父は
「人が話しているときには、どんなに自分の意見が言いたくても割り込んでしゃべってはいけない」とよく言っていました。わたしはそのことを守りたいと思っていますが、つい割り込みをしてしまうこともあります。でも考えてみたら失礼なことですよね。人の話を中断させて会話の流れを自分の方にもっていくのですから。
児童文学の会の合評会(フリートーク)では、このことを忠実に守ると一度も発言しないまま終わることが多いです。最後になって「何も発言しなかった文香さんどうぞ」と言われたときには、言おうとしていたことをすっかり忘れているなんていうこともありましたが……。
三浦綾子の「永遠の言葉」は1生命をめぐって、2さまざまな愛のかたち、3人生について、4病との共生、5神と信仰の5つに分かれています。その中で父は1から(26文中)7。2から(33文中)13。3から(41文中)12。 4から(21文中)8。を選んで書き写しています。
最後の5からはひとつもなかったので、書き写した時点では(2005年4月)神さまを受け入れていなかったのだろうなと思いました。
でも、よく読んでみると、5以外の言葉でも、どれもが聖書信仰に基づいていて、神さまの存在をぬきにしては考えられない言葉です。3の中には「神様は」で始まる文章があり、それも書き写されていました。
神様は、人間というものをおつくりになった。金がないというだけぐらいのことで、不幸になるようなものをおつくりにならなかったということですね。人間というものは、金がないということだけでは不幸にならない存在だと、わたしは思います。
病気になって初めて、ほんとうの人の姿が見えてくる。これは得がたい体験です。
人間は絶望的な状態であっても、一筋の光が見えたら、ぐーっと顔が変わっていくんですね。治すのは何か別なもの、(医療の)諸技術も大事でしょうけど、希望を与える言葉とか、希望を与える情景とか、何かわれを忘れさせるということが、すごく大事なのではないでしょうか。
「人間は絶望的な状態であっても、一筋の光が見えたら、ぐーっと顔が変わっていくんですね。治すのは何か別なもの、(医療の)諸技術も大事でしょうけど、希望を与える言葉とか、希望を与える情景とか、何かわれを忘れさせるということが、すごく大事なのではないでしょうか。」
下記は私のブログです。http://blog.goo.ne.jp/petro2006/
父は絶望的な状態から一筋の光を見いだしていたのだと思います。
お父様に贈った本をお父様が書き写していく中で、三浦さんの言葉を通じて文香さんとも素晴らしい心の交流があったのだと思いました。文香さんが伝えたかった言葉をお父様は見事に受け止めて下さったのですもの・・・。また、人の話の腰を折るな!という教育をしてくださったお父様って、本当に素晴らしい人格者だと、感心いたしました。文香さんは、こんなお父様をもって幸せですね*
かつては父に反抗ばかりしていて、決して仲の良い父娘ではなかったのですが、いい思い出だけが残っていることが不思議です。
父とのことを書いたら1冊の本になる程です。