メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

「ショスタコーヴィチの証言」 (ソロモン・ヴォルコフ)

2009-09-17 20:38:14 | 本と雑誌

「ショスタコーヴィチの証言」 (ソロモン・ヴォルコフ、水野忠夫訳、中公文庫)
TESTIMONY: The Memoirs of Dmitri Shostakovich  by Solomon Volkov (1979) の翻訳である。

この本の存在、そして随分話題に、議論の的になっていることは知っていたが、大部であり、ロシア系作曲家の中でもどうも入りにくい人だったこともあり、敬遠していた。しかし、読んでみれば、進まないということもなく、登場人物も多彩で面白く、またこれは比べるものののない、おそろしい独裁時代、社会に関する記述であった。

1953年、スターリンが死んだ時は幼かったけれども、ラジオのニュースだろうか、何か相当な騒ぎだったことをかすかに記憶している。その後、ソ連をよしとする人たちからスターリン批判が出てきて、最後はソ連崩壊にもつながったのだろうとは思っていた。
 
しかし、こういうものを読んでは見るものである。革命前の帝政、ヒットラーの独裁に比べても、もっとひどいものではないだろうか。
ヒットラーならば、だまっておとなしくするか、忠誠を誓えばなんとかなっても、スターリンの場合は理解する能力のない文化という分野に口を出し、才能があるとわかった芸術家には、活動をやめることを許さない。つまり気に入る作品を作るよう圧力がかかり注文がつき、その挙句銃殺もありうる。
 
ショスタコーヴィチ(1906-1975)はこの中で生きながらえた。当然のことながら、彼も自分の活動がすべて正しかったなどとは言っていない。ただ、弱そうにも見えて、やはり強靭な持続力、そして作曲家としての能力が彼を最後まで支えたのだろうか。
 
若い頃、唯一知っていたのは交響曲第五番で、これは普通だと思うけれども、明るく力強い楽想がどうもわかりやすすぎる、安っぽいという感が抜けなかった。実演で聴いたのは岩城宏之指揮のN響、床からずしんと来たが。
 
それでも、インテリと思われる音楽ファン、またおそらく進歩派であろう音楽評論家たちは、それを力強い、人民の姿を表現したといったポジティヴな評価をしていた。それに感覚的な疑問を感じていたのだが、それがこの証言によれば、「、、、強制された歓喜なのだ。それは、鞭打たれ、、「さあ喜べ、喜べ、それがお前たちの仕事だ」と命令されるのと同じだ。そして、、鞭打たれた者は立ちあがり、ふらつく足で行進をはじめ、「さあ、喜ぶぞ、、喜ぶぞ、それがおれたちの仕事だ」という。」
 
これを読んで納得した。あれを誉めそやした日本の人たちはどういう耳を持っていたのか。
もちろん、今になって作者自身がこういうことを言うことに問題がないわけではないし、作者自身の証言のように感じたとして、この曲を資料としては別にこれからも鑑賞の対象とするのは無理である。
 
有名な音楽家、芸術家への言及も多く、それは深刻なものもあれば面白いものもある。
音楽院の先生であったグラズノフについては、その作品への評価はともかく、教師としての能力などに敬意をはらっている。
ストラヴィンスキーについては肌が合わないようだが、才能は認めている。ただプロコフィエフは嫌いなようだ。

また、ムソルグスキー「ボリス・ゴドゥノフ」に関しては、これもオリジナル回帰の流れなのかリムスキー・コルサコフ版やショスタコーヴィチ版より原典版が尊ばれているが、この本を読むとほんとうにそれでいいのかどうか。

交響曲の初演を多くやったムラヴィンスキーはけちょんけちょんの評価で、まったくわかってないと言っているし、トスカニーニもひどい人、指揮者だと言っている。これは意外。エイゼンシュテイン、スタニスラフスキーも彼にかかっては形無しだ。
 
1969年にカラヤンがベルリン・フィルとモスクワを訪れ、その録音は今でも評価が高く、とりわけ彼が唯一ショスタコーシチでレパートリーにしていた交響曲第10番は作曲者も聴き、カラヤンとも会ったはずである。そのことについて何かと期待したが特になかった。ただあったのは、マリア・ユージナがカラヤンの切符をどうしてもほしくて奇矯なふるまいをしたということくらい。
ロストロポーヴィチについては書かれているが、オイストラフ、リヒテルについては特に無し。これが死後出版されたとき、彼らがどうなるか気遣いしたのかもしれない。
 
ハチャトリアンなどとかかわったスターリンのもとでのソ連国歌作成、そうだったのか、、、でもあの曲、オリンピックなどで聴いていて悪くはなかった。
 
このように本としては読んで感心しても、彼の曲はストラヴィンスキーはおろかプロコフィエフと比べても、どこか夢中になって聴くという段階に至っていない。強靭な生き方を貫いた、それが作品では韜晦にもなっているのはわかるけれど、「音楽」としてどこかで抜けたところがまだ見つけられない。
それでも交響曲第1番などは、フレッシュで豊かな才能を感じさせる。第4番、第7番、弦楽四重奏曲第8番、前奏曲とフーガ(ピアノ)、ヴァイオリン協奏曲など、再度ゆっくり聴いてみようとは思っている。
 
もちろん、数年後の死を予想してヴォルコフに話し、国外に持ち出して死後出版するよう求めた、そしてそれは英訳で出版された、というプロセスで書かれたものに、ヴォルコフの介在も含めて何らかのクレームがあることも想像されるし、事実それはあったようだ。それでも、そんなに間違ってはいないだろう。ショスタコーヴィチという人は、そこについては信用できるように思う。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする