メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

キーシン/カラヤンのチャイコフスキー

2006-07-24 21:24:57 | ピアノ
レコード芸術8月号にエフゲニー・キーシン来日時のインタビューが載っている。
このなかで何故か1988年12月31日ベルリン・フィル シルベスター・コンサートでカラヤンとチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番を演奏が詳しくふれられている。
 
このときキーシンは17歳、カラヤンは晩年80歳であった。そのカラヤンはこの曲に関して調べたことから、通常速く演奏されすぎでありもっとゆっくり演奏すべきであると話したそうだ。キーシンはそれに賛同したが周りから注意しないとカラヤンも歳だからどんどん遅くなってしまうと言われ注意したそうである。確かにテンポを遅くとると、だれないようにするにはかなりの緊張とエネルギーを要するだろうから、高年齢の場合むしろつらいはずであり、ピアノ演奏などに顕著だが年寄り特有の癇癪が出たりする場合も多い。
 
この時の演奏はDVDでも出ているが(SONY)、BS生中継録画のビデオを持っているから久しぶりに見てみた。インタビューを読んで感じるというのも恥ずかしいのだが、以前見たときには若いながらカラヤンと共演しても堂々としていてなかなかいい演奏くらいの印象だったのが、改めて聴くとこれはただものではない。ゆっくりしたテンポ、堂々とした演奏だが、そのゆっくりした中できわめてテンション高くまた密度が持続し終わりまで耳が離れない。キーシンといえどもこのレベルの演奏には若さがプラスに効いたのではないだろうか。
 
カラヤンは背中がつらい様子が明らかだが、やはりそこはブルックナー、ワーグナーなどど並んで何故か生涯こだわり続けたチャイコフスキーである。ダイナミック、カンタービレ、暗さを帯びた表情など申し分ない。
 
シルベスターとはいえベルリンの聴衆のスタンディング・オベーションは長時間続いた。そして明けて新年ということからカラヤンはマイクをとり新年の挨拶をし、最後にキーシンを抱きかかえ、一緒にロシア語で「ノーヴイム ゴーダム」と締めくくった。
 
この新年 1989年の夏 カラヤンは生涯を閉じ、秋にはベルリンの壁が崩壊した。
 
(訂正: 初出の「ソビエト連邦崩壊」は1991年の誤り)
 
この演奏を聴いた後、思い出して1991年来日時のコンサート録画で30分ほど小品4曲を弾いたものを見た。
これも同様で、ショパンのスケルツオ第2番など何時までも浸っていたい演奏、特に映像だとスタインウェイを気持ちよく鳴らすということはこういうことか、という感もしてくる。
この中には、キーシンがよくアンコールで弾くリスト編曲によるシューマンの歌曲「献呈(君にささぐ)」がある。これをアンコールに選ぶ彼のセンスと気持ちが好きだ。
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