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生かされて

乳癌闘病記、エッセイ、詩、童話、小説を通して生かされている喜びを綴っていきます。 by土筆文香(つくしふみか)

驚くほどのめぐみ(その2)

2006-11-26 20:12:53 | 家族

今日は朝8時半からのⅠ礼拝に出席。10時よりCS奏楽奉仕をし、分級ではクリスマス会のペープサートのセリフ録音。11時半から(Ⅲ礼拝の間)教師達でペープサートの制作。昼食後、1時半からCS教師会。3時半からクリスマス会で行う教師によるスライド劇の練習。家に帰ったのは5時。すっかり暗くなっていました。とても疲れているはずですが、気持ちが高ぶっているせいか、不思議なほど元気です。

分骨することになったいきさつを書くのでしたね。


15日に祈祷会に行きました。11月は祈祷会で「死と葬儀」というテーマで学びがあり、15日はちょうど「納骨の神学」についてでした。父の葬儀から間もない時期にこのような学びをするのは正直つらく、お休みしようと思いました。でも、体調が良く、特別な用事がないときは必ず祈祷会に出席するようにしているので、出かけました。その日、祈祷会に行ったことが、大きな喜びに変わったのです。


教会に納骨すると、記念会をすることもできるので、家族や親戚への伝道になる。クリスチャンでない人の遺骨も納められる。分骨することもできる。と聞いて、父の遺骨をこのピスガ(めぐみ教会の納骨堂)に納めることができたら、どんなにいいだろうという気持ちになりました。


父が召される前までは、自分自身のことも含め『骨には魂はないのだから、どこに納骨されてもかまわない』という考えでした。でも、いざ亡くなってしまうと遺骨を近くに置いておきたいという気持ちが沸いてきました。父の体でのこっているのは骨だけだと思うとなおさらです。遠い秋田のお墓にすべてを埋めてしまったら、寂しさは募るばかりでしょう。実家に遺骨のある今なら間に合うかもしれないと思い、祈祷会のあと早速S先生にお話しました。


「埋葬許可書と分骨用の壺があれば、分骨をしにご実家に行きましょう」と言ってくださいました。もちろん、母と妹の同意が必要です。
その晩、母に電話をすると、
「お父さん、洗礼を受けたわけでもないのにどうして教会に納骨するの? もう、わずらわしいことはやりたくない」
と言われました。あまりにも唐突だったので少し混乱してしまったようです。

                       つづく

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