静岡ホーリネス教会グレースチャペルBlog

(日本ホーリネス教団静岡教会)

主日礼拝説教要約

2014年10月19日 | 説教要約
「神のみ手にある命」(使徒行伝20章7~12節)

「人々は生きかえった若者を連れかえり、ひとかたならず慰められた」(12)

 トロアスでの出来事を通して、み言葉をいただきましょう。

Ⅰ 想定外の出来事
 週の初めの日、人々は礼拝をしていました。この時の礼拝の中心は、説教とパンを裂くこと(聖餐と愛餐)でありました。二度と地上では彼らとあえないと知っていたパウロは、夜中まで神の言葉を語り、人々は熱心に聞き入っていました。その時、想定外の出来事が起こりました。三階の窓に腰をかけていた若者ユテコが疲れによる眠気のためにぐっすり眠り、三階から落ちて絶命してしまったのです。

Ⅱ 想定外の出来事の中にも溢れる神の慰めと励まし
 誰もが驚く中で、パウロはまるで旧約のエリヤのように身をかがめ抱き起し、渾身の祈りをささげました。そうすると命を御手におさめておられる神の不思議なわざが起こり、ユテコは生き返ったのでした。パウロらは、まるで何もなかったように続けて三階へあがっていき、明け方まで語り合いました。このことを通して、神はキリスト者たちを慰め励ましたのです。教会はユテコを責めるのではなく、必要以上に生き返ったことをも語らず、ただ神の慰めと励ましを喜んだのです。

 想定外の事が私たちの内にもおきますが、その中におられる命をもみ手におさめている神を仰ぎ、その中に溢れている神の慰めと励ましを受けていきましょう。

2014・10・19 説教者 杉本守 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天のマナ

2014年10月19日 | 天のマナ
「愛修会の恵み」 使徒行伝20章7~12節
 
 13日(月)に15名で静岡市内の殉教の地と碑を三か所巡りました。非常に幸いな学びの時となり、信仰が燃やされました。ヘブル書11章には、「これらの人はみな、進行をいだいて真だ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している。」(13.14)「しかし実際、彼らが望んでいたのは、もっと良い、天にあるふるさとであった。だから神は、彼らの神と呼ばれても、それを恥とはされなかった。事実、神は彼らのために、都を用意されていたのである。」(16)とあります。
 キリスト信者が迫害を受け、殉教する中で、彼らが持っていた信仰も上記のみ言葉であったに違いありません。彼らは地上だけの歩みではなく、すでに永遠の歩みをしていたのです。信仰とはアクセサリーではなく、キリスト者にとって命であり歩みそのものであります。人々の前に輝き、主に喜んでいただける信仰をさらに持たせていただきましょう。

2014/10/19
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする