メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

谷崎潤一郎 「春琴抄」

2021-05-10 14:50:27 | 本と雑誌
春琴抄:谷崎潤一郎 著  新潮文庫
 
昭和8年(1933)に著者(1886-1965)が発表した中編小説で、舞台は江戸末期から明治の大阪道修町。
裕福な商家の娘の琴は幼時に盲目になるが、三味線で才能を発揮、春琴と号する。この家の奉公人で春琴より年下の佐助が世話係を務めているうちに、佐助も秘密に三味線を練習し、軋轢があったが春琴が教えるようになる。
 
二人の関係、上下は絶対であり、現代ならどうかというものであるが、佐助は不満をもらさず、かといってマゾヒズムという感じでもなく(著述では)続いていくうちに、何者かに恨みをかった春琴が顔を傷つけられ、他人なかんずく佐助には見られたくないという。それをただちに理解した佐助が自分の黒目をついて盲目になり、春琴と同じ世界に入り、愛を全うする。
 
読む前に多少の紹介を知ると、たじろぐところもあったが、読後はそうでもなかった。目をつく場面は谷崎さすがの筆力かと後になって思う。実は二人の上下関係がかなり厳しい時期に、両人の間には子ができてしまい内密に養子に出され、その後も二人生まれてやはり養子となっている。このように性的関係はどうなのかと想像する前に、事実が明かされるが、物語の大筋も、場面としてもそういう叙述はなく、それを覆う芸と子弟関係、それが読む側で察する二人の間のなんらかの情愛として書き上げられている。
 
著者が書き始めで語る小説のなりたちは、「鵙屋春琴伝」という私家版小冊子が手に入り、これと春琴、佐助がなくなってから、その世話をしていた女性に聴いた話をもとにしている、ということになっている。
 
こういうしつらえと対応しているのかどうなのか、この叙述、文章は変わっていて、まず読点(、)がきわめて少なく、句点(。)も通常の文章の長めの段落相当のところにようやく出てくることが多い。それでいて読むのにとまどうところはなく、これは単語のつらなり、リズム、漢字とかなの組み合わせなど、日本語はこうも書ける、そしてよけいな間をいれない、ということなのだろうか、この小伝を一気に読ませるための。谷崎のわざというべきだろうか。
 



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