「蕩尽王、パリをゆく 薩摩治郎八伝」 鹿島 茂 著 新潮選書(2011)
薩摩治郎八(1901-1976)の生涯について、まとまった本を読みたかったが、なかなか手に入れやすいものがなかったところ、ようやく鹿島茂が書いてくれた。
生年は昭和天皇と同じだから、まさに昭和の人である。そして成功した金持ちの三代目として、事業でなくとにかく使い尽くした、それもほとんどフランスで、というのが途方もなく、そのパリでの最盛期はあちらの上流階級をくらべてもかなりの羽振りだったようだ。
とびきり上等のブガッティに熟練ドライバーを雇って広く欧州を駆け回り、ミシュラン最上級を味わい尽くしたなど、、、
それも、戦前の何人かの金持ちのように、社会のため、庶民のために美術コレクションと美術館を作った、というのとも違う。そういう具体的な目的に費やしたのではないけれども、きたない使い方でなく、結果として大きなところで日本の役に立った。
知遇を得た人の中には、コナン・ドイル、T.E.ロレンス(アラビアのロレンス)!
モーリス・ラベルと頻繁に付き合っていた!
その中心にあるのがパリ国際大学都市の日本館(通称サツマ館)の建設である。各国留学生のために建てられ、後には確か日本人以外の留学生も利用していたと記憶する。建築としても、外観から一目で日本とわかる形、そして藤田嗣治が描いた壁画。
現在の価格にすると42億円くらい、これを一人で出したわけである。
ただ、薩摩治郎八が何時何をしたということについては、本人が語った話に不正確なところや矛盾があるため、その考証、確認に著者の多くの労力が費やされたようで、治郎八という人の面白さについてはあらためて書いてほしいものである。
そして、治郎八がモデルの瀬戸内晴美(寂聴)「ゆきてかえらぬ」が文庫で復活しないかなと思っている。
ところで、パリの日本館(サツマ館)には1977年に行ったことがある。1929年の開館から50年弱、そのわりに古臭い感じではなかった記憶があるが、残念なのは当時は藤田嗣治にさしたる興味がなかったため、絵がどうだったか覚えていないことである。
また治郎八は1958年から少しの間、自由が丘に住んでいたらしい。私もここに1958年11月に移ってきているから、どこかですれちがっていたかもしれない。