テンプレート、クリスマスバージョンにしました。
三浦綾子の「永遠の言葉」(主婦の友社 発行)という本は2001年に出版されました。1999年秋に亡くなられた三浦綾子さんの講演、対談の中から選び出された言葉が書かれています。いままで活字になっていなかった講演記録の中の言葉も含まれています。
今日も父が書き写していたものの中から紹介します。
わたしが死ぬ時は結局、周囲のすべての人々に対して「いろいろありがとう」ということと「許してくださいね」ということと、この二つの言葉しかないような気がします。ほかにもさがせばいろいろあるけれど、この二つの言葉だけは素直に、本心から言って死にたいですね。でも実際になると「なんじゃ、おまえ」とか(笑)、何を言い出すかわかりませんけれど。
わたしたちは、なぜ生きねばならないか……という問いを発しがちですが、生きるとか死ぬとかという人生の一大事の「なぜ」は、だれにもわからないものですね。それよりもわたしたちは、だれも「生きる」のではなく「生かされている」と考えると、おのずから生き方も変わってくると思うんです。
あまりにも親が子どもに期待しすぎるということがあるから、むずかしいですね。子どもも親に多くの物を期待している。しかも生みの親にとって、わが子はおのれ自身でもある。でも、子供にとっては親はおのれ自身ではないですよね。親がいくら子をほめても、力を認めても、それが子どもにとってわずらわしいことだってありますよね。
三浦綾子の「永遠の言葉」(主婦の友社 発行)という本は2001年に出版されました。1999年秋に亡くなられた三浦綾子さんの講演、対談の中から選び出された言葉が書かれています。いままで活字になっていなかった講演記録の中の言葉も含まれています。
今日も父が書き写していたものの中から紹介します。
わたしが死ぬ時は結局、周囲のすべての人々に対して「いろいろありがとう」ということと「許してくださいね」ということと、この二つの言葉しかないような気がします。ほかにもさがせばいろいろあるけれど、この二つの言葉だけは素直に、本心から言って死にたいですね。でも実際になると「なんじゃ、おまえ」とか(笑)、何を言い出すかわかりませんけれど。
わたしたちは、なぜ生きねばならないか……という問いを発しがちですが、生きるとか死ぬとかという人生の一大事の「なぜ」は、だれにもわからないものですね。それよりもわたしたちは、だれも「生きる」のではなく「生かされている」と考えると、おのずから生き方も変わってくると思うんです。
あまりにも親が子どもに期待しすぎるということがあるから、むずかしいですね。子どもも親に多くの物を期待している。しかも生みの親にとって、わが子はおのれ自身でもある。でも、子供にとっては親はおのれ自身ではないですよね。親がいくら子をほめても、力を認めても、それが子どもにとってわずらわしいことだってありますよね。