メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ツール・ド・フランス2007

2007-08-15 22:07:36 | スポーツ
ツール・ド・フランス2007(7月7日~29日)(NHK BS-1、8月12日)
 
ツール・ド・フランス、TVで総集編を見るのは3年ぶりだ。
ランス・アームストロング7連覇(新記録、2005年)、翌年のフロイド・ランディスは見ていない。
 
さて今年、もう名前を憶えている選手がほとんどいないのに気がつく。かすかに聞いた事のある名前で今回放送場面に登場したのはヴィノクロフ(カザフスタン)、ラスムッセン(デンマーク)くらいだが、なんとその2人ともレース途中で消えてしまうというとんでもない大会になってしまった。
前者はドーピングで、後者はもう総合優勝確実かといわれていた時に、実は過去にトレーニング場所を正確に報告していなかったことでチームから解雇されてしまった。
 
それでも最後はわずかの差で24歳のアルベルト・コンタドール(スペイン)がカデル・エヴァンス(オーストラリア)を23秒差で退けて勝つという盛り上がりもあった。コンタドールは山岳ステージで優勝しているから、単なる繰り上がりではないし、今後も期待できるだろう。
 
彼はディスカバリーチャンネルチームの2番手で、途中不調だったが最終的には優勝争いに食い込み首位から31秒差の3位になったエースのリーヴァイ・ライプハイマーをサポートする役目だった。
 
この展開で思いだすのは、90年代前半に5連覇した同じスペインのミゲール・インデュライン、エース ペドロ・デルガドを献身的にサポートして1988年に優勝させたが、このころもサポート役をやりながら上位に食い込み、いずれ彼がトップになるだろうと思わせた。
私が見る限り、この20年で一番強かったのはインデュラインだろう。アームストロングと比べても圧倒的だった。アームストロングはこのツール以外ほとんど出ておらず、サイクリストの成績としては色々言われているようでもある。
 
1986年にNHK-BSで見始め、その後しばらくして権利がフジテレビに移り、最低限総集編は放送されていたから、それは全部見てきた。2005年、2006年はCSの専門チャンネルになってしまい見なかったけれど、こうやって20年見てくると感慨深い。
 
1986年は、グレッグ・レモンが同じチームでフランスの英雄ベルナール・イノーに勝って確かアメリカ人初の優勝となったのだが、このころは東芝が有力チームのスポンサーになっていたし、その後世界トップの部品メーカーになった日本のシマノの名前が見えるようにもなってきた。
 
そして変らない魅力は、多少コースの変化はあっても、あのアルプスの、ピレネーの景色、何時間にもわたる超人的な登り(ヴァル・ディゼール、ヴィラルド・ランス、マドレーヌ峠、テュルマリー峠、、、)、くねくね道を降る自動車やバイクも追いつかない恐怖のダウンヒル(確か時速90km)、ひまわり畑の向こうを風を切って気持ちよさそうに走ったり、たくさんの虫の集団のように通っていくいく郊外のレース風景、3週間あまりの中には革命記念日もあるからその日はレースしながらラッパを吹いたりシャンペンで乾杯する選手達も、総合成績には関係ない凱旋だけのシャンゼリゼなどなど、、、
 
もう一つ、ずっと見てきて思うのは、この社会の縮図、人生の縮図のような世界である。個人同士、チーム同士、個人とその所属チーム、チームメイト、エースとサポート役、全てに表と裏がある。義理、人情、仁義、裏切り、格、、、
変な言い方だが、日本人にはわかりやすく面白い世界である。
それなのに見ていてスポーツとしての感動が減るわけではない。なぜなら、こんなに過酷で人間業とは思えないスポーツは他にないからだ。だから勝者は英雄、しかし英雄は一人だけでない、およそ100人もの選手が3週間のレースを完走しシャンゼリゼを誇らしげに走る姿は何回見てもいいものだ。
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