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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

わかるよ、その気持ち

2006-11-11 12:22:44 | 日記
昨夜友人から電話がありました。彼女のお父さんも末期癌で入院していると聞いていましたが、なんと先月22日に亡くなられたそうです。22日は、父の死の4日後。ちょうどお葬式の日でした。


友人のお父さんは胃ガンでしたが、まだ1か月ぐらいは大丈夫だと思っていたそうです。ところが、肺炎を起こして容態が悪化し、急に亡くなられたため、だれも看取ることができなかったと言っていました。わがままなお父さんのことが嫌だった。身体の弱いお母さんを思って、早く召されたらいいのにとまで思っていたのに、亡くなってみると悲しくてたまらず、後悔の気持ちも沸いてきてつらいと友が言いました。


「わかるよ、その気持ち。お父さんがいなくなってしまうって、こんなに悲しいことなんだなって初めてわかったの。今まで親を亡くした人のことを思いやることはできても、気持ちを理解することはできなかった……。でも、今はわかるよ」
「お父さんは死ぬ前に有り難うと言っていたのに、わたしは有り難うと言わなかった。育ててくれて有り難うって言えばよかった」
と受話器の向こうで友が咽び泣きました。


 お父さんに有り難うと言わなかったことを後悔する友の言葉にはっとしました。わたしも言わなかったのでした。
「わたしも有り難うって言わなかった。父は言っていたのに……。もっと頻繁に見舞えばよかった……後悔することはいっぱいあるけれど、すべてが神さまの御手の中で起きたことよね」
「そう、神さまの御手の中ね。有り難うと言わなかったことを祈りの中で神さまに打ち明けたら、平安な気持ちになったの」


友と同じ時期に父親を亡くすというつらい経験をしたのも神さまの御手の中で起きたことだと思いました。お互いに祈り合うことを約束して電話を終えました。



今日昼から、子供家庭集会の「はこぶねクラブ」があります。家庭集会といっても教会で行われ、7.8名の子供が集まります。自作の紙芝居と賛美曲の楽譜を持って出かけます。
雨が降っているので歩いていきます。雨の中を歩くのも楽しいです。雷が鳴らないようにと祈りつつ。



子供たちにメディアワクチンを

2006-11-10 12:13:33 | CS(子供伝道)

今日は、先月教会学校で発行したお便りを紹介します。ホスピスのベッドで横になる父の傍らで書いた物です。9月1日、2日、ブログに書いた「危険にさらされている子供たち」の内容と重複する箇所もありますが、9月には「いま、子どもたちがあぶない!」という本はまだ読んでいませんでした。(この本もホスピスで読みました)



10月から小学科ではモーセのお話をしています。先日は、エジプト人が同胞のイスラエル人を虐げていることに腹を立てたモーセが、エジプト人を殺してしまうというモーセの失敗の話しをしました。そのとき、「ものすごく悪いことをした人なら、殺してもいいと思いますか?」と子供たちに問いかけました。すると、「だめー」という答えが返ってきてほっとしました。

佐世保の小学校で小学生が同級生を殺すというショッキングな事件が起きた後、教会学校では『なぜ人を殺してはいけないのか』について話しました。そのいちばん大きな理由は、『どんな人でも神さまによって造られ、神さまに愛されているから』だと神学生が話してくれました。
 
最近、若者や子供による異常な犯罪が増えています。以前には考えられないような事件が起きています。それがテレビゲーム、ビデオ、テレビ、インターネットなどのメディアの影響だということが「脳内汚染」、「いま、子どもたちがあぶない!」に書かれています。本には、テレビゲームをやり続けると、脳(前頭葉)が変化してしまうことが示されています。

ゲームでなくても残酷なシーンを繰り返し見ると、残酷とは感じなくなってきます。ホラー映画も見続けていると何ともなくなります。それは、人の正常な感覚が麻痺してきた証拠です。
悪影響を与えるとわかっても、テレビゲームやすべてのメディアから子供を切り離すことは不可能に近いでことでしょう。私事で恐縮ですが、我が家の2人の子供たちもメディアの影響を多分に受けて育ちました。特に長男はテレビゲームに夢中でした。時間を決めていても「セーブするまで待って」と5分、10分時間が伸び、そのたびに親子喧嘩になっていました。

わたしは、当時テレビゲームがそれほど悪いという認識がありませんでしたが、子供たちになんとか本好きになってもらいたいと思っていました。それで毎晩夕食後に20分間本の読み聞かせをしていました。それは長男が2歳から小学校を卒業するまで続きました。かなりの長編を何日もかけて読み聞かせたこともあり、それは親子で物語を共有する楽しいひとときでした。そのせいかどうかわかりませんが、長男はメールより電話派。長女は読書家(?)になっています。

「いま、子どもたちがあぶない!」には、子供たちにメディアワクチンを打つことが必要だと書かれています。メディアワクチンとは、質のいい本を読み聞かせることだそうです。

いま、子供たちは危険にさらされています。子供たちを守るには、有害なもの、悪影響を与えると思うものからできるだけ遠ざけ、良いもの、心を豊かにするもの、美しいものを与えることです。良いもので心を満たしていれば、悪いものは入ってこないとS先生が言われました。

そして大切なことは、神からの規範を教えることです。神さまは、人間を倫理的な存在として造られました。神さまから造られた者として自分を大事にすること。また、他者も大切な存在として造られていることを知らせることが、わたしたち大人の役目ではないかと思います。


「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。」(箴言22:6)


〈本の紹介〉
「脳内汚染」 岡田尊司著 文藝春秋社 1680円税込み
「いま、子どもたちがあぶない!」 斉藤惇夫他著  古今社 1800円+税


母の気持ちに寄り添って

2006-11-09 19:00:41 | 家族

父の葬儀がすんで土浦に戻ってから初めて実家に帰りました。約2週間ぶりですが、その間に息子の結婚式があったので久しぶりという感じがします。
チャイムを押すと、母の後ろから父が来てくれるような気がしました。父は具合の悪いときでもわたしが行くと必ず玄関まで出迎えてくれ、「よく来たなあ」と言ってくれました。


父のいない家はやけに広く感じられ、父の使っていた物や座っていた椅子を見るたびに涙が出そうになります。ここに一人で暮らしている母は、わたしの何倍も悲しいのだと思うと、明るくふるまって母を少しでも元気づけたいと思いました。
今回は、父の物の片づけをするために実家に帰ったのですが、父の部屋には入らず、なぜか母とふたりで台所やリビングの掃除ばかりしていました。


「お父さんの物、整理しなくちゃね」
と母が言いましたが、父の物を見るのがつらくて何から手をつけたらいいかわかりません。母が父の腕時計を見て、
「どうして動いているのかしら?」
とぽつりと言いました。
当たり前のことですが、お父さんは死んでしまったのに、時計はなぜ動いているのだろうと思った母の気持ちが痛いほどわかって、
「整理するのは、もう少し後にしよう。急がなくていいんじゃない」
といって、代わりに台所を片づけたのです。


父はとてもきれい好きで、元気なときは毎日食器洗いをし、その後1時間くらいかけてあちこちを磨いていました。なので台所はいつもぴかぴかでした。
このところ、すっかり台所が汚れてしまったので、母と一生懸命磨きました。
「お父さん、きっと喜ぶよ」
と言いながら。


知り合いの人が訪れて、
「少しは落ち着かれましたか?」
と問われ、
「はい」
と母はにこやかに答えていましたが、まだまだ傷は癒されていません。でも神さまによって少しずつ癒されていっています。

リビングのカレンダーはまだ10月のままでした。しばらくは、このままにしておきましょう。
「お母さんを頼む」と何度も父に言われたことを思い出しています。慰めの言葉は何も言えないけれど、ときどき実家に帰って母の気持ちに寄り添いたいです。

変えられるものと変えられないもの

2006-11-07 08:53:44 | 過去の記事より
母に頼まれた用事をしにこれから実家に行きますので、今日は2年前のつれづれ日記からの文章を掲載します。


ラインホルト・ニーバーの書いた「祈り」という詩を紹介します。

変えることのできないものに対しては、
それを受け入れるだけの冷静さを、
変えることのできるものに対しては、
それを変えるだけの勇気を、
そして、変えることのできないものと、
変えることのできるものとを見分ける知恵をわたしに与えて下さい


変えられるものと変えられないものというのは、病気についてもいえることですね。喘息はアレルギー体質からくるものですが、その体質を変えることはむずかしいです。(体質改善の注射などありますが、わたしには効果が現れませんでした)


でも、喘息を予防することはできます。完全に治すことはむずかしいけれど、ひどい発作を起こさないようにすることは、限界はあるでしょうが、ある程度は努力によってできます。

癌の場合はどうでしょう?再発転移を予防するには、食べ物に気をつけたり、ストレスをためないようにすること……。
これらは効果はあるでしょうが、絶対に再発転移しない方法は現在みつかっていません。
わたしが癌患者であるということ。再発転移のリスクを抱えているという事実はどう努力しても変えられません。だから、受け入れられるようにと日々祈っています。

召天者記念礼拝

2006-11-06 10:50:12 | 教会
昨日は教会で召天者記念礼拝がおこなわれました。それぞれが持ってきた亡くなられた家族の写真をパワーポイントで映し、故人を偲びました。わたしはまだ父の写真を出せませんでした。父の写真を見たら号泣してしまうでしょう。


『愛するものとの別れはつらく、悔いが残り、地上ではもう2度と会話ができないので寂しさがあります。しかし、すべてを主のみ手ににゆだねましょう』
というメッセージに、涙、涙でした。
「御手の中で」という賛美も迫ってくるものがありました。
 
“御手の中で、すべては変わる感謝に、わが行く道を導きたまえ、あなたの御手の中で”

という歌詞です。

天国で再会できるとの希望が語られたとき、父のおかげで以前より天国が身近に感じられるようになっていることに気づきました。

『わたしたちは、生きている。成長できる。人を赦すことができる。まだ時間がある。』
とS先生が言われました。しかし、その時間は限られているのだななあと思います。だから無駄にはできないのです。

祝祷では父が召される直前にわたしが読んだ黙示録の聖書箇所が読まれました。
「神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐいとってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。(黙示録21-4)」

1時間の間にポケットティッシュ1個使ってしまいました。


結婚式(その2)

2006-11-05 16:50:55 | 家族

写真のミッキーマウスのぬいぐるみは、結婚式披露会の記念品贈呈で息子にもらった物です。息子の出生時体重と同じ3170グラム、出生時身長と同じ51センチになっています。

今回、父のことがあったので、結婚式に関してはいっさいを若い2人にまかせていました。2週間ほど前、息子から生まれたときの身長と体重教えてと2回も電話があったので、披露会でプロフィール紹介をするのかなあと思っていました。このようなプレゼントをもらえるとは予想もしていませんでした。

ぬいぐるみを抱いたとたん、生まれたばかりの息子を最初に抱いたときの感覚がよみがえりました。23年も前のことですが、昨日のことのように鮮やかに思い出します。難産で苦労しましたが、元気な産声を上げたこと。取り上げて下さった先生が「男の子ですよ。いい赤ちゃんですね」といってくださったこと。なかなかオッパイを飲まないで苦戦したこと……。あんなに小さかった息子が、社会人となって、今結婚式を挙げたと思うと、胸がいっぱいになりました。

父にも結婚式に出てもらいたかった……。きっと天国で祝福してくれていることでしょう。
いまのわたしの心境は、慶びと悲しみが入り交じってとても書き表すことができません。

結婚式(その1)

2006-11-04 17:46:52 | 家族

昨日息子が結婚しました。青空の下、ガーデンで式が行われました。披露会には70名近くの方々が列席して下さり、祝福していただきました。感謝!!

新婦のお父様、お母様からの娘に宛てた手紙が読まれ、新婦からご両親への手紙が読まれたとき、感動してわたしまで涙が出てしまいました。
『ご家族に愛され、育まれてきたお嬢さんを大切にするんだよ』と心の中で息子に語りかけていました。

今日はあまりにも疲れて少ししか書けません。短い期間にお葬式と結婚式がありました。こんなことは、珍しいことなのでしょうね。でも、息子の結婚式によって母もわたしも心の痛みが癒されました。


神のなさることは、すべて時にかなって美しい。(伝道者の書3:11)


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