『表題は「天皇ご一家の沖縄訪問2日目は“対馬丸の慰霊碑を拝礼”の話題です』
【沖縄を訪問中の天皇ご一家は5日、アメリカ軍に撃沈され約1500人が犠牲になった学童疎開船「対馬丸」の慰霊碑を拝礼された。
また、記念館にも足を運び、幼い子どもたちの遺影や筆箱などの遺品を見学された。
「対馬丸」犠牲者など悼む慰霊碑「小桜の塔」をご訪問
戦後80年、本土復帰53年にあたり、4日から2日間の日程で沖縄を訪問されている天皇ご一家。
2日目の5日、皇后さまは、白いスーツに帽子、愛子さまは、紺色のスーツに帽子という装い。
午前10時半ごろ、ご一家は、アメリカ軍の潜水艦に撃沈された学童疎開船「対馬丸」の犠牲者などを悼む慰霊碑「小桜の塔」を訪問された。
戦争が激しくなった1944年、本土へ疎開する児童らを乗せ、沖縄から長崎に向かう途中だった「対馬丸」を、アメリカ軍が撃沈。
児童780人あまりを含む、約1500人が犠牲になった。
両陛下と愛子さまは、塔に向かってゆっくりと進み、百合やトルコキキョウなどの白い花束を手向け、深く拝礼された。
このあと、ご一家は、「対馬丸記念館」へ。
沿道では多くの人が、ご一家を歓迎した】とFNNが報じました。
別紙の報道によればご一家は午後には暑い中:
【午後には、それぞれ紺と黒のかりゆしウェア姿で首里城公園をご訪問されたご一家。
開催から50年の節目を迎えた国際海洋博覧会の企画展を視察されたあと、2025年秋の完成を目指す正殿の工事区域では正殿を覆う素屋根に併設された見学エリアからガラス越しに建設途中の建物をご覧になりました。
復元に携わる宮大工らに平成と令和の首里城の違いを質問されたり笑顔で声を掛けられる場面もありました。そして午後6時16分過ぎには玉城デニー知事らの見送りを受け、帰京とのお忙しい1日の様でした 】と報じられています。
写真:天皇ご一家が学童疎開船「対馬丸」記念館を初訪問 生存者の元館長と対面…「かりゆし」の装いで首里城公園にも【沖縄慰霊の旅2日目】© FNNプライムオンライン
FNN Primeオンライン:
沖縄を訪問中の天皇ご一家は5日、アメリカ軍に撃沈され約1500人が犠牲になった学童疎開船「対馬丸」の慰霊碑を拝礼された。
また、記念館にも足を運び、幼い子どもたちの遺影や筆箱などの遺品を見学された。
「対馬丸」犠牲者など悼む慰霊碑「小桜の塔」をご訪問
戦後80年、本土復帰53年にあたり、4日から2日間の日程で沖縄を訪問されている天皇ご一家。
2日目の5日、皇后さまは、白いスーツに帽子、愛子さまは、紺色のスーツに帽子という装い。
午前10時半ごろ、ご一家は、アメリカ軍の潜水艦に撃沈された学童疎開船「対馬丸」の犠牲者などを悼む慰霊碑「小桜の塔」を訪問された。
戦争が激しくなった1944年、本土へ疎開する児童らを乗せ、沖縄から長崎に向かう途中だった「対馬丸」を、アメリカ軍が撃沈。
児童780人あまりを含む、約1500人が犠牲になった。
両陛下と愛子さまは、塔に向かってゆっくりと進み、百合やトルコキキョウなどの白い花束を手向け、深く拝礼された。
このあと、ご一家は、「対馬丸記念館」へ。
沿道では多くの人が、ご一家を歓迎した。
その一方、「戦争絶対反対」きょうもデモが行われた。
警備中の男性警察官の顔面を殴ったとして、男が現行犯逮捕された。
「対馬丸記念館」で貴重な遺品を見つめられ…
幼い子どもたちの遺影が、天井近くまでつづく「対馬丸記念館」。
ご一家は、ランドセルや筆箱などの貴重な遺品を見つめ、じっと説明に耳を傾けられた。
この後、父親に命がけで救助され生還した高良政勝・元館長に歩み寄り、助けられた当時の状況について話を聞かれた。
愛子さま:
厳しい統制がなされていた中…その手紙も残っていて。
両陛下は、3年前の沖縄訪問の際、高良さんから記念館への招待を受けられていた。
陛下:
前にお会いした時に、ぜひこちらにと…。
高良さん:
つい、友達みたいな感じで…本当にお出でいただいて…。
皇后さま:
愛子も連れてくることができて…。
高良さん:
初めてですかね?沖縄は。
愛子さま:
はい、初めて来させていただきました。
高良元館長:
この小さい記念館に、よくも二代の皇族がお出で下さった。そしてまた三代目もご一緒されたので、非常に光栄に思いました。
そして、ご一家は那覇市内にある首里城公園へ。
沖縄伝統の「かりゆし」に装いを改め、出迎えた沖縄県の土木建築部長らと挨拶を交わされた。
(引用終わり)