メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

沢木耕太郎「天路の旅人」

2023-01-13 11:20:49 | 本と雑誌
天路の旅人:沢木耕太郎 著 新潮社

著者久しぶりの大型ノンフィクションという広告を見てびっくりした。こういう形は最後かもしれないともいわれた。たしかに沢木は私とほぼ同世代だから、そうかもしれない。
 
取材の対象は西川一三(1918-2008) 、陸軍の密偵として1943年から1950年まで、蒙古、チベット、インドをめぐり帰国後「秘境西域八年の潜行」を著した。
 
知られるように沢木にはアジアから中東、ポルトガルまでバスを中心にわたった「深夜特急」があって、それで興味を持ったのかと思ったが、読んでみるとそれもあるけれど西川の帰還後の生き方を含めたもっと広いところのようだ。
 
上記の本を書いてしまうと、盛岡で小さい化粧品卸店をやりながら、元日以外一日も休まず完全なワンパターンの生活を続けていた西川にインタビューしながら、その著書の完成から出版までの内容的欠落、不完全を見て、いずれ元の原稿をと考えているうちに西川は亡くなってしまうのだが、西川の娘とのやりとりから元の原稿がみつかり、それは膨大なものだったが、それを読み込み検証しながら西川の旅の再現を試みた。
 
だから、読み始めると詳細がくどく続く印象はもったけれど、沢木の文章はしつこいものではないのでなんとか進んでいって、後半になってくると、西川という人間が、そして彼の旅がとびぬけたものであることがわかってくる。
 
出発した時、密偵であるから日本のパスポートもなく、そんなに金も持たず、蒙古語は多少習っていたようだがその慣習、食べ物、生活のノウハウ例えば、燃料のあつかい、火起こし、原料から食べものをどう作るか、乗り物も駱駝もあるが特にヤクの扱いなど。
それに生きていくためには、ラマ教、仏教などの巡礼になったり、寺に入って修行して覚えた御詠歌を歌って托鉢したり、あるいは御詠歌のせいで命拾いをしたり、嘘もついたり、無線乗車もする。蒙古のなかでもいろいろあり、そのあとチベット、インドになるとまた異なる。
 
ただ、生き抜くために狡猾にやっていくだけかというとそうではなく、助けてくれた人には無理してでも面倒なこと、危険なこともやる。またやってやったのに裏切られたかなと思ったら、かなり後になっていい面で予想が外れ、人間社会の理解が深まっていく。
 
つまり一人で、生まれてからの土台といえば、丈夫な体(体躯はいい)、知恵と意志であって、そのあとはゼロから環境にもまれながら、それでも結果として人間らしい旅をつづけた。
それは、随分あとになって敗戦を知ってからの西川について沢木が書いているように、
未知の土地に赴き、その最も低いところで暮らしている人々の仲間に入り、生活の資を得る。それができるかぎりはどこに行っても生きていけるはずだ。そして自分はそれができる。
と確信するに至った。
 
これは人が世の中で生きていくということの究極というか極北というか、絶望的なものというのか、希望が持てることというのか。
 
これだけの素材を掘り起こし、こういう形で、著者からすればうらやましい生き方のようだが、出してくれた意味は大きい。
 
おりしも読み終わるころにNHKの「クローズアップ現代」でとり上げられ、めったにTV取材に応じない沢木自身が出てきた。相変わらず若い風貌でフットワークもよさそうだった。
 
実は昨秋、いろんな経緯を経て白内障を手術、両眼にレンズが入って近眼鏡は不要になり、今度は読書用眼鏡を作って快適になったところでちょうど本書出版のタイミングになった。570頁もあったが、快適に読み進めたので、今後の読書生活が再び楽しみになってきた。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする