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メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

チェーホフ「ワーニャ伯父さん」

2023-10-13 14:58:52 | 本と雑誌
チェーホフ: ワーニャ伯父さん ー田園生活の情景ー 四幕
        神西 清 訳 新潮文庫
有名な四大劇の二番目で1897年に発表された。
 
舞台はこの前の「かもめ」と同様に田舎の地主、インテリ階級である。
退職した大学教授、妻とおそらく死別したのち再婚した相手のエレーナは若い。先妻の娘ソーニャは気立てはいいがエレーナほどの器量ではない。ソーニャの母方の伯父がワーニャで独身、その他医師、地主など。医師は「「かもめ」同様ポジションとしては高い。
 
ワーニャもインテリで領地の経営に尽力して教授を支援したが、その甲斐はたいしてなかったと思っていて、元教授との財産関連の諍いから自分の半生を嘆き不機嫌、ふさぎの虫を続ける。
 
ソーニャも望みがなくなってきて、後妻のエレーナが医師と結びつけようとするが、医師は逆にエレーナと駆け落ちしたいと言う。
 
「かもめ」と比べると登場人物の数も少なく、位置づけもはっきりしていて、一つ一つの台詞も長くとってあるから、それぞれの思いがすっと入ってくる。
 
おそらく作者の一番のねらいはワーニャによる半生の振り返り、悔やみであり、それは共感するところも多いのだが、読んでいて思い浮かべてしまったのは「山月記」(中島敦)の虎である。吠える虎が「臆病な自尊心」と評されたのはよく知られるところで、ワーニャも虎ほど強烈ではないが、本質的にはインテリであり、努力もしてきたわけで、そういって間違いではないだろう。
 
それを人生としてどうおさめていくか、ここでチェーホフは誰も死なせず、やはり絶望を感じたソーニャが「でも、仕方がないわ、いきていかなければ!」という言葉ではじまる名高い詠唱的な台詞でワーニャを慰める。ソーニャの忍耐、もちろんこれはワーニャを見て慰めるところから出てきたものだろう。終幕の見せ場の長い台詞、これは小説ではなく舞台だから効いてくるものだ。繰り返し味わうという気にもなる。
 
生きていって最後はこうしたいとして表現するとしたら舞台になるとチェーホフが示してくれ納得した。

 




チェーホフ「かもめ」

2023-10-07 15:32:14 | 本と雑誌
チェーホフ:かもめ(喜劇 四幕)
          神西 清 訳  新潮文庫
チェーホフ(1860-1904)の小説(主に短編であるが)は若いころからそれなりに読んできた。しかし四つの名高いタイトルに代表される戯曲は全く読まないできた。演劇をそれほど見に行かなかったせいもあるし、演じる劇団、俳優など、日本の時代背景もあるが、どうもあまり気が向かないということもあったように思う。それでも三島由紀夫の作品などはそれなりに見てきた。
 
さて「かもめ」は1895年の作品、四大作品の最初である。ロシアの田舎、大地主の家族と、つながりのある女優、文士、医師、教員、それらの家族たち、この地ではどちらかというと上の階級であり、一部はインテリでもある。ロシアの小説にはよくあるように、なやめる若者、ふさぎの虫というか、時代状況も反映してか何かたまっているというか鬱屈したところがある。
 
女優とその息子で文学志望の若者、文士、それに若い娘二人、ここらが主たる構図だが、第一幕はその人たちが次々に登城、関係性がなかなかわかりにくい。もっとも舞台をみていればもとへ戻ったり、書き物を繰ったりることもできないのであって、それは進行に身を任せながらということになる。
 
それでも第二幕の後半あたりから個々の台詞が長くなるからか(説明としてたっぷりにもなるからか)話の進展にのりやすくなり、第三幕から二年たった第四幕で、中心人物たちの思いのたけが一挙にこちらに向かってくる。このあたりはやはり読ませる。
 
娘の一人ニーナ、文士と一緒になるがわかれ、なんとか忍耐しながら女優として生き抜くという意外な歩み、最初から一目ぼれしてしまった女優の息子トレープレフ、終盤になってのこの組み合わせは、チェーホフなかなかだなと思わせる。

最後に出てくる自殺の報は、人間関係の構図の変遷で少しはやっぱりとはいえ、唐突と思ったが、これは演劇だからかもしれない。小説であればそこに至る思い、想念をいくらでも書けるけれど、演劇であればそうはいかない。見ているものに投げかけるということでいいのだろう。
でもテキスト全体はそう長くはないから、また読み返してもいい。劇なら何度でも見られるし。
 
ところで私の世代であれば「かもめ」で思い浮かぶのは世界で最初の女性宇宙飛行士テレシコワ(ソ連)のコールサインが「かもめ(チャイカ)」だったことで、、わたしはかもめ(ヤー チャイカ)は当時よく飛び交っていた。当時あの体制の国でもこれはなじみやすいものだったのだろう。




絵本読み聞かせ(2023年9月)

2023-09-28 15:57:25 | 本と雑誌
絵本読み聞かせ(2023年9月)
 
年少
おててがでたよ(林明子)
ぶーぶーじどうしゃ(山本忠敬)
くだもの(平山和子)
年中
かくしたのだあれ(五味太郎)
でんしゃにのって(とよたかずひこ)
くだもの
年長
でんしゃにのって
キャベツくん(長新太)
くだもの
 
1年前とほぼ同じプログラムだが、反応がちがうのはおもしろい。
この年少向けは定番だが、「くだもの」以外、もうすこし色とかたちが目立つのものほうがよかったか。
 
たまたまNHKで五味太郎のインタヴューがあり、絵本はこどもたちにとっておもしろくたのしくあればいい、娯楽だといっていて、たしかにそれはそうだと思う。「かくしたのだあれ」は何人ものまえでやるとすぐに見つける子とそうでない子がいるから、そこはちょっと難しい。ページのはこび、テンポで工夫が必要。
 
「でんしゃにのって」はいろんな動物が乗ってくるが、ここまで驚いてくれるのは意外。「切符知ってる?」ときいたら半分以上は「知ってる」だった。新幹線か?
 
「キャベツくん」はこれまでよりもりあがった。ファンタジーというよりナンセンス(ギャグ)もの、これくらい破天荒だと感じるのかな。

「くだもの」、すべての年齢で沸いてくれる。好みを自分勝手にさけぶ気持ちよさなんだろうか。


 

梶井基次郎の短編

2023-09-25 17:30:59 | 本と雑誌
檸檬(れもん)
梶井基次郎 著  新潮文庫

 
梶井基次郎 (1901-1922) の主要作品を集めた短編小説集で、もっとも有名な「檸檬」がその名前になっている。
 
これも以前アップした荒川洋治「文庫の読書」でとり上げられている(新潮文庫ではないが)ので、読んでみた。もっとも「檸檬」だけは読んだ記憶がある。梶井個人でなく複数の作家のアンソロジイだったのかもしれない。そうだとするとかなり以前ということになるが。
 
再読してみると檸檬は確かによくできたものだが、若くていろんなもの、当時の教養といってもいいものが頭の中をぐるぐるめぐっているインテリの想念を描いたといった感じで、ちょっと辟易するところもあった。
 
そこへいくと荒川が一つだけ取り上げている「城のある町にて」がえがいている対象と文章の魅力で心に残った。死んだ妹のことを思いながら姉のいる三重県松坂を訪ねたときの風景、家族や土地の人たちとのまじわりが力まずに描かれていて、文章もいい。
 
その他では「Kの昇天」が月による自分の影を追って昇天する男を描き、つくりものすぎるところはあるけれど、なかなかという感があった。私としてはここから思いうかぶのがベートーヴェンの「月光」第三楽章で、それもあるかもしれない。



絵本読み聞かせ(2023年8月)

2023-08-31 14:19:54 | 本と雑誌
8月最後の日、親の実家に帰っていたりしていた子たちもようやく集まってきたようだ。

年少
はなびドーン(カズコG・ストーン)
だるまさんの(かがくい ひろし)
でてこいでてこい(はやしあきこ)
年中
だるまさんの
ガンピーさんのふなあそび(ジョン・バーニンガム さく みつよし なつや やく)
ねないこだれだ(せな けいこ)
年長
ガンピーさんのふなあそび
うきわねこ(ぶん 蜂飼耳 え 牧野千穂 )
ねないこだれだ
 
ほぼ昨年と同じプログラム
はなびドーン、年少にしては気楽に楽しんでいるようだ。
ガンピーさんのふなあそび、今年は年中も興味を持ってくれた。
 
うきわねこ、今年は絵、かたちも色もくいつきがよかった。今日は満月というはなしを入れることができたのは偶然とはいえ、興味を持ってもらえたのはよかったが、月にうさぎがいるというはなしをきいたことがないようで、そういう時代なんだろうか。