華麗なるギャツビー ( The Great Gatsby、1974米、141分)
監督:ジャック・クレイトン、原作:スコット・フィッツジェラルド、脚本:フランシス・フォード・コッポラ、撮影:ダグラス・スローカム、音楽:ネルソン・リドル
ロバート・レッドフォード(ジェイ・ギャツビー)、ミア・ファーロー(デイジー・ブキャナン)、サム・ウォルターストン(ニック・キャラウェイ)、ブルース・ダーン(トム・ブキャナン)、カレン・ブラック(マートル・ウィルソン)、スコット・ウィルソン(ジョージ・ウィルソン)
先日見た同じ原作の映画(2012年、監督:バズ・ラーマン、レオナルド・ディカプリオ、トビー・マクグワイア他)に言及したとき、あまり記憶はなかったけれどこっちを思い浮かべ、この作品とはちょっと別の方向に振ったものではと思った。
それはやはりそうで、これは筋、風俗など背景をていねいに描き、上映時間もほぼ同じなのだが、ゆっくり飽きさせずに進行する。
脚本でいちばん違うところは、語り部のックの扱いだろう。前記の映画では、精神を病んだ彼の回想として描かれていた。
見るものにとってギャツビーとは何者なのか。そう感情移入できるわわけではない。ああいう、人生の一幕に対するこだわり、実現するとは本気に思ってなくても、力を持てたときに突き進んでしまう、そういうことはわかるのかもしれない。それをこの映画のようにきれいにじっくりと描くと、まあそういうこともあるかな、と感じられる。
レッド・フォードのジェイはなんといってもの登場シーンのスマイル、あれは他のどの人がやっても嘘っぽいだろう。ディカプリオの方が虚飾の人を演じてぴったりとは思うのだが、そうはいかないのが面白い。
ミア・ファーローのデイジー、やはりこの体重を感じさせないつまり普通に言って存在感のない役にはこの人しかないと感じさせる。
一気に見せる、浸れたと思って、脚本はと見るとコッポラ、なるほど。しかもゴッド・ファーザーの合間のようだ。カメラはインディー・ジョーンズ シリーズの人。
音楽はしっとりとしたスタンダード・ジャズをうまく使っている。原作の舞台より10年ほどのち、名作が多い1930年代の雰囲気だが、采配はネルソン・リドル、この人を使える時期でよかった。
終盤、そろそろ悲劇の兆候、、、と暗示させるあたりのセリフ、カメラがいい、それも後味が。