モーツァルト:歌劇「偽の女庭師」(K.196)
指揮:ディエゴ・ファソリス、演出:フレデリック・ウェイク・ウォーカー
ジュリー・マルタン・デュ・テイユ(サンドりーナ)、クレシミル・シュピツェル(代官)、アネット・フリッチュ(アルミンダ)、ベルナール・リヒター(伯爵)、ルチア・チリッロ(ラミーロ)、ジュリア・セメンツァート(セルベッタ)、マッティア・オリヴィエーリ(ナルド)
2018年10月11日 ミラノ・スカラ座 2021年5月 NHK BSP
1774年、モーツァルト18歳の時の作品である。といっても初めてのオペラでもなく、この歳でと驚くけれども、あまりそれにとらわれなくてもいいようだ。
代官屋敷の女庭師サンドリーナ、訳ありで貴族出身の身分を隠している。代官の姪(アルミンダ)が結婚するということで代官邸に現れる、結婚相手に決まった伯爵がそこに来るが、ここでサンドりーナを見て、過去にひどいことをしてしまったヴィオランテではないかと思う。
代官の達者な小間使い(セルベッタ)、それにいいよるナルド、アルミンダを追いかけるラミーロ(メゾソプラノ)が入り乱れ、結局だれとだれが?と想像しながら観ていくことになるのだが、構図はわかりやすいから、歌手たちの歌と演技を楽しんでいrてばいい。思ったより飽きずに最後までいった。
今回の公演、オーケストラはピリオド楽器とそれに即した奏法のようで、作曲家この時期の音楽、シンプルで活気があることが目立つが、物語の大きな起伏を表現するもっと後の作品よりは、こういうやりかたの方がいいのだろう。
歌手たちは歌も、所作も達者だし、ほとんど一つの広間での進行と、壁や通路(穴)をうまく使ったしかけも大げさすぎなくていい。
ところで、この作品は「フィガロの結婚」の前触れとも言われているようだが、フィガロやコシ・ファン・トゥッテなどモーツァルの男女間のコメディ・オペラは、最後ヒロインたちの賢さが勝つということが多い。これはモーツァルトに限らないのかもしれないが、作曲家としてはそれだけではない、もっとちがう人間ドラマの深遠をという考えがあったのではないか。それがドン・ジョヴァンニで、これは是非とも書きたかったものだろう。ドン・ジョヴァンニにくらべれば、他の作品の結末は今風に言えばポリティイカル・コレクトネスみたいで、音楽ならもう一つ先があると言える。
今回、こういうことを思い浮かべたのも、最後までうまく聴かせてくれたからである。
指揮:ディエゴ・ファソリス、演出:フレデリック・ウェイク・ウォーカー
ジュリー・マルタン・デュ・テイユ(サンドりーナ)、クレシミル・シュピツェル(代官)、アネット・フリッチュ(アルミンダ)、ベルナール・リヒター(伯爵)、ルチア・チリッロ(ラミーロ)、ジュリア・セメンツァート(セルベッタ)、マッティア・オリヴィエーリ(ナルド)
2018年10月11日 ミラノ・スカラ座 2021年5月 NHK BSP
1774年、モーツァルト18歳の時の作品である。といっても初めてのオペラでもなく、この歳でと驚くけれども、あまりそれにとらわれなくてもいいようだ。
代官屋敷の女庭師サンドリーナ、訳ありで貴族出身の身分を隠している。代官の姪(アルミンダ)が結婚するということで代官邸に現れる、結婚相手に決まった伯爵がそこに来るが、ここでサンドりーナを見て、過去にひどいことをしてしまったヴィオランテではないかと思う。
代官の達者な小間使い(セルベッタ)、それにいいよるナルド、アルミンダを追いかけるラミーロ(メゾソプラノ)が入り乱れ、結局だれとだれが?と想像しながら観ていくことになるのだが、構図はわかりやすいから、歌手たちの歌と演技を楽しんでいrてばいい。思ったより飽きずに最後までいった。
今回の公演、オーケストラはピリオド楽器とそれに即した奏法のようで、作曲家この時期の音楽、シンプルで活気があることが目立つが、物語の大きな起伏を表現するもっと後の作品よりは、こういうやりかたの方がいいのだろう。
歌手たちは歌も、所作も達者だし、ほとんど一つの広間での進行と、壁や通路(穴)をうまく使ったしかけも大げさすぎなくていい。
ところで、この作品は「フィガロの結婚」の前触れとも言われているようだが、フィガロやコシ・ファン・トゥッテなどモーツァルの男女間のコメディ・オペラは、最後ヒロインたちの賢さが勝つということが多い。これはモーツァルトに限らないのかもしれないが、作曲家としてはそれだけではない、もっとちがう人間ドラマの深遠をという考えがあったのではないか。それがドン・ジョヴァンニで、これは是非とも書きたかったものだろう。ドン・ジョヴァンニにくらべれば、他の作品の結末は今風に言えばポリティイカル・コレクトネスみたいで、音楽ならもう一つ先があると言える。
今回、こういうことを思い浮かべたのも、最後までうまく聴かせてくれたからである。