王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

山崎豊子さん 逝去

2013-10-01 12:23:44 | 社会
山崎豊子さん死去「白い巨塔」など社会派として活躍(サンケイスポーツ) - goo ニュース

作家の山崎豊子さんが29日亡くなられたそうです。
88歳で「心不全」だそうですから近親の方のお気持ちは別として大往生でしょうか!!
謹んでお悔やみを申し上げます。

浜爺が産業戦士だった頃、「白い巨塔」が週刊誌に乗った後、田宮次二郎さんが財前五郎を好演し大病院の裏側にみんな驚いたのもでした。
後に唐沢寿明さん主演でリメークされました。老妻が両方見ていて前作の方がよかったと今朝論評しましたが演技の良しあしより内容の社会性と我々の側の感性が「聖なるものが悪の塊」みたいな社会現象に慣れてしまったせいでないかと浜爺は思いました。
その後驚いたのは「大地の子」にあらわされた満州に置き去りされた残留孤児の兄妹と一族の悲惨な話でした。
この話は多くの残留孤児から聞き取りした悲惨な境遇を兄妹とその一族に集約して書いた物とも聞きました。
大分呆けて来たのではっきり書けませんがこの前後から山崎氏に盗作の話が出たようです。
「大地の子」については盗作を巡って裁判まで起きていたと思います。
山崎さんは膨大な資料の中から不注意で他人の表現を使う事が有ったかも知れないーーみたいなコメントしていたと思います。
その頃から山崎さんの作品に熱がさめました。

社会問題に対する鋭いメスが入り凡人が知ることが出来たのは山崎氏の筆による所です。
「棺を覆いて事定まる」これからも大変そうです。

写真:山崎氏

サンスポ:
 「大地の子」「沈まぬ太陽」などの大作で知られる人気作家、山崎豊子(やまさき・とよこ、本名・杉本豊子=すぎもと・とよこ)さんが9月29日未明、心不全のため死去した。88歳だった。葬儀・告別式は近親者のみで行う。自らの戦争体験から、戦後日本の社会問題に鋭いメスを入れる“社会派”として活躍。映像化された作品も多く、2003、04年に放送されたフジテレビ系「白い巨塔」に主演した唐沢寿明(50)ら、芸能界からも悲しみのコメントが相次いだ。

 真摯(しんし)な取材姿勢に裏打ちされた大作で多くの共感を呼んだ“巨星”が、逝った。29日未明、山崎さんは心不全のため死去した。

 「戦争で死んだ人たちのことを思えば、生ある限り書き続けなければならない。生き残った者としての使命感が私を突き動かしてきた」

 生前、強大組織や権力の矛盾をあぶり出してきた山崎さん。8月から連載小説「約束の海」がスタートした週刊新潮を出版する新潮社は「入院先の病院で亡くなった」と説明。大阪・堺市の自宅を弔問に訪れた関係者は「眠るように亡くなったと聞いている」と話した。

 山崎さんは大阪・船場の昆布商に生まれた。1944年、毎日新聞社に入社。大阪本社学芸部で後に作家となった井上靖さんの下で働き刺激を受け、57年に生家をモチーフにした「暖簾」でデビューした。

 “社会派”への転機は医学界の権威体質を描いた65年の「白い巨塔」。「取材したうち、小説に使うのは1割」と語るほどの取材量で以降、ベストセラーを連発した。その半面、資料の引用方法をめぐり、盗作を指摘されたこともあった。

 私生活では61年、元同僚と結婚し、パリでの挙式が話題となった。苦労した作品については中国残留孤児を描いた91年の「大地の子」を挙げ、取材のため中国で3年生活したほど。それらの作品はドラマや映画でも名作となった。

 66年公開の映画「白い巨塔」では、野心家の財前五郎医師を田宮二郎さんが好演。近年ではSMAPの木村拓哉(40)が2007年のTBS系「華麗なる一族」に主演し、話題となった。

 01年ごろから手の指がまひして執筆を中断することもあったが、09年に「運命の人」全4巻を発表。週刊新潮の「約束の海」の原稿も20回分書き上げていた。新潮社の写真週刊誌「FOCUS」を創刊した斎籐十一さんに「あなたはペンと紙を持って棺に入るべき人だ」と指摘されたという山崎さん。まさに、一文字一文字に“魂”を注いだ人生だった。
(引用終わり)

コメント
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