアッティラの関心をひき、イスラエル救国の女傑ユディットに自らをなぞらえている。ドラマと音楽の起伏が続いた後、強引にオダベッラを自らの花嫁としたアッティラに従うふりをした彼女は、新婚の床でユディットのように目的を達成する。
 
全体を通してみれば、これだけの話で、その間多くはオダベッラとフォレストの愛の二重唱が聴かせどころとなっている。ヴェルディの音楽は、輝かしさという点ではもう高いレベルにあって、主役クラスの4人の歌唱も期待を裏切らない。
 
だが、上記のストーリーでは、ヴェルディのこれらより後の作品にもある敵対する陣営の男と女の交情としては、真実味もアンビヴァレンスも乏しい。これより前の「ナブッコ」の方がましだと思う。
 
また「ナブッコ」と同様、これだけの軍隊、陣営がどう動き、上記の主要な配役が会いまみえられるのか、不自然と言えば不自然である。
 
一方、舞台装置に映像を加えた演出は、空間の深みを提供するのに成功はしており、またヴィデオになるとなおさら立体的な効果が出ている。
 
これはシーズン幕開けの上演であって、首相か市長かわからないが、バルコニー席に登場してから、国歌が演奏される。これをシャイー指揮スカラのオーケストラが高らかに歌い上げ、続いてこの上演に入っていく。この流れなら、イタリア救国、建国につらなるストーリーとしてこのオペラはマッチするものなんだろう。
ことわっておくと、そうは言いながら、このときスカラに集まった人たちの感情は理解したいとも思う。

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