「レッキング・クルーのいい仕事」 -ロック・アンド・ロール黄金時代を支えた職人たち- ケント・ハートマン 著 加瀬俊 訳 2012年11月 Pヴァイン・ブックス
原題:The Wrecking Crew - The Inside Story Of Rock And Roll's Best-Kept Secret
アメリカ・ポピュラー音楽業界のインサイド・ストーリーすなわち内幕もので、主に扱われている1960年代の音楽が好きなものにとっては興味本位でも、また音楽のありかたという面でも、きわめて面白い。
レッキング・クルーすなわち壊し屋とは、ヒットを狙って作られた多くのレコード録音で、公式に知られていてツアーライブなどで顔を出している連中にかわりスタジオでの収録を行った、演奏の達人たちのことである。主にロス・アンゼルスを中心に活動していた。
彼らは通常名前はクレジットされず、その一回きりの報酬が支払われる。優秀な人は報われているが。
あああの曲も、あのグループも実際は、、、とびっくりする話が続く。たとえばビーチ・ボーイズは中心となったブライアン・ウィルソンの采配でほとんどこうした録音形態をとった。そう言われてみると、いくつもの録音はかなりこっていて、魅力あるサウンドに満ちている。
サイモンとガーファンクルの「ミセス・ロビンソン」、「ボクサー」、「明日に架ける橋」なども、ここに書かれている細かい話を読むと、あああそこね、とよくわかる。
カーペンターズがデビューするころ、録音現場でカレンの歌をきいて、当人や家族のだれも予想しなかったことだが、キーをさげたらとアドヴァイスしたのはレッキング・クルーではトップのドラマーであったハル・ブレインだそうだ。そういえばカレンのちょっと低めの声は独特の魅力を持っている。
クルーの人たちの中には、後に私も知ることになった人もいて、プロデューサーとして有名なフィル・スペクター、ギターのグレン・キャンベルはカントリーの歌手でヒットも多いし、ピアノのレオン・ラッセルはシンガー・ソングライターとして成功し、多くの名曲を残している。
グレン・キャンベルが「誰かが誰かを愛してる」(ディーン・マーチン)、「夜のストレンジャー」(フランク・シナトラ)でギターを弾いていたときの描写も微笑ましい。
そしてここで書かれていることだが、1950年代はジャズ演奏の全盛期で、楽器奏者のレベルは高かったし、収入もよかった。あのころの写真を見ると、みな人種も関係なくいいスーツを着て、外面だけならイスタブリッシュメントみたいである。
しかし1960年ころから、流れはロック・アンド・ロールを中心とするポピュラーに移ってきて、若い歌手のセンスがラジオやシングル・レコード販売には欠かせないようになった。ここらは私もリアルタイムで体験したことである。また後から知ったことだが、ジャズの名盤は1950年代末のものが多い。
ところが、ラジオでかけてもらい、売りまくるためには、こういう音楽を持ち込む若い連中の楽器演奏のレベルは低すぎる。そこでまずはジャズなどで経験豊富で定評のあるバック・ミュージシャンが起用されこの世界で成功する人たちが出てきたし、次の世代の人たちも育ってきた。音楽の潮流が変わるときにはこういうことがあるのだろう。
思い出すのは、70年代以降に日本である程度成功したミュージシャンがが新しいアルバムを作るとき、かなりの期間ロスで現地のミュージシャンを使っていたことである。前記のようなことはこの世界では知られていたから、そういう行動に出たのだと思う。
その後、奏者の数、レベルが高くなったのか、技術の発達で少ない人数で作れるようになったからか、こういうクルーの形態はなくなっているようである。
ところでジャズの世界で有名な一流プレーヤーで、クルーに加わり、こっちでも本業と並行して仕事をしていた人もいるらしい。
著名なギタリストのバーニー・ケッセルもその一人。この人はいわばチャーリー・パーカーからこっちの世界までという、途方もない広い世界でやった人というこことになる。
ママス&パパス「夢のカリフォルニア」のバックでフルートを吹いているのは、これも有名なジャズ・フルーティストのバド・シャンクだそうである。
なお、本書のある書評でいわれていたとおり、訳というより校正に難があり、普通の編集者がもう一回通して見ていたら、と思われるところがいくつかある。この本が多くの丹念なインタビューをもとにしたものであり、今後この分野の研究の入り口になるものと思われるだけに、これは惜しい。