母が混乱するのはもっともなことです。でも最後には、
「あんたがどうしてもと言うなら、考えてもいいけど……Y子(妹)は何と言うかしら?」
と言いました。
Y子に電話すると、意外にも喜んで、薦めてくれました。わたしは知らなかったのですが、Y子は父の葬儀の前に川崎のお寺の墓に分骨して入れてほしいと母に頼んだそうです。秋田は遠いので、お墓参りにいけないから、関東にお墓があればいいと思ったようです。たいそうなお金がかかるという理由で母に反対され、その話はなくなったのです。わたしが土浦めぐみ教会に納骨することが可能だというと、妹はぜひそうしてほしいと言いました。
何人かの友人に相談すると、賛成してくれました。でも、決めるのはわたしです。それから2日間、祈りました。
あまりにも突然のことで、しかも母はあまり喜んでないので、果たして教会に納骨することが神さまのみこころなのかわからなかくなってしまいました。
祈りながら、わたしの一時的な感情(寂しいから遺骨を近くに置いておきたいという気持ち)だけで分骨しようとしているのか。目的は何なのか考えました。
父の遺骨が教会にあるという事実が、母や妹を教会に結びつける。母や妹にキリストを伝えたいということが納骨の目的だということをはっきり確認できました。
それでもこのように祈りました。
『もし、分骨が神さまのみこころならば、できるように。みこころにかなっていなければ、神さまがストップしてください』
17日夜、再び母に電話すると、
「分骨用の壺はどこに売っているのかしら?」
と、母は分骨する心づもりをしています。驚いて尋ねると、わたしが電話する10分ほど前に妹から電話があり、分骨を薦められたそうです。
それからすぐS先生にメールを出すと、「早いほうがいいでしょう。善は急げです。」と言われ、21日に実家にきてくださることになったのです。
なんというタイミングの良さでしょう!実家にまだお骨があるときに祈祷会で「納骨の神学」の学びをしたことといい、主の御手が大きく働いてくださったことを目の当たりにして震えるほど感動し、無事に済むまではブログに書けませんでした。
つづく